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5.秀麗な好敵手

 夕食を終えて身を清め、部屋でソワソワしている康頼のもとに、義朝からの使いが現れた。昼間に打ちあわせていたとおりにと伝えられ、了承を告げる。  立ち上がり、緊張に硬くなった心臓をほぐすため、深く息を吸い、細く長く吐き出して覚悟を決めると部屋を出た。  待ちあわせは、為明の部屋の前。彼の部屋にふたりで出向き、眠る前に月でも見ながら酒を酌み交わす。手配はすべて、この屋に慣れ親しんでいる義朝がおこなう。康頼は部屋で待機をし、呼び出しに応じて出てくればいい。 (よもや、本気でなさるとは)  半信半疑であったが、期待もしていた。まだ為明という人物を把握できていない。昼間に半刻ほどの散歩で会っているが、それは配下のものたちのいる中でのこと。くつろぎの時間に色夫とのみ過ごす為明は、どんな態度を取るのか。それを知られるのは、ありがたかった。 (父上は、親族のみの気のおけぬ酒席と、配下のものを交えての場とでは違っておった)  それは国主としての体面をおもんぱかってのこと。為明もそうであるはずと、康頼は考えている。  星明りに照らされた縁側を進んでいくと、しずしずと歩いてくる義朝の姿が見えた。長身の義朝の着物は白。裾に淡い大輪の花が描かれている。帯は蘇芳。白い布地と肌が星明りを含んで淡く輝き、漆黒の艶やかな髪がそれを整えていた。 (なんと、美麗な)  おもわず康頼は立ち止まった。この世に、これほど美しいものがあろうとは。天から降りてきた――そう、まさに弥勒菩薩のごとき清らかさだと見惚れる。  向こうも康頼に気がついて、ほほえんだ。上品な笑みに頭を下げる。康頼は大小あられ文様の若草色の着物に、うす紫の帯を締めていた。自分の装いがおさなく感じて恥じ入る康頼に、前に立った義朝が「よく似合っているよ」と目を細める。 「自分に似合う色を、よく知っているね」 「義朝殿こそ」  うんとかすかに首を動かした義朝の背後には、酒と肴の膳を手にしたものたちがいた。障子に向いた義朝が声をかける。 「為明。星明りがうつくしいよ」  対等の口を利き、呼び捨てにする義朝に、康頼はあらためて疎外感を味わった。自分は後から来たのだから、それも当然のこと。それなのに気にしているのは、国元から背負ってきた重責があるからだ。そう自分をなだめた康頼は、おじける己を叱咤して腹の底に力を込めた。 「おう、入れ」  気楽な声がかけられて、義朝につき従ってきたものが障子を開ける。 「なんだ、康頼もいたのか」  好意的な目を向けられて、康頼は黙って頭を下げた。邪魔な視線を一瞬でもされなくてよかったと安堵する。  立ち上がった為明が縁側に出て、どれと空を見上げた。 「うん。月はないが、星明りがまばゆいほどだな。いい夜だ。飲もう」  それを合図に為明と義朝が縁側に座し、膳が置かれた。康頼も腰を下ろすと、世話役の男たちが去り、三人だけとなった。為明が瓶子を持ち上げ、ほらと康頼に示した。先に自分に与えられるとは思ってもみなかった康頼は、あわてて盃を持ち上げて酒を受ける。つぎに義朝に注いだ為明は手酌で己の盃を満たすと、クイッと干した。 「ふう」 「ちかごろは、忙しいみたいだね」 「ん? ああ。まあ、そうだな。いまは往来が多い時期だから、することが山ほどある」 「異国船もそろそろ入港するころだと、みんなが期待をしているだろうね」 「風が落ち着いたからなぁ。街道もにぎやかだ」 「物資を待ち望んでいるところは、たくさんあるし」 「雪に閉ざされてしまう土地は、薬などを補充したくてもできなかったからな。はやく届けてやりたいところだ」  さりげなくはじまった会話を、聞いていてもいいものかと康頼はハラハラした。なんでもない世間話にしか聞こえないが、会話の内容が深く進めば国政にも触れるのではないか。