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7.己の得手は

 目は冴えているのに、体が泥の沼に落ちたように重たくて、起き上がる気になれない。襖は閉じられたままだが、明るい光が窓から差し込んでいるので日中なのだとわかった。  やっと見慣れた天井をぼんやりとながめて、途中から失われている昨夜の記憶をたぐろうとして、やめにする。体中に火照りが残っている。体の内側は顕著で、しかし一度目のころにあった違和感はなかった。 (体が、なじんだのであろうか)  ふたりがかりで責められて、翻弄されるままに声を上げて身もだえた。熱っぽい為明の瞳を思い出すと、ゾクリと背骨に淫靡な悪寒が走った。 (あれを、寵愛を受けたと言っていいものか)  義朝にうながされて、為明がその気になっただけなのではと不安になったが、なにはともあれ抱かれたのだから、訪れのなかったころと比べれば進歩だと切り替える。 (とにかく、意識を失うほどにかわいがられたのだ)  ほんのりと頬を染めた康頼は、めくるめく官能の記憶に体を熱くした。色夫となるべく養育され、書物で基礎知識だけは得ていたが、想像を絶する体験だった。はじめての夜とは比較にならないほどに乱れ、快感に打ちのめされた。しばしば色におぼれると表現されるが、まさしくそうだったと体をまるめる。 (おぼれると言うほかに、表現のしようがない)  あるいは、嵐に呑まれたとでも言おうか。どちらにせよ、平静の呼吸などできなくなるのはおなじだ。息が詰まり、けれど嬌声はとめどなくあふれて、体の隅々まで触れてほしくてたまらなくなる。触れられ、求められているのに足りないと感じ、貪欲に熱を求めて身をくねらせた。  そんな自分の痴態を振り返った康頼は、あきれられてはいないかと心配になった。 (大丈夫だ)  ぞんぶんに挑まれたのだから、為明も満足をしてくれたはず。そんなことを考えている間に、目覚めたばかりの意識はゆっくりと体の気だるさに引きずられて沈んでいった。  そうして次に目を覚ますと、傍に人の気配があった。目を上げると、義朝が窓際で本を開いている。 「義朝殿」  出た声はひどくかすれていた。本から目を上げた義朝が親しみのこもったまなざしで、康頼の枕元に移動した。 「起き上がらなくてもいいよ。昨夜はずいぶんと無茶をしてしまったからね」  いいえと首を振って起き上がった康頼に、義朝はあたたかな苦笑を漏らして、水差しから湯呑になにかを注ぎ、康頼に差し出した。 「喉にいいものだよ」 「かたじけのうござる」  受け取って口をつけると、水分を欲していた体に酸味のある甘い液体が沁みた。一気に飲み干した康頼が水差しに目を向けると、察した義朝は二杯目を注ぐ。礼を言ってそれも飲み干した康頼は、ホッと息を吐くとあらためて礼を述べた。 「よきものを、いただきました」 「昨夜は、ずいぶんと啼かせてしまったからね」  さらりと言われて、康頼は真っ赤になった。あわあわと口をうごめかす康頼に、義朝はクスクス笑った。 「為明が心配をしていたよ。まだ二度目なのに無茶をしてしまったと。だから今日はゆっくりと、心ゆくまで休ませてほしいと頼まれたんだ。これも、為明からの差し入れだよ」 「そう、でござるか」  湯呑に目を落とした康頼は、やさしい為明の笑みをそこに見た。心の奥がわずかにうずいて、彼に会いたくなった。 「為明殿は」 「港に出ていったよ。見舞いに来たいけれど南蛮船が港に到着したから、しばらくは忙しくてこられないそうだよ」  うなずいた康頼はさみしさを覚えた。なにか、自分の中で不思議な変化が起きている。それは好意的に受け止めていいものなのか、忌むべきものなのか。 「康頼」  顔を上げると、義朝がいたわりの表情を浮かべていた。 「為明が君をとても大切にしているということは、わかったよね。あれほど夢中になって求められたのだから」 「夢中、で……ござるか」 「夢中だよ。まるで獣だったね。君が啼けば啼くほど興奮して、追い詰めて。