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第261話.◇裕美の願い

✳︎死ネタあり ✳︎苦手な方は飛ばしても大丈夫です 裕美はクリスマスクルーズでも顔色は悪かったが、船を降りてすぐに意識を失った。 会場に来ていた医師に診て貰って直ぐにそばにある大学病院に運び込まれた。 海の見える空気の綺麗な施設。 そこがホスピスだということは知っていた。 それだけ最期の時が近付いている事も覚悟していたはずだった。 「頼む、裕美がいなくなるなんて、あってはならない!」 叫ぶ親父を横目に緊急手術をするという医師に俺は耳打ちをした。 「母はホスピスにいました。おそらく手の施しようは無いかと」 「形だけです。秀明様が落ち着かれる様に。少ししたら集中治療室に移します」 とても小さい声で早口でそう言うと手術室に入って行った。 後で聞いたのだが、あの医師が裕美をホスピスに移したとのことだった。 放心状態で手術室の前の椅子に座る親父は、当主になる前のあの頃の様だ。 裕美のことが何よりも1番で、仕事だって裕美への想いには勝てない。 色々と許せないのは変わらないが、急に小さくなってしまった様な親父を目の当たりにすると、これから自分がしようとしている事が正しいのか分からなくなる。 1時間程で手術中の赤いランプが消えて、ストレッチャーに乗った裕美が出てきた。 「裕美!!!」 「集中治療室に入りますので」 親父は力なく、それでもそのストレッチャーに付いて歩いて行く。 俺はその後を歩く。 裕美はICUに入ると色々な管が付けられて、もう目を開けないのでは無いかと思わせるような姿になってしまった。 『大野家なんて壊しちゃいなさい』 そう言って豪快に笑っていたのはつい先日のことなのに。 年内の仕事は片付けていたらしく、親父も俺も病院で裕美に付きっ切りになった。 年末が押し迫った12月30日の朝方に奇跡的に裕美が目を覚ました。 「お話が出来るのはこれが最後になるかもしれません」 医師の言葉に裕美とどう接すればいいのか分からなくなる。 いつ急変するかも分からないから簡単にカーテンで区切られたICU内に通された。 親父と俺が入ると裕美はいつもの様にふわりと笑顔になる。 「あなた。明も。私はそろそろダメね」 「裕美、お前がいなくなったら私は!」 「ねぇあなた? あなたは私以外にたくさんの女も男もいたわよね。そのことを責めるつもりはないわ。でも、静のことは別よ。あの子は明美や実さんの分まで幸せにならないと。でも幸せにするのは私達じゃないの。私達は見守るだけよ」 静のことを助けたいという裕美の思いは残念ながら届かない。 「裕美と静を一度になど、無理だ。私にはあの子が必要なんだ」 やっぱりこいつはバカ親父だ。裕美の最後の願いをきけないなど、本来ならあり得ない。 「明、ごめんなさいね。私にはどうにも出来ないみたい。もっとこっちに」 痩せてしまった裕美の身体を抱き締める。 「拓海さんと仲良くね。あの人のこと告発すると決めたのなら迷っちゃダメよ」 「裕美、いや、母さん、良い息子じゃなくてごめん。裕美が母さんで良かったよ。ありがとう」 「ちょっと、泣かせる様なこと言わないでちょうだい。後のことはお願いね」 「ああ、分かった。任せろ」 裕美を離すと所在無げに立ち尽くすバカ親父を振り返る。 「母さんともっとちゃんと話せよ。俺は外にいるから」 話せるのもきっとこれが最後になる。 医者の言葉がのしかかる。 最後に振り返った時には裕美は本当に幸せそうな笑顔だった。 あんなバカ親父のことでも、裕美は愛しているのだと再確認した。 その後、話し疲れたと眠った裕美はそのまま目を開けることなく、大晦日の朝に静かに息を引き取った。 バカ親父と2人で看取ることが出来たのは良かったと思う。 親孝行をする事なく逝ってしまったのは後悔してもしきれない。

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