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13.もっと知りたい

 昼過ぎまでのんびりと部屋で過ごした康頼は、しあわせを噛みしめていた。  昨夜は深く強く為明に求められ、受け止めた。肌に残る余韻や気配を味わいながら気だるさを抱えていたが、いつまでも寝ていてはよくないだろうと部屋を出て、義朝を訪ねた。 「やあ、康頼」 「お邪魔ではござらぬか」 「全然。どうぞ、入って」 「失礼いたす」  壁に背をあてて本を読んでいた義朝の前に座して、康頼は切り出した。 「また、街に連れて行ってはもらえませぬか」 「街に? 港じゃなくて」  いたずらっぽい光が、義朝の目に浮かぶ。康頼はわずかに身じろぎ、「港に」と照れをにじませてつぶやいた。 「うん、いいよ。私も退屈をしていたところだから」  気軽に応じた義朝が立ち上がり、彼の後に続いて外に出る。 「昨日は、為明が来ていたんだろう」  ふわりと康頼の頬に朱が差した。 「よかったね」 「は、はぁ」  照れくさくて、素直に「はい」と言えない康頼は、そうだと顔を上げた。 「義朝殿に、聞きたいことがござった」 「なに」 「その……睦事の指南書などがあれば、お教え願いたく」 「指南書?」  立ち止まった義朝にまじまじと見つめられ、康頼は真っ赤になって顔を伏せた。それでも義朝の視線はゆるむことなく、康頼を凝視している。  ややあってから――。 「なにか、あったの? 昨夜」 「いえ。その、なんともうせばよいのか」  義朝みたいに妖艶な雰囲気を手に入れる、とまではいかなくとも、もっと為明を心地よくできる術を手に入れたい。彼にされるがままになるしかなかった昨夜を思い出し、己の未熟を悔しく思う。 (それがしも、為明殿になにかをしたい)  その技を知りたい。 「色夫として務めるための、技術や知識が欲しいってこと?」  それよりも自分の気持ちが大きいのだが、そういうことにしておこうと康頼は首肯した。  うーんと義朝が腕を組み、片手を顎に当てる。 「指南書というか、艶本ならあったはずだけど……参考になる気はしないな」 「そうでござるか」  肩を落とした康頼に、ずいと義朝が顔を近づける。 「また、三人でする?」 「えっ」 「実地で教えてあげられるけど」  クスクスと笑われて、康頼はアワアワと唇を震わせた。 「冗談だよ」 「よろしくお願いいたす」  ふたりの声が重なって、同時にキョトンとした。 「本気で、する気があるの?」 「じょっ、冗談でござったか!」  また声が重なり、ふたりは吹き出した。ひとしきり笑いあってから、義朝が歩きはじめて康頼は続く。 「まったく。そんなに気負わなくても、為明はちゃんと君をみとめているよ」 「そういうことではなく、もっとこう……なんというか、それがしの未熟が情けなく、己がふがいないのでござる」 「未熟なのは、しかたがないだろう。昨日で、ええと、まだ三度目なんだから」  指折り数えられて、康頼はグウッとうなった。 「勉強をしろと、為明が言うはずはないし」 「それがしが未熟では、為明殿にご満足いただけぬのではないかと」 「気にしすぎだよ。まあ、来たばかりだから考えすぎてしまうのも、しかたがないかもしれないけれど」  街並みが見えてきて、自然と会話は途切れた。道行く人々や店をながめつつ、港へ向かう。荷下ろしは終わったらしく、人夫の姿はすくなくなっていた。その代わりに異国船を見物に来たものや、そういう人出を目当てにしている売り歩きや芸人の姿が増えていた。 「やはり、祭のようでござるな」 「にぎやかだよね。みんな、どこからやってくるんだろう」  飴売りが近づいてきて、義朝はそれをふたつ買った。ひとつを康頼に渡す。 「や、これは」  べっこう飴を口に入れて、ふたりはブラブラと散策した。海の匂いを肺に満たして、康頼は為明を想う。 (海の匂いは、為明殿の匂いに似ておる。が、そのものではない)  彼の匂いは彼にしか出せないものだと、康頼は昨夜の情熱的なたわむれを思い出して赤くなった。そんな康頼を、義朝はあたたかなまなざしで見守っている。 「あ」  康頼の視線が流れ、一点で止まった。義朝もそちらに目を向け「ああ」と口の端を持ち上げる。康頼が見ている方角に、異国人と会話をしている為明がいた。 「やはり、為明殿は目立ちまするな」  自然と目が向いてしまう。それは想いのなせる技だと、康頼は知らなかった。 「そう?」  気づいている義朝が、ほほえましく康頼の笑顔をながめる。 (あんなふうに、笑われるのだな)  なにやらたのしそうに会話している為明を、康頼はじっと見つめた。為明とともにいるのは、若い金髪の青年だった。背丈は為明とおなじほど。