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誘惑なんてしてないですっ! (5)

 イヤっていうほど、僕の鼓動が速くなる。  どうしたら、この鼓動を鎮めることができるだろうか。  紅さんから視線を外し、周囲を見渡した。  とはいえ、とても好きな紅さんから意識を逸らそうだなんて、無謀ともいえる行為なんだけれど……。  自分で考えて、思わずクスリと笑ってしまう。  そんな僕の姿を、紅さんは見ていた。 「比良? 君は悪い人だね。わたしを差し置いていったい何を考えているのかな?」  それは僕を責めるような言葉だった。  なんだか嫉妬しているような……そんな感じ。  僕はただ、紅さんのことを考えていただけなのに、紅さんはそれさえも嫉妬する。  それだけ僕を想ってくれているのだろうか。  だったら、すごく嬉しい……。  僕は自分の身体に巻き付けていた両手を、また紅さんの首にまわす。  紅さんに寄り添うようにして、僕の頬を、胸にぴったりとくっつけると、聞こえてくるのは、トクン、トクンという鼓動。  これは紅さんの鼓動?  それとも、僕の鼓動?  目をつむって心地いい心音をうっとりと聞いていると、すぐ頭上から息を飲み込む音が聞こえた。 「比良……ここはホテルだよ。君が着ていた服は、あの(おろ)かな霊体に引き裂かれてしまったからね」  ――ホテル。  そっか……だからだね。  ここ、全然見たことがない場所だから。  だけど、紅さん?  いったいどこに行くの?  紅さんは僕を抱えたまま、真っ直ぐどこかに向かって歩いていく。  他人事のように視界を閉ざしたままでいると、また胸の振動と一緒に、頭上から言葉が降ってきた。

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