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優しいひと。(6)

「比良」  紅さんが僕の名前を呼ぶ。  親指が僕の顎に触れた。  意味がわからず動かないでいると、紅さんの手が顔を上げるよう、指示してくる。  紅さんを見上げると、紅さんの顔が少しずつ近づいてくるんだ。  唇が、重なって……。 「…………ふっ」  くちゃりと音を立て、口内に水が入ってくる。  口角が上に向いているからさっきみたいに水を吐き出せなくって、喉の奥まで水が通ると、ゴクリと飲み込んだ。  唇にはあたたかい感触を残し、紅さんが離れていく……。 「もっと欲しい?」  僕……僕……紅さんに口移しされた!!  それに気がついたのはもっと欲しいと()かれてから。 「美味しい?」  口をパクパク開閉させていると、紅さんは何事もなかったかのように微笑んでくる。  水が飲めたことが嬉しいというより、恥ずかしいのが先だ。紅さんの唇の感触が口に残っている。  それなのに、もっと水が欲しいと身体が欲求する。  僕は、コクリと頷いた。 「もっと……」 「もっと?」 「もっと……ほしい……」  まるで紅さんのキスを強請(ねだ)っているみたいだ。  恥ずかしい。  違う。キスが欲しいんじゃなくって水が欲しいだけだ。  そうだよ。  ……なんて、自分で言い聞かせて紅さんに催促してみる。  そうしたら、紅さんはまたグラスに口をつけて、口移しで水を飲ませてくれる。 「……んっ」 「もっと?」  なんとかふた口目も飲み干すことができると、紅さんはまた訊いてくれる。  僕はコクンと頷き、紅さんの唇を待つ。

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