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ミツルの過去
俺には誰もいない
いつの間にか一人だった
昔は友人と呼べる人もいた気がしたが、今はいない
両親はいるにはいるが、連絡は取っていない
別に折り合いが悪いとかそういう感じではないのだけれど....いつの間にか俺の周りから人が消えた
「消えた」という表現よりは「離れていく」といったほうが正しいのかもしれない
けれど離れていくことになんの感情も出てこない俺には「消えた」のほうがしっくりくる
俺は比較的裕福な家で何も不自由なこともなくいい暮らし、いい学校、俗にいう「恵まれた」側だと思っている
真面目で誠実な父親に、優しく温厚な母親、それに目いっぱい愛情をかけて育てられてはずの「俺」
幼いころから、出来がよく、何でもそつなくこなす「できる子」
けれど俺はいつも思ってた...それは物心ついたときから消えることはない
それは毎日が「退屈」だということ
例えば幼い時の家族旅行、両親に手を引かれていった遊園地、小学生の遠足、当たり前にみんなが楽しいと思うことを俺は同じように楽しいと思うことができなかった
なぜみんなと整列して同じことをしないといけないのか...なぜこれから先、なんの役にも立たないことをしなければいけないのか分らない
それを学校の先生に言ったところで的を得ない返事に、あげくの果てに協調性がないと説教された
今まで怒られたりしたことがなかった俺は、小学低学年で、輪を乱す者には×が付くことを知った
他がどんなに優れていても...だ
納得できないことが多すぎて、先生に抗議したところで顔をしかめるだけでまともに取り合ってもらえない
家に帰って両親に話してみたところ、「考えすぎるのは良くない」といわれた
お前は頭がいいから、物事を考えすぎる、もっと柔らかく考えなさいと...
俺の周りはバカばっかりと思った
そして、そんなバカな奴らに何をしてもらいたくて意見してるんだろう...とばからしくなってもう自分の意見を言うのはやめた
そのころの俺は「できる子」から「できすぎる子」に変わっていた
そんなのだから当然友達と呼べるものはいなかった
さして、欲しいとも思わなかったけど
やれ、テレビがどうした、漫画がどうしたとくだらないことで時間が過ぎていくのを疑問にも思わないような奴と仲良くなりたいなんて思わなかった
毎日退屈で、楽しいことが欲しくて欲しくて飢えていた
だけどそれを分かち合るような人はいなかったから、胸の奥の奥に、渇いた本音を隠して、大人しく学校生活を送っていた
そのほうが楽なのが分かっていたから
あれは小学校5年か..6年
祖母が死んだ
母親の方の。その日、家の中が急に慌ただしくなって急いで母の田舎に連れて行かれた
初めて見る、誰かの葬式
黒と白しか色がないみたいな斎場にたいして会ったこともない祖母の遺影が飾られていた
埋もれてしまいそうなほどの花が敷き詰められ、線香の匂いが途切れることなくしていた
母親は棺に寝かされた祖母を見て、一日中泣いていた
自分も顔を拝むように言われて見てみたら真っ白で、死んだ人を見たのも初めてでなんだか不思議な感じがした
死んだ人間てどんな感じなんだろうって触ってみたくて手を伸ばした
指先で死に化粧された祖母の頬に触れてみる
それは氷のように冷たい、弾力なんて全然なくて、すごく硬かった
今まで何も興味なんて持ったことがなかったのに、その時初めて、胸が高鳴った
ドキドキなのかワクワクなのか....
その時の俺は棺の中をのぞきながら、笑っていた.....らしい
なぜなら泣きながら俺に顔を向けた母親が俺を見るなりひきつった顔をして言ったから
「なにがおかしいの?」と。
退屈な毎日に一つ興味が生まれた日
それから俺は人の「死」に夢中になっていった
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