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4.国元からの手紙
すぐに国元から返書が届き、義朝とは争うのではなく仲良くなれと書いてあった。
(義朝殿は越智前の出。なればこそ、であろうな)
康頼の国は、越智前よりも格が落ちる。あわよくば越智前とも友好な関係を築きたいと、国元が考えるのも当然のことだと納得した。
さいわい、義朝は康頼を敵視していない。勝負の相手にすらならないと、侮られているのか。それもしかたのないことと、康頼は義朝の端麗な顔つきや優美な身ごなしを脳裏に浮かべた。
(親しくしていただけるのは、慣れぬ身からすればありがたいこと)
ならばそれに甘んじるのもいい。下手に敵意を向けられて、不利になるのは困る。
(だが、ほんとうのところはどう考えておられるのか)
それも気になる。
(義朝殿と仲良くなりつつ、為明殿の寵愛を受けよとは、また無理難題を)
読み終えた手紙を折りたたみ、文箱に入れた康頼は返事をどう書こうかと悩んだ。なにか国元を安心させられるものがあればいいが、到着してからこれといった進展もないので、書けるもがない。
(近況は、つい先日に書き綴ったばかりだ)
どうしたものかと部屋を出て、庭に行く。ふらりふらりと散策した康頼は、木立に囲まれた東屋に落ち着いた。
「ふう」
知らず吐息がこぼれて、苦笑する。
(まだ、十日ほどしか経っておらぬというのに)
慣れない生活や気負いのせいで、妙に疲れてしまっている。夜の眠りが浅いのは、国元の期待に応えるためにはどうすればいいかと、あれこれ考えて神経が高ぶってしまうからだ。そうとはわかっていても、どうしようもない。気を紛らわせようとすればするほど、思考がそちらに行ってしまう。
(まだ、十日なのだ)
あせらなくてもいいと、自分に幾度も言い聞かせてはいる。それでも、閨の訪れが初日のみとは心もとない。人づてに聞いた話では、たいていの色夫は輿入れの夜から続けて情けを受けるという。物珍しさからそうするのか、はやく自分に慣れさせるためにするのかは知らないが、そうされるものだと康頼も思っていた。それなのに――。
「ああ……」
物憂い息を漏らして、うつむく。足元の草は目にもあざやかな薄緑に染まり、康頼の目をなぐさめてくれている。康頼はそのまま、東屋の床几に仰向けになって目を閉じた。
草木の香りにふんわりと包まれるここは、居心地がいい。草木の香りを含んだ空気を深く肺に吸い込めば、体中がほんのりとほころんだ。深呼吸を繰り返しているうちに、浮遊感に似た気だるさに包まれる。
(このままでは、眠ってしまう)
そう思ったが、止められない。開放感に、全身の毛穴から気負いが流れ落ちていく。ここには自分しかいない。誰の目も向けられていない。色夫としての責務もなにもなく、ただ木々や草花に親しむ自分がいるだけだ。あるいは、それらと同等の、ただそこにいるだけの存在。
自分が自分に回帰していく安楽さに心をゆだねて、康頼はそのまま眠りに深く入り込んだ。
意識がゆったり浮上する。自然とまぶたが持ち上がり、木組みが見えてぼんやりしながら、庭の東屋に来たのだと思い出した。しばらく東屋の天井を見つめてから身を起こすと、湯呑を渡された。
「や。これは、かたじけの……う?」
受け取って相手を見れば、義朝だった。おどろきすぎて声も出せない康頼に、義朝がニッコリとする。
「よく眠っていたね」
「いや……は、それは」
「とにかく、飲みなよ」
「い、いただきまする」
ぬるめのお茶は、寝覚めの体に美味だった。飲み干した康頼は、あらためて義朝を見る。
「あの」
「散歩をしていたら、眠っている君が見えたから。茶を用意させて待っていたんだ」
「待って……? なにか、それがしに話でもござったか」
「そうじゃないよ。寝起きは喉が渇くものだから」
「お気遣い、痛み入りまする」
義朝の手が伸びて、康頼の髪に触れる。撫でられた康頼はキョトンとした。
「あちこち連れ回されて、気疲れをしていたんだろう? 大変だね」
「いえ、そのようなことはござらぬ」
視線をさまよわせる康頼を、義朝は撫で続ける。
「初々しくて、かわいいね。だからこそ為明は見せびらかして、かまいたくなるんだろうな」
「えっ?」
「ん?」
