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11.殿の心と自分の気持ち
料理屋に上がるなどはじめてのことだが、それよりも自分の抱えているもののほうが重大で、康頼は部屋に端座すると押し黙った。義朝が茶と団子を注文し、窓の外に目を向ける。
すぐに茶と団子が運ばれて、店のものが襖を閉めると、義朝が口火を切った。
「それで、なにが妙なのかな。船の上で、なにかあった?」
康頼は視線を上げたり下げたりしながら考える。
「まとまらないのなら、そのまま言ってくれればいいよ。もうずっと昔のことだけど、私も色夫として送られた身だからね。来たばかりのころの気持ちを、すこしは察せられると思うよ」
むうっとうなって、康頼は重い口を開いた。
「胸が、妙なのでござる」
「胸?」
「動悸が激しく、落ち着きませぬ」
「それは、長く歩き回ったからかな」
「そうではござらぬ。なんというか、為明殿の傍にいると、そのようになるのでござる」
「為明の」
コクリと首を動かして、康頼は団子に手を伸ばした。
「なにやら、この団子を食したがごとく、ふっくらとした心地になることもあれば、動悸が激しく落ち着かぬようになることもござる」
「それで?」
「それで……その、よく、わかりませぬ」
「触れたいとか、触れられたいとか、そういう感情は?」
「それは、色夫としての役割をまっとうするために、必要なことと考えておりますれば」
うーんと天を仰いだ義朝が「想像以上に無垢だったか」とつぶやいた。
「いかがなされた」
「なんでもない。こっちの話だよ」
「はあ」
奇妙な顔をして、康頼は団子をほおばった。焼き目のついた団子に、たっぷりと餡子が乗っている。ふわりと口内に広がる甘さに頬をゆるめる康頼を、義朝は苦味を帯びた笑みで見つめた。
「船は、どうだった」
「む?」
「異国の船に乗った感想は?」
「それは、とても広うござった」
「ほかには」
「帆がとても大きく、柱も太く、丈夫な縄がいくつもござった」
「船からの景色は? たっぷりとたのしんだんだろう」
「それは」
口ごもった康頼に、義朝がニンマリする。
「ほかに、なにか気になることでもあったのかな」
ほんのりと康頼の目じりが赤らんだ。
「言ってごらん?」
「その、義朝殿のもうされた、為明殿の香りの話となり、身を近づけることとなりましたが海の匂いのする場では、わかりかねましてござる」
「その後、どうなったの」
「今度は、それがしの匂いは山の香りがするのではと言われ、為明殿がそれがしの肌に鼻を寄せて」
声をだんだんちいさくし、うつむいた康頼はポツリと「接吻いたした」とこぼした。
「色夫としては、それは別に特別なことじゃないし、私相手に恥じる内容でもないだろう」
「なれど」
「前にも言ったけど、私はもう色夫としての役割を終えているんだ。だから、遠慮をすることなく、相談も質問もしてくれればいい。いまは為明の話し相手でもあり、康頼の世話係でもあるのだから」
「世話係などと、そんな」
「そうしてくれと、為明から頼まれているんだよ」
「為明殿に」
「そう。だから、気にしなくてもいい。嫉妬なんてしないから」
まじまじと義朝を見つめ、康頼は問うた。
「義朝殿は、未練がござらぬのか」
「未練。為明に?」
そうだと康頼が真剣な顔で前にのめると、アハハと軽く笑われた。
「未練なんて。もう、そんな関係じゃないからね」
それを康頼は、切れることのない絆に対する信頼と把握した。ズシリと胃のあたりが重くなる。冷たい石を腹に抱えた気分になって、茶を喉に通した。
沈黙がふたりの間に落ちる。団子を食む音と、茶をすするかすかな音だけが部屋の中にあった。窓から入り込む人の声が耳につく。
「国主である為明が、みずから商館長と対話をするのは、どうしてだと思う?」
「え」
「対話をするにしたって、商館長が為明を訪ねるのが一般的だろう。それなのに為明は港に出向いて、商館長と会うどころか船乗りたちとも気安く交わる」
「それは、己の目で確かめたいからではござらぬか」