交易について、為明の考えを引き出すことになるのではと、緊張が高まった。 (そういうものを引き出して国元へ知らせる手順を、義朝殿はそれがしに示してくださっておるのか?)  まさかそんなと思いつつ、チラリと義朝をうかがう。彼はすました顔で、わずかに康頼に目配せをした。まかせろと言われた気がしたのは、誤認だろうか。  為明は眠るつもりだったらしく、くつろいだ襦袢姿だった。たくましい胸筋が、わずかにゆるんだ襟元から見え隠れしている。赤味がかったクセ毛は闇に暗く沈み、しかし星明りにほんのりと照らされて藍色の夜気と混ざり、落ち着いた重みのある赤紫になっていた。しっかりとした頬骨から顎のラインは男らしく、キリリと引き締まった眉は意志の強さを示している。美丈夫とは、まさに彼のことだと康頼はやわらかな表情を浮かべる為明をながめた。 「ああ、そうだ。先日到着した唐船が、いい絹を積んできた。似合いの色に染めさせて、春の着物を作るといい」 「それは、私に? それとも、康頼に、かな」 「むろん、ふたりにだ。ほかになにか、欲しいものはあるか」 「そうだなぁ。ほかの国の船がくれば、珍しかなものが届くかもしれないから。その時に品を見て考えるよ」 「強欲だな、義朝は。――康頼はどうだ」 「は。それがしは、その」 (唐船ではどのような品が入ってくるのか、そのほかの国の船とは、どのようなものなのかを、それがしはなにも知らぬ)  あせった康頼は国元で珍重される品々をあれこれと思い浮かべて、これだと決めたものを口にした。 「砂糖を」 「ん?」 「砂糖を、ちょうだいできればと」  ふむ、と為明が首をかしげる。意外だと言いたげな表情に、康頼はしくじったかと冷や汗をかいた。 「康頼は甘いものが好きか」 「ええ、まあ」 「砂糖は薬にも使われるし、康頼の国ではここよりもずっと手に入りにくい品なのだね」  さりげない義朝の補足を、康頼は「そうでござる」と受けた。 「康頼は、己の欲より国元のためになるものを望んだか」  破顔した為明が、うまそうに味噌を舐めて酒を呑んだ。 「なら、積み荷の砂糖は須賀を優先に商うこととしよう」  上機嫌な申し出に、康頼は「かたじけのうござる」と頭を下げた。 「ほかに、おまえの国ではなにが珍しい。康頼を受け取り、返礼の品は送ったが、季節の挨拶はまだだったからな。あちらがよろこぶものを教えてくれ」 「それは……魚や貝など、海の産物があればありがたく」 「うむ。ほかには、そうだな。異国船で珍しいものが届いたら、それもあわせて送るとするか。そうすれば、国元の親も安心するだろう」 「ありがたきことにて」 「そう硬くなるな。もっと気楽にすればいい。この義朝のようにな」 「まだ輿入れから、ひと月も経っていない相手にそれは無茶な注文だと思うけど」 「そうか。うむ」  国元に為明からの贈り物が届けば、順調にいっていると安心させられる。案じる手紙の返事にも、そのことを書けると康頼は父や母、養育係や兄弟の顔を星空に浮かべた。 (空は国にも通じている)  いまごろ誰か、こちらのことを気にかけて、こうして星を見てはいないだろうか。もしもそうなら、大丈夫だと伝えたい。うまくいっているとは言いかねるが、問題はないと。 「そう言い切るってことは、今回は春の嵐に見舞われて、船が沈むようなことはなさそうなのかな」 「どうだろうな。唐船はやってきたが、そのほかは旅程が長い。どこかで難破をしないとも限らないが」 「輸入に頼る品が沈めば、困るよね」 「薬に関するものは困るが、それ以外ならまあ、いたしかたないとあきらめもつく。ギヤマンの器がなければ飢える……なんてことは、あり得ないからな」 「南蛮渡来の品を扱うものたちは、商売ができないと嘆くだろうけれどね」 「その場合は、別の品を商えばいいんだ。唐船は来ているのだから、南蛮の品のかわりにそちらを扱わせる。南蛮品のみを扱う店はないのだからな」  ふたりの話の内容は、なんとなくはわかるのだが理解までにはいたらない。