意外なことを言われたと、康頼は目をまるくして問うた。
「為明殿は、それがしをお気に召されておられるのか」
「気づいていなかった?」
ううむとうなった康頼は、口の中で言葉を迷わせてから発言した。
「夜の訪いが、ござりませぬゆえ」
競う相手に自分の不利を告白するなど、とんでもない。しかしそれを告げられる、相談できる人間は義朝のほかにはいない。葛藤のはざまに揺れつつ吐露した康頼に、なるほどと義朝は繊細な指で康頼の頬を撫でた。
「それがないから、自分は好まれていないかもしれないと、心配になっているのか」
ついっと顎を持ち上げられて、康頼は義朝を見た。憂いを含んだ瞳は艶やかで、吸い込まれるほど蠱惑的だ。ただ会話をしているだけで、そんな雰囲気をかもせる相手に未熟な己が勝てるはずもない。
瞬時にそれを悟った康頼は目の前が暗くなった。
(なんという相手と、競わねばならぬのか)
このままでは完全にくじけてしまうと恐れた康頼は、視線を義朝から離した。これ以上、彼の美貌を見ていられない。
「康頼は、為明に抱かれたい?」
直截な問いに、康頼の体は羞恥に染まった。
「そ、それは」
「そのために国元から来たのだから、そうでなければならないよねぇ」
話しかけているというよりは、ひとりごとに似た口調でこぼした義朝の指が、康頼から離れた。
「うーん。為明は君を気に入っているんだけど。表現の仕方が君の希望や立場から、ちょっとずれてしまっているんだな」
「為明殿はまこと、それがしをお気に召されておられるのでござろうか」
「気に入っているよ。でなければ、仕事の合間にわざわざ立ち寄って、散歩に誘うなんてしないだろう」
なるほどとうなずきかけた康頼は、ならばどうして夜の訪いがないのかと首をかしげた。
「それがしが未熟であるとわかったゆえに、いらしてはくださらぬのか」
「どうだろうねぇ」
「それがし、為明殿は義朝殿のもとへと通われておるものと思うておりましたが、そうではござりませぬのか」
「来てないよ。すくなくとも、康頼が来てからは一度も夜は来ていない。自分の部屋に、眠りに帰っているだけだね」
「そう、で……ござったか」
きっぱりと否定され、康頼は息をついた。
「安心した?」
いたずらっぽく問われて、うなずきかけた康頼は急いで首を横に振った。
「ごまかさなくてもいいよ。どうせ国元からは、私を出し抜いて為明の寵愛を一身に受けるようにと言われているんだろう?」
「それは」
「本来、色夫とはそういうものだからね。べつに康頼をとがめているわけではないよ。為明の寵愛を康頼が受けても、私はちっとも困らないのだし」
「えっ」
「私も色夫としてここに来たのだけれど、お役御免というか、責務は果たしているからね。あとはのんびり、自由気ままな隠居生活といったところだから」
色夫に隠居生活などあるのだろうかと、康頼は真意を探る目で義朝を見た。年齢的な理由で役目を終えることはあると思うが、義朝は艶麗な色恋の盛りとしか見えなかった。それなのにお役御免とは、どういうことなのだろう。
真意を図りかねた康頼は、まじまじと義朝を見た。
隠しごとをしているようには見えないし、康頼をだましておとしいれようとしている気配もない。そもそも、そんな必要は義朝にはないはずだ。
(長く傍にあったから、もう飽きられたともうされておられるのか)
仮にそうだとしても、責務を果たしたとはどういう意味か。自分の輿入れは義朝に飽きた為明が、あたらしい色夫を求めたがゆえの実現だったと言いたいのか。それならなぜ、為明は康頼の閨を訪れない?
疑問がグルグルと頭の中を駆け巡る。黙り込んでしまった康頼の肩を、義朝は軽く叩いた。
「よけいに困惑させてしまったかな。いや、申し訳ない。そんなつもりはなかったんだ。ただ、君を安心させようと……そうだ」
声をはずませた義朝が立ち上がり、つられた康頼の目線が上がる。
「今宵、ふたりで為明の寝所を訪ねることにしよう」
「そのようなこと、できまするのか」
「できるよ、大丈夫」
さらりと言ってのけた義朝が歩きはじめたので、康頼はその後に続いた。
(そうできるほど、なじんでおられるのか)
競う以前の問題だと、康頼は自分と義朝の立場の隔たりを強く感じた。
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