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第457話.逆鱗《げきりん》
「返せ」
低い声でそう言いながらサバイバルナイフを振り回す。
吉田にとってこれはとても大切な物らしい。
おそらくデータはこのmicroSDカードに入っているのだけなのだろう。ケースの中に何枚も入っている。
「返すつもりは無い。これはお前と一緒に警察に渡すからな。明さんから貰った金はどうした?」
吉田の攻撃は単調で躱すことも難なく出来る。
動きながら普通に話しかける。
「てめぇ、さっきからちょこまかと動きやがって……最終的には刺されるんだから、もう刺されとけよ」
急に間合いを詰めてきたが、腕の起動をスっとずらす。
「刺されるつもりはない」
気分的に楽しくなってきて笑顔になってしまった。
「余裕かよ」
それは逆鱗に触れた。
ナイフの持ち方が変わる。
それは刃先が当たった時の威力が高まる持ち方で、避 けるだけでは体力が削られる一方だ。
サバイバルナイフを落とさせようと決めたはいいが、蹴るか手首を握るかで一瞬悩んだ結果……刃先が腕にかすった。
血が滲む程度だが、吉田はようやく当たったのが嬉しいのかニヤリと笑う。
その止まった機会を逃す訳もなく、ナイフを持つ手を払うように蹴った。
「うわっ……ってーな」
ナイフは遠くまで飛んで行き、目で追っても何処にあるのかは分からなかった。
「素手で戦う…….気は無いみたいだな」
何本持っているのかは分からないが、今度は小さいナイフを取り出した。
あれならグサッと刺されてもたかが知れている。
正当防衛を勝ち取る為には、ある程度傷つく必要がある。
さっきの傷では……小さ過ぎるだろう。
「お前、何者だ? ナイフで刺される恐怖とか無いのかよ」
「そんなものは持ち合わせていない。いいぜ? 刺したいなら刺せよ」
「さっきと言ってることちげーし」
戦うこと自体が楽しい。
殺されるかもしれないというスリルが堪らない。
人として間違っていると思うが、酷く興奮してしまう。
腹には刺したくないな。
腕か足がいいか?
飛びかかって来るのなら、誘導してどちらかを刺させればいい。
刃先から目を離さないようにする。
「お言葉に甘えて……刺すぞ? 返してくれれば止めるが……」
「返すつもりは無い」
「っクソッタレが!」
小細工無しで真っ直ぐ走って来る。
それならばと、利き腕とは逆の左腕でナイフを受けとめた。
吉田の全体重が乗ったそれはグッサリと刺さった。
「っは! 返してもらう……?」
ナイフが刺さったままの左腕で吉田の右手首をキメて転がす。
「返すつもりは無いと言ったはずだが?」
血が滴っていても、それは関係ない。
興奮しているからか不思議と痛みも感じない。
「ひっ……どこ触ってっ」
「お前のしていることは犯罪だ。身をもって後悔しろ」
ズボンを下着ごと下ろす。
「な……何を?」
「潰すんだよ、ここを」
陰嚢を握り込む。
「種無しになっちまうな、可哀想に」
「や……やめっ」
「やめてほしいと言われて、お前はやめたのか?」
「それは………」
「俺も同じだよ。残念だが、ここには俺を止める人は誰もいない。諦めろ」
絶望の表情。
それを見ながら一気に力を入れて握り潰す。
「うわぁああああああああぁぁぁ!」
卵が潰れるように手の中でグシャリと潰れる感触がする。
もう片方もと思った所で頭がクラクラとし始めて、目の前が真っ暗になった。
目が覚めると病院だった。
「ハル、目が覚めたか」
「吉田は?」
「起きて第一声がそれか? 安心しろ。ハルが気を失った後直ぐに俺達で拘束して、microSDカードと一緒に警察に突き出したよ」
当初の目的は果たせたと知ってホッとする。
「そうか、色々と面倒かけて申し訳なかった」
「いや、それよりも俺達にはあいつの玉を潰せなかったから、片玉だけ潰れた状態で警察に突き出しちまった。ごめんな」
真剣な顔で謝られ、思わず笑ってしまう。
「あれはオプションみたいなもんだから…いいよ」
「腕の傷も流石だよな。普通なら全治3ヶ月なのに、2週間もあれば治るってよ」
「刺す場所を誘導するのも……面倒くさかったが上手くいって良かったよ……?」
急に扉が開いて、思わずそちらを見た。
「晴臣!」
自分よりも青ざめた顔をした森さんがつかつかと寄ってくる。
「森……さん?」
「……良かった。刺されたって聞いたから酷い状態だと思ってたが、大丈夫なんだな?」
「えぇ、全治2週間らしいので」
「良かった」
誰がいるとか関係ないのだろう。
ギュッと抱き締められる。
ボディガード仲間のみんなは何も言わずに病室を出て行ってしまった。
「死んだかと思った……あまり心配させないでくれよ」
「ごめんなさい」
森さんの匂いは心が落ち着く。
「こんな事が起こるなら、早いとこ晴臣の気持ちが知りたい」
「それは……」
「俺はもう十分待ったよ」
目が合う。
その目は真剣でいつものからかう様な表情もなく、腹を括らないといけないと感じた。
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