「康頼の父君は、そういうことをする人なのかな」
すこし考え、いいえと否定する。
「異国の方がお見えになることはござらぬが、他国の使者が来た場合は、迎え入れるのみで、足を運ぶことはござらぬ」
「それが普通なんだよ。たとえ相手が異国の使者であってもね。だけど、為明はそうしない」
うむ、と首を揺らした康頼は理由を考えた。
「やはり、己の目で確かめたいからとしか思えませぬ。百聞は一見に如かずともうしまする。それゆえ、為明殿は出かけていかれるのでは?」
「国主が出向けば、軽んじられる可能性もあるのに?」
「それは、きちんと敬意を払う相手であるとわかっておられるからではござらぬか。互いの立場を理解し、その上で為明殿の来訪を光栄と感ずるからでは」
「うん。まあ、それもあるかな」
「ほかに、なにがござる」
「私から言うのも、おかしいかもしれないけれど」
そう前置きをして、義朝は為明の出生について語りはじめた。
「彼はね、庶子なんだよ」
「しょ、し」
すぐに漢字が浮かばなかった康頼は、目をまたたかせた。じわじわと意味が浸透し、ハッと息を呑む。目を伏せた義朝が湯呑を両手でもてあそびつつ、微笑を口許にただよわせた。
「彼の髪は赤いだろう。それは、相手が異国の……来航した公使だったからだよ」
康頼は、じっと義朝の口許に視線を据えた。
「庶子、というのもすこし違うかな。母親が先代国主の妹なんだ。彼女と、南蛮からやってきた公使が結ばれて、為明が生まれた。先代国主には子どもがいなくて、親族の中から跡継ぎを決めることになって。その中で、為明が選ばれたんだ」
「ほかにも、候補がおられたと?」
「先代には、為家という名の年の離れた異母弟がいるんだ。彼が次代の国主になると誰もが思っていた。私はそのころに色夫として送られたのだけれど、為明のもとではなく、先代の弟……つまり、為明の叔父を相手にしていたんだよ」
義朝の目が暗い色を帯びる。康頼は口をつぐみ、独白に変わった義朝の声を聞いた。
「為家殿も自分が国主になるものと考えていた。周囲もそうだと決めつけていた。赤い髪の、異国の血を引いた為明が跡目を継ぐはずがない。だから為明は家臣の子どもと変わりない扱いをされていた。よく言えば、自由に過ごせていたんだ」
茶で唇を湿らせて、義朝が続ける。
「簡素な着物を身につけて、釣り竿をかついで遊びに出たり、異国船が入港したと知れば遊びに行ったり。そんな中で、為明は自然と異国語になじんでいった。公使の血を引く子どもだから、向こうは為明を丁重に扱ったよ。商館に行けば大人はやさしく接してくれる。いくら異国と交易をしていて、異国人を見慣れていると言っても、全員が親しく接しているわけじゃない。異国の血を引く為明に、心の中では嫌悪や畏怖を持つものもいる。――子どもは、そういうものを敏感に、無意識に察してしまう」
相づちを打って、康頼も茶で喉を潤した。為明の笑顔に隠された影の存在をもっと詳しく知りたくて、耳をそばだてる。
「のびのびと過ごせる場所だったんだと思う。そう聞いたわけではないけれど、そういうものだったんじゃないかな。商館には珍しいものがたくさんあって、飽きることもなかっただろうし。そのうち、だんだんそこで過ごす時間が長くなっていった。彼等ともっと会話をしたくて、為明は言葉を勉強して、通詞がいらないくらい堪能になった」
顔を上げた義朝は、窓の外に目を向けた。人々のざわめきが潮騒のように部屋へと届く。
「そうなると、国主は為明がいいのではという声が上がりはじめた。異国の人間と対等に会話のできる国主であれば、国の意向を間違いなく伝えられる」
うん、と康頼が首を動かす。
「それなら、国主の補佐になればいい。為家殿を国主にし、為明を相談役として置けば問題はない。そんな声も上がった。そこからはまあ、いろいろあって……最終的に先代国主は、為明に継がせると決めたんだ」
義朝の視線が康頼の上に乗る。さみしげな微笑に、康頼はとまどった。
「義朝殿は、なにゆえいまは為明殿の色夫となられておられるのですか」
