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15.暴走する心

 月がとても明るい。  なんとなく落ち着かなくて、康頼は羽織を肩にかけて部屋を出た。縁側に落ち着いて細身でありながら闇夜を皓々と照らしている月を、ぼんやりと見上げる。 (うつくしゅうござるなぁ)  思うともなしに、しらじらと降り注ぐ月光を身に受けて、康頼はマルチンに見せられた世界地図を思い浮かべた。 (世界は、広い)  港にいた異国の人々の、かわった髪や目の色。服装や言葉などが、頭の中に浮かんでは消えていく。彼等と並んでも違和感のない為明の髪色と体格を思い浮かべた康頼は、月が義朝のほほえみに見えて顔をゆがめた。  みぞおちのあたりがムカムカとして、息苦しくなる。 (義朝殿は、よきお方だ)  それなのに敵視してしまう。国元は義朝と康頼が仲良くなることを望んでいる。義朝の出身地が、ここ相佐に引けを取らない裕福な国だからだ。そことの関係も良好にしておきたい国元からすれば、康頼を気遣ってくれる義朝の態度は歓迎すべきもの。康頼自身も、慣れない生活の手助けをしてくれる義朝の存在をありがたいと思っている。 (感謝はしている。頼りにも考えている。なれど)  憎らしく嫉視してしまう。その理由を康頼はわかっている。わかっているのに、気持ちをなだめることができない。 (為明殿)  彼の気持ちを自分だけのものにしたい。それが義朝に向ける負の感情の原因で、はなはだ自分勝手なものだと把握している。 (義朝殿に非はござらぬ)  だからこそ、よけいに苦しい。義朝がこちらを敵視し、あたらしい色夫など不要だといやな態度を取ってくれれば、こちらも素直に憎いと思えるのに。 (なぜ、それがしは)  これほどまでに為明に執着しているのか。  はじめての恋心に、康頼は振り回されていた。惹かれた理由も、きちんと把握できていない。いつからなのかもわからない、唐突に自覚した愛しさに押し寄せられて、康頼は困惑する。 「為明殿」  今宵は来てくれるのだろうかと待ってはいるが、訪れの気配はない。もうそろそろ帰ってきてもいいころなのに。 (商館にて過ごしておられるのだろうか)  義朝の「商館長に貸し出された」という告白を思い出して、ゾクリとする。 (為明殿は、そのようなことをなさるお方ではござらぬ)  自分は大丈夫だと己を抱きしめた康頼は、為明はそれを知った上で義朝を引き取ったのかと考えた。 (どちらでもいい)  そのはずなのに、妙に気になる。その事実を知っているか知らないかで、ふたりの関係の深さが、絆の強さが違ってくる。けれど、それがわかったところで、どうするというのか。 (わからぬ)  わからないが、もっとふたりの関係について知りたくなった。 (為明殿)  康頼は耳を澄ませた。なんの音も聞こえてこない。為明はまだ帰ってこないのか。それともすでに帰ってきているのか。 (もしや、義朝殿の部屋に――?)  目と目で記憶を共有していた、昼間のふたりの姿が意識に浮かぶ。康頼は立ち上がり、不安に駆られて義朝の部屋を目指した。  義朝の部屋からは、灯明の光が障子から漏れていた。ひとりでいるのか、ふたりでいるのかはわからない。ゴクリと唾を呑み込んで、康頼は声をかけようと口を開き、ためらった。 (為明殿がいたとして、それがどうしたというのだ)  義朝も色夫なのだから、為明がいても不思議はない。とがめる権利など康頼は持っていない。それなのに、怒りに似たものを抱えている。 (為明殿の唯一になりたいとでも、考えているのか)  自分をあざけるはずが、そうだと心が返事した。うろたえた康頼が身動きできずにいると、障子が開いた。 「康頼」  眉を上げた義朝は、やさしく康頼を手招いた。迷いつつも応じた康頼は、室内に誰もいないと知って安堵する。 (なんと、あさましい)  自分を恥じた康頼の手を取って、部屋の奥に座らせた義朝はやさしいまなざしを注いだ。 「どうかした?」 (為明殿がいるかどうかを、確かめに来たなどとは言えぬ)  口をつぐんでうつむいた康頼の手を、義朝の両手が包む。長く白い指は優美で、康頼はそれをうらやんだ。 (なにもかも、うつくしい)  指先までもが繊細な義朝の美貌に、劣等感が湧きおこる。康頼が黙ったまま身じろぎもしないので、義朝は手を伸ばして肩を抱いた。華奢に見える義朝の胸は、康頼よりも背の高い分、広かった。薄いけれども女性とは違う骨格に、康頼は奇妙な感覚を覚える。  義朝が男であると知っているのに、母に抱かれたときとは違う感触にとまどう自分がおかしくて、康頼は目を閉じた。まるみを帯びた甘い香りが肌から立ち上る。 (為明殿とは、違う匂いだ)  十年以上もここで暮らしている義朝からは、海の匂いがしなかった。それがすこしだけうれしくて、心が軽くなる。 「故郷が恋しくなった?」  