体にぴったりとした洋服を着ているので、たくましく盛り上がった、ぶあつい胸をしているのがわかる。太もももみっしりと肉が詰まっていた。 「異国の方は、あのように体のおおきな方が多うござるのか」 「背丈は、私たちの平均よりも高い人が多いみたいだね。体つきは、鍛え方じゃないかな。まあでも、牛の肉なんかを食べるらしいから、そのあたりで体格が違ってくるのかもしれないなぁ」 「牛を?」  康頼は目をまるくする。牛は田畑を耕したり荷物や人を運ぶための労働力で、食べるという発想がない。 「そう。南蛮人は牛の肉を食べるし、乳も飲むんだよ。とても美味で、滋養があるのだとか」  ふうむと康頼は考え込んだ。 (牛も獣であるならば、猪のように食せようが。しかし) 「無理して納得をしなくても、いいんじゃないかな。遠い海を渡ってきた人たちと、私たちの生活が違っていても不思議じゃないよ。ここ相佐と、康頼の須賀の国の習慣も違っているはずだし。それとおなじ……ああ、なじむ必要がないって部分では、おなじではない、かな」 「為明殿は、牛やその乳を食したことがござるのか」 「あるよ。商館長たちと食事を共にすることもあるから」 「義朝殿は?」 「私? 私は、牛の肉を食べたことはないよ。異国のお茶をいただいたことはあるけど。ああ、そうそう。そのときに、牛の乳で作ったものを食べたな」 「なんと」  目をまるくした康頼の背に、義朝が手を添える。 「興味があるのなら、言えば食べさせてもらえるかもしれないから、聞いてみようか」  気軽に言った義朝に背中を押されて、康頼は為明たちに近づいた。気づいた為明に笑顔を向けられ、康頼の心がはずむ。 「異国船の見学に来たのか」 「義朝殿に案内を乞い、まいりましてござる」  そうかと首を動かした為明のまなざしが、とろけるように甘い。 「南蛮の人は牛の肉や乳を食べると教えたら、ひどくおどろかれたよ」 「それは、そうだろう」 「それで」  義朝が為明のとなりにいる異国人を流し見た。 「前に、牛の乳で作ったものを食べたことを思い出してね。もしあるのなら、康頼にも食べさせてみたいと思ったんだけど」 「ボーテル(バター)ですね」  異国人が流暢な日本語をしゃべったので、康頼はポカンと口を開けた。 「私は、通詞をしているので日本語をしゃべれます。名前は、マルチン・ワーヘナールです」  どうぞよろしくと手を差し出されて、康頼は困った。手を握るんだと為明に耳元でささやかれ、おずおずと右手を出すと、がっしりと掴まれる。軽く振られて、これがあいさつの形なんだと説明された。 「それがしは、徳山康頼ともうしまする。まるてん・わへなー殿……?」  名前の部分だけが異国の発音だったので、康頼はよく聞き取れなかった。 「おお、マルさん、と呼んでください。それで大丈夫です」 「マル殿でござるか」  ニコニコしているマルチンの目は空のように青い。不思議な色だと康頼は見入った。 「オランダ人を見るのは、はじめてですか」 「はっ! ああ、これは……ジロジロと見てしまい、もうしわけござらぬ」 「いいえ。日本の人たちは、とても好奇心が旺盛。街を歩いていると、たまに子どもたちに取り囲まれて、顔をじっと見られたりします」  子どもとおなじと言われて、康頼は己を恥じた。 「まこと、もうしわけなく」 「そんなに、気にしないでください。あなたのような、かわいらしい方に見つめられるのは歓迎です」 「おい、マルチン。勝手に口説くな」 「おや。この方は為明の想い人ですか」 「俺の妻だ」  肩を抱かれて、康頼は硬直した。全身が熱い。マルチンが口笛を吹き、手を打ちあわせた。 「あたらしい妻を迎えたと聞きましたが、この方がそうですか。いえいえ、それはいいことです。為明の奥さんとは知らずに、甘い言葉をかけてしまいました。すみません」  陽気な謝罪に、康頼は答えられなかった。マルチンは「ほんとうに、かわいらしい。初々しい奥さんだ」と言い、両手を大きく広げた。 「これから、私の家へ行きましょう。せっかく為明の奥さんと会えたのですし。お祝いをさせてください。牛の乳で作った食べ物があります」 「だ、そうだ。せっかくだから異国の茶を喫してみるのもいいぞ」  どうだと顔をのぞき込まれて、康頼はちいさく「はい」と答えた。 「それでは、行きましょう。義朝はボーテルを知っていますね」 「前に、いただいたよ。甘く焼いた、まるい菓子につけて食べた」  うんうんとマルチンが首を動かす。 「義朝殿とマル殿は、面識がおありでしたか」 「私、この国で通詞をずっとやっています。その間に、義朝とも会いました」 「そのときも、美人だなんだと言って口説こうとしたんだったな」  クックと為明が喉を鳴らすと、マルチンが「ノー、ノー」と言いながら人差し指を振った。 