「色夫は、国のために尽くすもの。私は越智前の国のために送られたから、国主が為明に決まれば、為明に献上されてもおかしくはないだろう」
「なれど、一度は為家殿なるお方の色夫となられたのでござろう? それを……その」
「言いたいことはわかるよ。だけど、私たちはそういう存在なんだ」
わかるだろう? と目顔で問われて、康頼は言葉を喉で止めた。
(そうだ。相手が誰であれ、国のために尽くすのが色夫としての役目。ならば国元がそのようにせよと決め、相手方がそれでよいと受け入れれば、身の置き所は変わる)
こちらの希望など関係なく、国の利益になるように扱われる。そして誰を相手にしようとも、国元のために尽力をする。それが人質の意味合いも持つ色夫という献上“品”の仕事だ。
(それがしは、割り切れるだろうか)
為明ではなく、別の誰かに尽くせと命じられて、気持ちが切り替えられるのか。
即座に「否」と心が叫ぶ。
「それがしには、切り替えなどできかねまする」
「為明が好ましい?」
やんわりと問われて、康頼はうなずいた。為明の声や笑みを思い出せば、胸がふっくらとあたたまる。
(ああ――そうなのだ。それがしは、為明殿が好ましい)
任務のために彼に好かれようとしていたはずが、いつの間にか自分の望みになっていた。いつから、どうしてそうなったのかはわからない。
(為明殿が、好ましい)
言葉が、すとんと体の内側に落ち着いた。
「なぜかはわかりませぬが、それがし、為明殿が好ましゅうござる」
あらためてきっぱりと言い切った康頼に、それはよかったと義朝が頬をゆるめた。
「まあ、そういうわけで。為明は公使の血も引いているし、彼等にもなじんでいるから、自分の足で商館に赴くんだよ。いまだに、混血の為明を国主と認めない人もいるからね。そういう雰囲気のない場所で過ごすのは、息抜きにもなるんじゃないかな」
「そうでござったか」
深く噛みしめる康頼に、義朝は安堵をにじませて目を伏せた。
「康頼には、そういう為明の過去を知っておいてもらいたかったんだ。これから長く過ごすことになるからね」
「だから、港にそれがしを誘われたのでござるな」
「そう」
「為家殿はいかがなされておられるか、聞いてもよろしゅうござるか」
義朝は目をさまよわせて腰を上げ、窓から遠くに視線を放った。焦点の定まらない茫洋とした目つきに、康頼は冷たい予感をよぎらせる。
(まさか)
「奥の院と呼ばれている、ここからすこし離れた山の中に屋敷を作って、そこで暮らしているよ」
生きているのかと安堵した康頼は、問いを重ねた。
「会いたいと、考えてござるのか」
「どうして、そう思う?」
「なにやら、恋しゅう思われているように見受けられましたゆえ」
クスリと鼻を鳴らして、義朝は首を振った。自嘲めいた笑みが口許に漂っている。
「恋しい、という気持ちとは、ちょっと違うかな。色夫としての初仕事の相手だから、なつかしくはあるけれど」
「それだけにござるか。為明殿に遠慮をして、そのようにもうされておられるのではござらぬか」
「違うよ」
おだやかに、けれどはっきりと否定した義朝の目から、暗い色が消えていた。
「私は為明の色夫だ。為明が即位をする直前からいままで、ずっと傍にいた。為家殿の色夫として尽くした年月よりも長く、為明の傍でいろいろなことを見聞きしてきた。私たちの間に、遠慮なんて言葉はないくらいに親しんできたんだよ」
重く鈍く、康頼の胸が痛んだ。ギシギシと心がきしみ、硬くなる。
(それがしの入り込む余地のないほど、ふたりは親密でおられる)
それなのに義朝は、康頼を排除しようとするどころか、為明に近づけたがる。その理由が康頼にはわからない。
「さて。私の話ばかりになってしまったな。なにか用があって、私の部屋に来たんだろう? 遅くなってしまったけれど、ここなら誰の耳目もないから、遠慮せずに聞いてくれればいいよ」
硬化した康頼の心は、昨夜から今朝にかけて抱えていた気持ちを吐露できなくなっていた。やさしい瞳で義朝は待っている。
「それがしは」
言いかけた康頼は湯呑を手にし、グウッと一気に飲み干すと立ち上がった。