えっと顔を上げた康頼は、息がかかるほど近くに義朝の端麗な顔を見てドギマギした。 「マルチンの国の話を聞いて、自分の国を思い出したとか」  答えに迷い、康頼は顔を伏せた。義朝にしっかりと抱きしめられて、目を閉じる。 (そんなふうに、考えておられるのか)  子ども扱いされている気がしないでもないが、それだけ案じてくれているのだと心があたたまる。 (それなのに、それがしは)  見当違いの嫉妬をしている。恥じ入りつつも、消えない感情に目の奥が熱くなった。自分はとても了見の狭い人間だと、情けなくなる。ふがいなさと申し訳なさが、涙となって目ににじんだ。 「それとも、昼間に聞かせた話が衝撃的だったかな。ごめんね。でも、為明はそんなことをする人じゃないから。康頼が誰かに貸し出されるなんてことは、あり得ないから安心して」  ちいさくうなずいて、康頼は義朝の背に腕をまわした。 (そうではござらぬのだ、義朝殿)  自分の心に振り回されて、これほどやさしく接してくれる相手に負の感情を向けている。それが苦しくて、幼いころの義朝の境遇があわれで、康頼は義朝の背中を撫でた。  体を寄せあい、静かに互いをなぐさめあっていると、足音が近づいてきた。 「入るぞ」  声と共に障子が開き、為明が目をまるくする。 「なにを……している?」  とまどう為明の声に、康頼は目を開けた。義朝はしっかりと康頼を抱きしめたまま、為明に笑いかける。 「おかえりなさい、為明」 (為明殿が、義朝殿の部屋を訪れた)  強い衝撃を受けた康頼の目じりから、溜まっていた涙がこぼれ落ちる。  義朝は色夫としては隠居と言っていたが、そうではなかった。あれは新任の色夫を安心させるための、ウソだったのだ。妖艶な彼が色夫の務めをしないなどあり得ない。いまでも為明にかわいがられているのだと、康頼は息苦しくなった。  嫉妬と悲しみがめまいとなって康頼を襲う。  ハラハラと涙をこぼす康頼の前に、為明が膝をついた。 「なぜ泣いている、康頼」  喉がふさがって声が出せない康頼は、頭を振った。しゃべれたとしても、義朝に嫉妬をしているなどと言えるわけがない。 (身勝手な己の心がうらめしい)  次々に涙をあふれさせる康頼から、為明は義朝に問いを移した。義朝は苦笑を浮かべて首を振った。わからないと示されて、為明は嘆息する。 「康頼」  為明の手が頬に触れて、康頼は身をこわばらせた。拒絶に似た反応に、為明が顔をしかめて義朝を見る。康頼の気持ちを察していても、この場では説明できない義朝は、困った顔をするしかなかった。  為明は困惑したまま、康頼に視線を戻した。 「康頼」  上向かされた康頼は目を閉じた。 (為明殿に合わせる顔など、ござらぬ)  色夫の身でありながら、独占欲に駆られて義朝に嫉妬を向けているなどと、知られたくはない。そんな康頼の表情を、為明は拒絶と受け取った。 「康頼」  やわらかくなだめるような為明の声音に、康頼の心が揺れる。ふたりの様子を見かねた義朝が、康頼を連れて立ち上がった。奥へ入り、閨に康頼を寝かせる。  フラフラと連れていかれた康頼は目を開けて、慈愛に満ちた義朝の顔が降りてくるのを見た。義朝の唇が首に触れる。くすぐったくて肩をすくめた康頼の胸元がはだけられ、義朝の手が差し入れられる。 「よ、義朝殿」  とまどう康頼の耳朶に、ささやきが注がれた。 「為明がどれほど康頼を大切に思っているのかを、体感すればいい」  どういうことかと康頼が目で問うと、義朝は人の悪い顔をした。そんな表情もするのかと、康頼は目をしばたたかせる。 「どういうつもりだ」  低くうなった為明の腕が、義朝の肩を掴んだ。起き上がった義朝がしれっと答える。 「色夫の部屋に来たということは、そういうことでしょう? 自分は未熟だからと、教えを乞いに康頼が来て、あなたが来た。それなら前のように、三人ですればいいと考えただけだけど」  為明の眉間に、けわしいシワが寄った。人の悪い笑みを浮かべる義朝と、不機嫌な為明を康頼は見比べる。 (これは、いったい)  義朝の意図が分からない康頼は、おとなしく成り行きを見守ることしかできなかった。  やがて為明が深く息を吐き出して、康頼を抱き上げる。しっかりと胸に抱かれた康頼は、体中に鼓動を響かせた。自然と体が火照って、下肢がわずかに硬くなる。自分の淫らな反応に羞恥を覚えた康頼は、うつむいて顔を隠した。 「どうしたんですか、為明」 「康頼の部屋に行く」 「私の手ほどきがどれほどのものか、ひとりで試すつもりなのですね」  手ほどきなど、なにもされていない。  康頼は疑問の目を義朝に向けた。意味深な笑みが、義朝から返される。それを見た為明の筋肉が盛り上がり、唇が不快にゆがんだ。  為明の不機嫌を感じた康頼は、その理由がわからないまま義朝の部屋から出され、自分の部屋へと連れていかれた。

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