ましてや口をはさむなどできようはずもなく、康頼はだまって、ふたりの会話を聞くしかなかった。 「そうなれば、唐船の品が取りあいになるね。値段も高騰する」 「そうならないように、気を配るしかあるまい。それよりも、義朝」 「はい」 「難破をする前提で話をするな。不吉だぞ」 「憂いを先に予測して、対応策を事前に用意しておくものでしょう」 「おまえは俺を無能だと思っているのか」 「まさか。有能だと思っているからこそ、どう考えているのかを知りたくて、話を振っているんだよ」  じゃれあいに似た会話に、ふたりの親密度が見える。十年以上も共に過ごしてきたふたりと、ひと月どころか半月さえも経っていない自分を比べてみてもしかたがないとはわかっていても、不安と焦燥、さみしさが湧き起こった。  気づかれないよう嘆息で酒を揺らした康頼は、星明りを含んだ酒を喉に流した。 「私たちばかりが会話をしているから、康頼がすねてしまったみたいだね」 「えっ」  突然に名を呼ばれ、顔を上げた康頼の顎が為明に掴まれる。 「すねているのか」 「そのようなことはありませぬ」  うろたえつつも否定をすると、ふうむと顔を寄せられた。 「素直に、すねていると答えるものもいないでしょう。私たちばかりで会話をしていては、孤独を感じてもいたしかたないこと。――さて、そのつぐないをしたいのだけど、康頼とはどんな会話をすればいいものか」  音もなく腰を上げた義朝が、滑るような足取りで康頼の背後に移った。 「聞けば、為明。あなたは一度きりしか、康頼とちぎってはいないんだって? 康頼はそれを、いたく気に病んでいるみたいだよ。どうだろう。ここは、体を使った対話をして、私たちの交友を深めるというのは」  耳を疑う発言に、康頼はビクリと硬直した。 「なんだ。康頼は俺に抱かれたかったのか」  率直に問われて真っ赤になった康頼のかわりに、義朝が答える。 「それは、そうでしょう。色夫は、そのために国元を離れるのだからね。たいていは三日と開けずに通われて、色夫としての務めを果たし、色事を覚えて体をなじませるものだというのに、康頼は初日のみしか相手にされていないんだから。不安になって当然だろう」 「そうだったのか」  すまなかったと目顔で言われ、康頼はあいまいな笑みを浮かべた。 (これは、どうすればよいのだ)  そのとおりですと答えていいのか、そんなことはありませんと否定して、日中の気遣いをありがたく受け止めていると言えばいいのか。 「そういうわけだから、今宵、この席を設けることにしたんだよ。康頼の不安を解消して、色夫としてなじめるようにと考えて」 「え」  スルリと義朝の手に帯を解かれて、康頼は目をまるくした。胸元がはだけられ、白く長い指が懐に差し込まれる。 「俺は、康頼がここになじんでからと考えていたんだがな」 「役割を果たせなければ、不安は募るばかりでしょう。今宵はたっぷりと、康頼をかわいがってあげないと」  ううむと迷う為明に、康頼は唇を引き結んだ。役目のためには、彼に抱かれなければならない。為明の寵愛を受けることが、国元の利益となる。そのために自分は育てられ、送られた。 (抱かれるのが、いやなわけではない。それが役目なのだから)  けれど、あの得体の知れない感覚を思うと羞恥がこみ上げてくる。慣れぬ体は金縛りに見舞われて、硬直した。 「もっと心が通いあってから、二の夜を迎えようと考えていたんだがな」 「そういうやさしい心構えは、いいと思うけれどね。そのせいで相手を不安にさせてしまったら、本末転倒だろう?」  義朝の手が康頼の着物を落とす。膝を割られた康頼は目を閉じた。耳元で艶やかな声が響く。 「さあ、為明。康頼と、言葉のいらない雄弁な会話をするとしよう」

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