「二杯目を、所望いたす」
襖を開けて声をかけ、座り直した康頼は考えた。
(それがしは、どうすればよい)
さまざまな気持ちや言葉が渦巻いて、掴もうとしても指の間をすり抜けてしまう。義朝は黙って、康頼の考えがまとまるのを待っていた。
茶のおかわりが運ばれて、店のものが去っても康頼の考えはまとまっていなかった。
(それがしは……為明殿が好ましい)
おそらくは為明も、いまのところは自分に好意を抱いてくれているらしい。でなければ、あちらこちらに誘い出してくれたり、異国船に乗せてくれたりするはずがない。
(やさしい方なのだ)
色夫は人質とおなじ。自分の思うさま、好きなように扱ってもいい“献上品”なのに、為明は気遣ってくれる。そのやさしさに、おおらかな笑顔に、惹かれてしまったのだと康頼は理解した。
(あの方のまとっておられる空気が、心地よい)
国のために務めを果たすと気負っていた意識の奥、本能的な部分で好意を抱いていたのだと気がついた。彼の色夫となれたことをよろこぶ気持ちが、腹の底でふくふくと笑っている。だからこそ求められたい気持ちが強い。彼に欲しがられるための技を得たい。誰よりも思われる存在になりたい。
それを義朝に相談するつもりでいた。
しかしいま、それを告げてもいいものか。
康頼は悩んだ。
(さきほどまで、それがしは己の気持ちを把握できておらなんだ)
任務のためとしか考えていなかった。求められたいという強い願いは、責務をまっとうするためだと思っていた。そのために義朝に教えを乞いたいと望んで、彼の部屋を訪ねた。
その気持ちが微妙に変わっている。心の底から慕わしく思っているから、好かれたい。
(義朝殿は協力的ゆえ、望めば応えてくださると考えたが、短慮であったやもしれぬ)
為明とは遠慮などない関係だと言い切った義朝は、本心では康頼をうとましく感じているのではないか。為明が受け入れているから、表面上は親切にしているだけで、胃の腑は嫉妬で煮えているのかもしれない。
(それがしが義朝殿の立場であれば、そうなる)
それをおくびにも出さないでおけるほど、義朝は苦労を重ねた。
(目元を暗くして語られたのは、それほどに辛い経験をなされたからだ)
表面上は優美に、おだやかに満たされて過ごしていると見えても、その裏側になにがあるのかはわからない。自分が国主になるつもりでいた為家と、思いがけず国主になると決まった為明との間にいた義朝は、想像もつかない苦労をしたに違いない。その中で為明を呼び捨てにできるほど彼と親しみ、どのような絆を育んできたのか。
美貌の奥からにじみ出る義朝の妖艶な気配に、蜜夜を連想した康頼の腹の底で、嫉妬の釜がグラグラと煮え立った。
(言えぬ)
相談などできるわけがないと、康頼は口をつぐんだ。かわりに別の話題を持ち出す。
「それがしの国元から、義朝殿とも交友を深めよと文がまいりました。そのようなものがなくとも、義朝殿はそれがしが頼れる唯一の相手。なれば、もっとこちらから親しむようにせなばならぬと考えたゆえ、朝餉を共にと思うたしだい。――なれど、どのような話をすればよいのか、すこしも思いつけずに気を使わせてしまいもうした」
もうしわけないと頭を下げると、なんだそんなことかと義朝は肩の力を抜いた。
「為明からも頼まれているし、私も康頼と仲良くなれたらと思っているから。あんまり難しく考えずに、気楽に接してくれたらいいよ。為明もはやくなじんでもらいたくて、散歩に誘ったりしているんだから」
「大切に扱われ、ありがたく存ずる」
「そんなに、かたくるしい態度を取らなくてもいいよ。もっと、気楽に。いまは異国船がいるから、散歩に誘われはしないだろうけど、出航したらまた、どこかに誘われるんじゃないかな。それまでは私と、街のあちこちを見てまわるとしようか」
「よろしくお頼みもうす」
頭を下げた康頼は、為明が今宵、閨を訪れてくれはしないかと考えていた。
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