意識を失うまで続けたんだから」 「あ……その、途中からは、よく覚えてはおりませぬゆえ」  目を伏せると、そうだろうねと気遣われた。 「でも、すごく気持ちがよさそうだったよ。為明にしがみついて、かわいらしい声をあげて」 「うっ」 「恥ずかしがることじゃない。色夫とは、それをするためのものだから。国主にかわいがられて、思うさま乱れてこそだよ」 「義朝殿も、そう……されて?」  おそるおそる康頼が問うと、義朝は小首をかしげて意味深に唇をゆがめただけで、答えなかった。 「とにかく。不安になる必要は、どこにもないよ。為明は君を大切に思っている。だから安心して、ここで暮らしていればいい。ここの人たちは、おおらかだからね。きっとすぐに君になじむよ」 「義朝殿のように、でござろうか」 「私よりもずっと、なじめると思うんだけどね」  そうだろうかと康頼は義朝を見つめた。昨夜、酒を酌み交わしながらの対話は、康頼の入り込めるものではなかった。世間話のようではあるが、聞きようによっては国政の情報を当たり障りなく聞き出しているとも取れる。 (どのような異国の船が入港し、どんな品が積まれているのかを知るのは、商いをする上で重要なことだ)  それを引き出し、いちはやく国元に知らせれば、交易のときにどのような品を求めるかの算段がつけられるし、どこよりも先に交渉をはじめられる。物量が分かれば値段の相談も、ほかよりもずっと優位に進められるだろう。 (そのような手腕を、それがしも発揮せねば)  須賀の国を富ませる使命を帯びて、ここに来たのだからと康頼は背筋を伸ばした。 (どのようにはじめればいいのか、皆目見当もつかぬが、とりあえず情報を得られるように、この館のもの等との対話などを心がけよう)  うん、と気合を入れた康頼に、義朝が目じりを下げる。 「おなかは空いていない? 体のどこか、痛いところは」  問われて、康頼は腹に手を乗せた。 「体はわずかに重うござるが、痛みはありませぬ。腹は、減っているのかいないのか、わかりかねまする」 「それなら、粥を用意させよう。それが呼び水になって食欲が出たのなら、なにか腹に溜まるものを食べればいいし」  腰を上げた義朝が襖を開けて、そこに控えていた世話役の男に指示をする。振り向いた義朝が襖を閉めようとするのを、康頼は止めた。 「開けておいてくだされ。病人ではないのに寝たままでは、居心地が悪うござる」  よろよろと起き上がった康頼は、傍らに寄った義朝に支えられて隣室へ移動した。障子の開けはなたれた部屋に、草木の香りを含んだ風がそよいでいる。そのまま縁側へ移動した康頼は高い空を見上げた。 「それがしは、ずいぶん長く眠っておったのですな」  太陽は中天を過ぎていた。 「それだけ疲れていたんだよ。途中で止めに入ろうかと思ったくらい、為明は夢中で励んでいたからね」  肩をすくめた義朝に、嫉妬の色は見えない。そういえば「お役御免というか、責務は果たしているからね」と、義朝は言っていた。 (だから、それがしを敵視しておられぬどころか、世話をしてくれるのだろうか)  そう思ってもピンとこない。色夫として、義朝は充分すぎるほどに魅惑的だと、康頼は美麗な彼を見つめた。 (長く相手を務めていたから、為明殿に飽きられたのか)  そしてあたらしく自分が輿入れをした。いずれは自分も飽きられて、次の色夫がやってくるのか。  身震いして、康頼は悪い考えをするなと自分を叱った。 (まだ来たばかりで、寵愛を受けているとも言えぬ立場でありながら、飽きられる日を想像するなど情けない)  深呼吸をして、康頼はまっすぐな目を義朝の上に置いた。 「義朝殿は」  言いかけて言葉を切った康頼に、義朝がやさしい瞳で先をうながす。迷ってから、康頼は口を開いた。 「このような質問をするのは、失礼かと存じまするが……その、役目を負えたという意味合いのことを以前、もうされましたな」 「うん、言ったね」 「そのことについて、なにか思うところがあるとか、そのようなことはござりませぬのか」  きょとんとした義朝の、思いがけない幼い表情に康頼も目をまるくする。