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10.殿の仕事ぶり

 はじめて目にする異国船の大きさに、康頼は圧倒された。山国育ちの彼が知っている船と言えば、人や荷物を向こう岸に渡す程度のものだった。大量の荷物を川伝いに別の場所へと運ぶ船もあるにはあったが、色夫となるべく育てられた康頼は見たことがなかった。たとえそれを見ていたとしても、異国船の威容には目を見張っていただろう。  間近から船を見上げた康頼は、ポカンと口を開けていた。目は好奇心に見開かれ、視界に入りきらない船体を見つめている。義朝は気が済むまでながめさせようと、黙って康頼の好きにさせていた。  船から、いくつも箱が降ろされている。書類を手にしたものが荷札を確認して指示を出し、人夫の手でいずこかへ運ばれる。 (あの箱の中に、異国の品が詰まっておるのだな)  港には異国人の姿もあった。がっしりとして背が高く、肌が白い。髪の色も黒ではなく、金色や淡い茶色、赤い色などさまざまだった。  赤い髪の異国人を見た康頼は、ふっと為明を思い出す。 (為明殿は異国の血が混ざっておられるゆえ、髪が赤いと聞いておったが)  為明よりもずっと鮮やかな赤い髪をしている青年を見つめていると、視線に気づいた青年がこちらを見て笑いかけてきた。とっさに頭を下げた康頼の横で、義朝が軽く手を振る。青年は手を振り返すと、すぐにふたりから視線を外して仕事に戻った。 「異国人は、変わった着物を召されておられる」  康頼が感想をもらすと、そうだねと義朝がのんびりと答えた。体にぴったりと添う服は動きづらくないのだろうかと、康頼は異国人の恰好を観察した。 (しかし、袖が邪魔にならぬのはよいかもしれぬ)  たすき掛けをしなくとも問題ない。そのかわり、物を袖や懐に入れられない。だから腰に物入れを下げているのかと、熱心に異国人の仕事ぶりをながめた。 「あの異国人たちは、荷を下ろせばすぐに帰国をするのでござろうか」 「この先に宿や商館があるから、そこでしばらく休息をして、帰路用の物資や輸出品を詰め込むんだ」 「なるほど」 「荷物に間違いがないか、調べたりもしなくちゃいけないしね。それに、交易についての対話や、異国の情勢も聞いておかなければならない。それを直接、自分の耳で知りたいから、為明は国主でありながら商館長や船主と対話をするために、船が港に入ると出向くんだ」 「為明殿は、異国の言葉を聞きとれるのでござるか」 「対話はできるみたいだね。筆記のほうは、まだまだ勉強中らしいけど」 「なるほど」  それでは自分が洋学を身につけて役立とうとしたのは、無駄とは言わないまでも不要の努力となりえたかもしれないと、康頼は船を見上げた。空に刺さりそうなほど高くマストが伸びている。 (このような船を建造できる国とは、いかな場所であろうか)  きっと想像もつかない文化があるはずだ。そんな国と交渉をする為明が、とても遠い存在に思えてさみしさを覚えた。 「あ」  視線を地上に戻した康頼が声を出す。 「ん?」 「為明殿が」  視線がふいに吸い込まれた先に、為明の姿があった。ひげを蓄えた壮年の異国人と談笑している。 「よく見つけられたね」 「為明殿は、目立ちまする」 「ふうん。まあ、ふだんなら背も高いし髪も赤いから目立つけれど、異国人のなかではそうでもない気がするなぁ」 「なんというか、目を惹くというか、自然と視線がそちらに行きませぬか」 「康頼は、そうなんだ?」 「義朝殿は長く傍におられるゆえ、そのようなことはござらぬのか」 「どうだろうね」  ニヤつかれて、康頼は首をかしげた。 