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第149話.◆記憶の狭間
✳︎自傷行為があります。
『ゆっくりと寝なさい』
そう言われて、寝てはいけないという考えで頭がいっぱいになる。
どうしてそうなるのかは分からない。でも寝てはいけないのだ。
重く閉じようとする瞼は抗っても無駄で、あっさりと閉じてしまう。
右手で左腕に爪を立てる。
ギリギリと音がする程強く力を入れる。
そのまま右手を動かせば痛みは増して、眠気はどこかにいってしまう。
何か忘れたく無い事があった気がする。
『静、大好きだよ』
頭の中に声が響く。
知らない名前と声なのに、胸がほっこりと温かくなる。
私の大切な人はお父様で、他の人なんてどうでもいい。
そう思うのに頭に響いた声が気になって仕方がない。
いったい誰?
静って誰のこと?
考えても答えは出ない。
襲いくる眠気を跳ね除ける為に何度も何度も左腕に爪を立てて引っ掻く。
こんなにしてまでどうして眠ってはいけないと思うのか分からない。それでも爪を立てることをやめられなかった。
ようやく、鉄の扉が開く。
入って来たのは知らない男の人。
私の腕を見ると目を大きく見開く。
「静! 何をしているのかと思えば……」
また同じ知らない名前が出てきた。私の名前じゃない。
「誰のこと?」
「……っ………明美、この身体は秀明様のものだ。傷付けてはいけないよ」
「お父様に叱られるかしら? でも、私は寝てはいけないのよ。だからこうするしか無かったの」
左腕を見てみればそこは血にまみれている。
右手にも血が付いていた。
痛そうだと他人事のように思う。
寝ないでいられたことへの達成感が痛みを感じさせないのかもしれない。
「手当をしないとね」
また知らない人が来た。
救急箱を持っているから手当をしてくれる人ね。
「こんなにして。傷が残ってしまうよ?」
消毒をされる時に少し痛みを感じたが、薬を塗られて包帯を巻かれれば、傷は見えなくなる。
見えなくなれば痛みは無くなる。
固定されていた鍵が外され、鎖を引かれて階段を上がる。
広い空間に出ると、知らない人がたくさんいた。
「シズカ! 大丈夫か?」
「シズカ君?」
また知らない名前で呼ばれる。
「シズカなんて知らないわ。私は明美よ」
そう言った途端に頭が割れるように痛くなる。
立っていられなくて膝をついた。
目の前が歪んで、それが終わるとみんなが心配そうに僕を見ていた。
「みんなどうしたの? そんな顔して」
「シズカ、だよな?」
「そうだよ。何でそんなこと聞くの?」
鉄の部屋に入って、甘い匂いがした後のことが思い出せない。
左腕がジンジンと痛む。どうしてだろう。
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