しばらくそのまま見つめあい、義朝が吹き出して康頼は目をしばたたいた。 「私が嫉妬をしているんじゃないかって、心配しているんだね。やさしいなぁ、康頼は」 「や、やさしいなどと。その、色夫として競う相手であれば、それがしを面白くないと考えるは必定ではござりませぬか」 「うんうん、まあ、そうか。そうだね。普通はそうかもしれないな」  クックッと喉を震わせながら納得をする義朝に、妙な質問だったろうかと康頼は疑念を持った。 「大丈夫だよ。私は嫉妬をしていないし、むしろ康頼が来てくれてよかったと思っているんだ」  どういうことかわからない。質問を重ねようとした康頼は、膳を運んでくる男を見つけた。漬物と粥の乗った膳を見ると、空腹を感じた。 「さあ、康頼」 「かたじけのうござる」  箸を手に取り、康頼はサラサラと粥を口に入れた。胃袋が待ちこがれていたと反応し、食べている最中にもかかわらず盛大に腹が鳴った。 「や、これは」  恥ずかしくなった康頼に、義朝は「呼び水になったようだね」と笑いかけ、大福と茶を男に言いつけた。 「私も小腹が空いたから」  さりげない気遣いに恐縮しながら粥を食べた康頼は、次いで運ばれてきた大福の甘さに頬をゆるめた。 「じつにおいしそうに食べるね。見ているこちらの気持ちがよくなる」 「甘いものには目がなく」 「恥じ入ることはない。おいしいものを、おいしいと表現するのはいいことだ。そうやって、気負わずに自然に過ごしていればいいんだよ」  そう言われてもと言いかけて、康頼はやめにした。年端もいかぬころに色夫として故国を離れた義朝の気遣いを、無下にするのは失礼だ。 (当時の自分とそれがしを、重ねておられるのだろう) 「そのように過ごせるよう、精進いたしまする」 「精進するものじゃないと思うんだけどねぇ。そのために、為明は君を散歩に連れ出していたんだし」 「えっ」 「為明なりに、はやく康頼になじんでもらおうとしていたんだよ」 「そうでござったか」  ふくふくと心がくすぐられ、康頼は口をゆるめた。 「うれしそうだね」  指摘され、あわてて口元を引き締める。 「それは、そのためにこちらに参りましたゆえ」 「まあ、そうだけど」  もの言いたげな義朝の目がさみしげに曇って、康頼は切れた言葉の先を無言で求めた。 「為明のことを、どう思う?」 「どう、とは?」 「すくなくとも、きらってはいないようだけれど」 「好ききらいなど、色夫には不要の感情にござれば。ただ、望まれるよう励み、お仕えするのみにござる」 「そうなんだけど。それでも、きらいよりも好ましいほうがいいだろう」 「それは、まあ」 「それで? 為明をどう思っているのかな」 「どう……」  自分の内側に目を向けて、康頼は考えた。為明とはそれほど接していない。初日に相手をよく知らぬまま、これが役目と閨を共にした。慣れぬ康頼を為明は丁寧に扱い、気遣ってくれた。  翌日はタカ狩りに連れていかれた。狩りが終わるまでは、義朝と過ごした。その後の宴会では常に隣に置いてくれて、会話の合間にもあれこれと食べ物を勧めてくれた。  その次の日からは、仕事の合間の休息に散歩へと誘ってくれた。義朝とともに近くの道を歩いた。これといった会話をした覚えはない。ただ歩き、たまに景色や、ふと思いついたことについてなにかを言うくらいの、たわいないものだった。  そして色夫としての務めは、昨夜、義朝に誘われて彼の部屋に行くまではなかった。あのときに、為明はなんと言っていただろう。 (たしか、それがしがなじんでからとかなんとか)  思い出すと、体中がぼうっと火照った。ふわふわと心が浮き立ち、そんな自分にうろたえる。 (どうしたのだ、これは) 「為明は好ましいか、好ましくないか、答えは出た?」  そうっと目を上げた康頼は、すぐに目を伏せちいさく言った。 「好ましいと、存ずる」 「そっか」  よかったと漏らした義朝が、どうしてそんなに自分を気にかけてくれているのだろうと、康頼は気になった。 (長年、共に過ごしておられるから、案じておられるのだろう)  色夫の前で、為明は無防備な姿をさらす。