「口説いたのではなく、ほめただけです。うつくしいもの、かわいいものは素直にほめるのがただしい」 「日本では、あまりそういう文化はないんだよ」 「日本人は、恥ずかしがり屋が多いですね」  康頼は為明に肩を抱かれたまま、マルチンの家へ連れていかれた。商館を過ぎた先にある家は、よく手入れのされた庭と玄関まで続く石畳があった。引き戸を開けると土間があり、廊下には赤い布が敷いてあった。日本家屋でありながら、どこか雰囲気が違う。  キョロキョロしながら上がった康頼は、異国の調度が置かれた部屋の入口で固まった。 「こ、これは」  床にはカーペットが敷かれ、テーブルとイスがある。テーブルには刺繍のほどこされたクロスが張られ、花が飾られていた。壁には見たこともない絵図がある。形状から地図であろうとは予測できたが、どこの地図なのかはわからなかった。  視線をあちこち動かす康頼は、為明にうながされてイスに座っても、室内をながめまわしていた。 「建物は日本のものとおなじであるのに、異国に来た気がいたしまする」 「マルチンが、自分たちの暮らしやすいように改良をしたんだ。商館は形から異国の建物だぞ。今度、そちらに行ってみるか」  誘われて、うなずきかけた康頼はあわてて首を振った。 「そんな。仕事の邪魔になりもうす」 「ドウフも為明のあたらしい妻を、歓迎します。きっと」  ドウフとは、いまの商館長の名前だと為明が補足した。 「義朝はドウフと面識、ありますか」 「前の商館長とは会ったけど、いまの人とは会ったことがないな」 「それでは、義朝もドウフと会えばよろしい。うつくしいと、ドウフもよろこびます」  愛想よく、義朝はどちらとも取れる顔をした。康頼は横目で義朝を見て、マルチンに視線を移した。 (ふたりは、幾度も会ったことがあるように見受けられる)  ふらりと義朝が港に出かけて、互いに顔見知りとなったのか。それとも為明に紹介されて知りあいになったのか。 (マル殿は、義朝殿が色夫であると存じておられるのだろうか)  あたらしい妻、という呼び方に康頼は引っかかった。たしかに自分は“あたらしい妻”だ。それは義朝を“前からいる妻”と認識しているからか。それとも、たんに嫁したのが最近だから、あたらしいと言ったのか。  気になるが、問うのははばかられた。  しばらくして、なにやら香ばしい匂いがただよってきた。若い娘が白くおおきな急須と取っ手のついた湯呑、きつね色の塊を銀色の盆に乗せて現れる。 「これが向こうの茶器なんだ」  為明が説明し、若い娘が湯呑に茶を注ぐ。茶は赤い色をしていた。 「これは」  しげしげと湯呑の中を見た康頼は、取っ手をつまんで湯呑を持ち上げる為明を真似た。おそるおそる口をつけると、ほんのりとした苦味の奥に甘さがある。 「どうだ」 「おいしゅうござる」  赤い色をしていたので、どんな味がするのかと恐ろしかったが、ふだん飲んでいるものと共通するものを感じて、康頼はホッとした。横を見れば、義朝は慣れた顔で茶をすすっている。 (それがしも、そのようにならなければ)  為明がなじんでいるものならば、自分もそうありたいと気を引き締めた康頼は、真ん中に置かれたきつね色の固まりに目を向けた。そこから香ばしい匂いが立ち上っている。横には紫色をしたドロドロしたものと、黄身がかった白い固形物があった。 「これは」 「異国の焼き菓子だ。紫色のものが、向こうの果実で作った……この国でいう餡子のようなものでシャム(ジャム)と言い、こっちが牛の乳で作ったボーテル(バター)と言うものだ」 「ぼぉてる」  為明の言葉を繰り返した康頼は、ボーテルに顔を近づけた。鼻をうごめかせてみるが、焼き菓子の香りが強くてよくわからない。 「こうして食べるんですよ」  義朝が焼き菓子をひとつ手に取り、ひと口大に割った。残りを自分の皿に置き、銀色のヘラでシャムをすこし、ボーテルをすこし乗せて康頼に差し出す。受け取った康頼は、えいやっと口に入れて咀嚼した。 「どうだ」  たのしげに為明に聞かれた康頼は、頬を紅潮させて「おいしゅうござる」と答えた。サクリとした外側と、ふんわりとした内側。甘さとわずかな塩気が口の中でまざりあって、絶妙なうまみをかもしている。 「これほど美味な菓子は、はじめてにござる」 「まだまだ、あります。どうぞ、どんどん食べてください」  マルチンが手を叩いて、さきほどの娘を呼び、別の焼き菓子を運ばせてきた。煎餅のように薄いそれをかじった康頼は、ますます喜色を深くして頬をゆるめる。はじめての異国の味にひたる康頼に、三人のやわらかな視線が注がれた。

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