「せっかく為明を見つけられたんだから、声をかけてこよう」 「邪魔になりませぬか」 「すこしくらいなら、平気だよ」  義朝に手を引かれるままに、康頼は為明へと歩いていった。気づいた為明が目をまるくし、ついでなにか異国人に言葉をかけて、彼がどこかへ去ってからこちらに来た。 「ふたりとも、異国船の見物か」  そう言いながら、為明は繋がれているふたりの手を見て眉間にシワを寄せた。 「はぐれてしまっては大変だろう? うっかり康頼が、かどわかされたら困るからね」  繋いだ手に力を込められ、康頼はいたずらっぽい顔の義朝と不愉快をにじませる為明を見比べた。 (なにか、お気に召さぬのだろうか) 「康頼」  為明に手を掴まれて、引き寄せられる。義朝と手が離れ、康頼は為明の腕の中に入った。 「異国船を見るのは、はじめてだろう。どうだ?」 「あまりにも大きゅうて、すべてが視界におさまりませぬ」 「そうだろう、そうだろう。何か月も海の上を行く船は、そのぶん人員も多くいる。人員が多くいれば、食料なども相応に準備しなければならない。見渡す限り海という景色の中を進む異国船は、日本の船とは構造そのものが異なっていて、おもしろいぞ」 「何か月も」  つぶやいた康頼は船に目を戻し、異国の人々に目を向けた。彼等は何か月も水の上に浮かんで生活をしていたのかと、奇妙な感覚におちいる。 「想像がつきませぬ」 「そうか。俺も、地図の上で知っているだけで、想像がつかない。船の上で生活をしたことがないからな。だが、彼等の話を聞くのはおもしろいぞ。この国では見られぬ動物の話や、人々の営み、食べ物、出来事などが繰り広げられている。もっとも、異国のものからすれば、こちらの生活は珍妙に思えるだろうが」  うなずいた康頼は、着ているものすら違うのだから、生活習慣もかなり違ったものだろうなと考えた。 「せっかく来たんだ。船に上がってみるか」 「えっ」 「上るくらいならいいだろう」 「いえ、それは」  興味はあるが、これほど大きな船に乗るのは恐ろしくもある。尻込みをする康頼に、義朝が「せっかくの機会ですし」と勧めた。 「私は、このあたりで適当に過ごしておくから。康頼は異国船の甲板を散歩してこればいい」 「どうだ、康頼」 「はい。それでは」  すると為明が聞きなれぬ言葉を発し、やってきた異国の男と短くやりとりをした。異国の男は康頼に笑いかけ、どうぞと手のひらで船を示す。 「中に入ることは無理だが、乗る程度なら問題ないそうだ」  しっかりと為明に腰を抱かれて、船と陸をつなぐ板の橋に似たものに足をかける。 「この舷梯は、異国語でタラップと言うんだ」 「たらっぷ」 「そうだ。ハシゴの場合もあるし、このように板を渡すこともある」  板には滑り止めなのか、横木が等間隔で止められていた。ふたりがやっと通れる程度の幅しかない舷梯を、康頼は為明に腰を抱かれて登りきる。 「なんと」  船の上は、ずいぶんと広かった。為明の手を離れ、康頼はふらふらと中央に進む。マストがそびえ、太い縄が置いてある。海の上だが揺れは感じず、康頼は振り返って陸地を見た。 「どうだ」 「これは、まるで城にござるな」 「城か。はは、それはいい。異国から船という名の城が来て、この国と交易をする。うん、なるほど。船は移動可能な出城か」  例えが気に入ったらしく、上機嫌に繰り返した為明の笑みがまぶしい。康頼は胸をときめかせ、そんな自分の反応をいぶかしんだ。 (この、浮き立つ心はなんだ)  珍しい異国船に乗ったからではない。原因は為明だ。だが、それがなにを意味するのか、康頼は知らなかった。 「康頼」  来いと手を差し伸べられると、よろこびに包まれた。腕を伸ばして手を掴まれて、甲板のあちこちを歩き回る間、船よりも為明の顔ばかりを見てしまう。 (これは、いったいどういうことか)  陥落しなければならない相手をより深く知るために、表情の変化に気を配っているのだと結論を出す。 「ほら、康頼」  うれしそうに為明は船に関するあれこれを教えてくれる。腰を抱かれ、引き寄せられると心音が大きくなって説明に集中ができない。離れたいのにもっと強く抱きしめられたいと、矛盾した感情が康頼を包んだ。 (磯の香り)  ふと思い出して、為明の体から匂わないかと鼻をうごめかせてみたが、空気がすでに海の匂いなのでわからない。 「どうした」 「いえ……義朝殿が、海の香りは肌に残ると」 「ああ。屋敷に戻っても、海の匂いはするな」 「為明殿の肌の奥には、その匂いが染みついておられると」 「うん? まあ、子どものころから海にはなじんでいるからな。そうかもしれないが」  康頼が鼻を近づけると、為明はおどけた顔で胸元をくつろげた。 「どうだ。匂うか」 「わかりませぬ」 「ここは、海の匂いだらけだからな」  康頼の顎が、ついっと持ち上げられる。 「俺が海の匂いなら、康頼は山の匂いがするのか」 「土臭い、ともうされるか」 「そうじゃない。野山の、馥郁としたあたたかな香りがするのかと思ったんだ」 「海の匂いの中なれば、顕著に出るやもしれませぬな」  たわむれに康頼も胸元をくつろげれば、そこに為明の顔が落ちた。息が鎖骨にかかり、ドキリとする。 「為明殿」 「海の匂いが強すぎて、わからないな」  ささやく息に肌を撫でられ、康頼の体温が上がった。為明の瞳が艶やかに妖しく光る。ゴクリと喉を鳴らした康頼が目を閉じると、唇が重なった。 「ん」  下からすくい上げるように舌で唇をなぞられて、口を開く。為明の舌は康頼の前歯をくすぐるだけで、その奥に入ろうとしない。もっと深いものを求めて康頼が舌を伸ばすと、軽くつつかれた。 「んっ、ん」  そのまま伸ばせば、唇で舌を噛まれた。キュッと吸われて、官能が喉を滑り落ちる。 「んっ、ふ」 「康頼」  かすれた声音に肌の熱が上がり、康頼は濡れた目を開けて為明を見た。情熱を含んだ為明の瞳に見据えられ、康頼の心がうずく。 「為明殿」  胸深くに抱きしめられて、康頼は為明の肌の匂いを嗅いだ。熱い肌に目を閉じて、身をゆだねる。しばらくそうして抱きあうと、為明は康頼を離した。 「為明殿?」 「そろそろ降りるか。須賀の国に送るものを選ばなければならないし、商館長も俺がくるのを待っているからな」  わずかに火照った肌が、さみしいと訴える。それを抑えて、康頼は「はい」と答えた。  為明は康頼の手を引いて甲板を歩く。康頼はぼんやりと、さきほどの心の動きに意識を向けていた。 (なにか、おかしい)  船を降りると、義朝が近づいてきた。 「それじゃあ、康頼のこと、くれぐれも頼むぞ」 「わかっているよ。安心して、仕事をしてこればいい」  為明の手から義朝に託された康頼は、大股で去っていく為明を見送った。 「そろそろ歩き疲れただろう。どこかの店に入って、休もうか」 「――義朝殿」 「ん?」 「それがし、妙でござる」 「なにが」 「よくは、わかりませぬ。なれど、妙なのでござる」 「うーん。なにがどうして、どう妙なのか。わからないなりにきちんと説明をしてくれるかな」  自分で把握しきれぬものを、相手に伝えられるのか不安になって視線を落とす。 (なれど、聞いていただける相手は、義朝殿のほかにはおらぬ) 「とりあえず、ここではなんだから。どこかの店に落ち着こう」  ほらほらとうながされ、康頼は港から離れた。為明の去っていった方角に顔を向け、船上での口づけを思い出しつつ義朝に手を引かれて料理屋の二階へ上がった。

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