それは康頼もおなじだが、立場が違う。他国からやってくる色夫は、こちらの情勢を探り国元へ知らせることができる。国交に対して影響を持てる立場だし、望めば家中に争いの火種を植えつけることも可能だ。 (もしや、義朝殿がそれがしを気にかけてくださるのは、監視も兼ねておられるのか)  そうだとしたら親切も腑に落ちる。義朝は色夫としての役目を終えて、こちらの出方を探りつつ、次の色夫として教育をする腹積もりなのだと考えれば、昨日の行為に理由がついた。 (昨夜の異国船の話なども、さりげなく情報を引き出しているわけではなく、補助的な役割を担っているのだとすれば)  国政に直接あれこれと口を出すわけではなく、会話をして考えをまとめるための存在になっているのかもしれない。  長くこの地にあって、為明と近しく過ごしていたのなら、自然と内政にも詳しくなる。そして書庫にあった書物をすべて読破しているのだとしたら、知識も相当のはず。色夫としてではなく、内向きの相談役となっているので「隠居生活」などと、前に言ったのではないか。 (だとしたら、それがしは競う必要もなく、義朝殿とも良好に親しめるのでは)  労せずして国元の期待通りに過ごせるのではと思いかけた康頼は、いいやと考えを否定した。 (ここ、相佐と親交を深めたい国はあまたある。それがしでは満足できぬと判断されて、別の色夫が送られればなんとする)  甘い考えは捨てるのだと、気を引き締めた。 「康頼? なにか心配事でもあるのかな」 「なんでもござらぬ。その、なんというか、為明殿にそれがしはお気に召していただけておるのかと、気になりましたゆえ」 「それなら、大丈夫。為明は康頼を好んでいるよ。その証拠に、明日には須賀に魚の干物や塩漬けなんかを贈ると言っていた」 「それは、ありがたい」 「礼を言うなら、為明に伝えるといいよ。その手配もいまごろ、しているだろうから」 「義朝殿は、なんでも存じておられまするな」 「なんでも、というわけではないよ。ここにいるのが長いから、越智前の人間というよりは、もうすでにこの国のものになってしまった感じかな。馴染みすぎて、いまさら越智前に帰れと言われても困るだろうなぁ」 「帰郷を命じられておられるのか!」  声を跳ね上げた康頼に、アハハと軽い笑いに交えて義朝は否定した。 「そんなことは言われていないよ。ただ、そうなったらって話だから」 「いままで、こちらに色夫として送られて、帰された方はございまするか」 「いるよ」  さらりと答えられ、康頼の心臓は縮んだ。 「あれでも、為明は人の好ききらいがハッキリとしているからね。気に入らないとなれば、受け取らない。だから、受け取った康頼のことは気に入っているということだ」 「なにを気に入られたのかが、わかりもうさぬ」 「それは、為明に聞いてみないことにはね。私にもわからない」 「長年、共にあってもわかりかねるのでござるか」 「心の中まで見えるわけではないからねぇ」  そう言って、義朝は視線を空に投げた。それを追った康頼の目に、ぽかりと浮かぶ綿雲が映る。 「さて。それじゃあ、そろそろ私は行くよ。為明に、なにか伝言はある?」 「伝言?」 「そう。これから、為明のところに行くから」 「仕事で、忙しくなされておられるのでは?」 「だから、その手伝いをしにね」  なにげなく言われた言葉に、康頼は衝撃を受けた。みぞおちのあたりが痛んで、眉をしかめる。 「康頼?」 「なんでもござらぬ。まだ、本調子ではないようで」 「そうか。それなら、ゆっくりやすんでおくといい。なにか、欲しいものは」 「ござりませぬ。伝言も、とくには」 「わかった。それじゃあ、無理をさせた元凶の私が言うのもなんだけど、ゆっくり体をいたわって」 「お気遣い、感謝いたす」  うんとうなずいて去っていく義朝の背を見つめ、康頼はみぞおちをさすった。 (この感情は、なんだ)  膿んだ傷に似た痛みを抱えて、康頼は首をかしげた。

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