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あの時、確かに出ていこうと思ったはずだった もう二度と来ることはない、間違ってはいけない ここは自分とには場違いの手の届かない場所だから それなのに無意識にマナトが向かった先は真新しく綺麗に整えられたキッチンだった どれだけ豪華な仕様でもつくりは粗末なものと大して変わらない 案の定、シンク下にはナイフが何本か刺さっていて、マナトは躊躇せずその一本を手に取った なれた手つきで左手首に刃先を押し当てると無機質な冷たさが全身に伝わる きっと涼介はこんなに設備の整ったキッチンも使うことなく外食やケータリングで済ませるのだろう 金なら有り余るほどある男だ なんでも思い通りにできて苦労なんてしたこともないような男には自分がどれだけ滑稽でみじめな人間に見えただろう 「野良犬なら野良犬らしく好きにしろよ」 涼介の言う通りだ 自分のような行くところもない野良犬はなんの価値もない ーーーそしてマナトは衝動的にナイフを握った右手を強く真横に引いたのだ 「出て行くって啖呵切ってたくせに自殺未遂ってどういうことだよっ!!もしものことがあったらどうするんだよ」 「まぁまぁ、涼介.....無事だったんだから」 「そういう問題じゃねぇだろっ!!しかも人の家で....お前俺への当てつけか!?」 死ぬつもりだったのかと言われればよく分からない 死のうと思ったというより、常に思っているのは"死んでもいい"だから 「マナトくん、分かってると思うけど手首切っても死ねないでしょ?痛いだけ...違う?」 「....っ」 椎名の優しい問いかけにマナトは思わず目頭が熱くなった けれど二人の前で....涼介の前で泣きたくなどない バカにされて呆れられて今度こそ出て行けといわれるに決まっている そう思ったマナトは精一杯に虚勢を張り、強がりを見せる 「俺がどうなろうと関係ないじゃんっ!どうでもいいくせに....いなくなればいいって思ってるくせに」 「お前なぁっ.....」 「ストップ!!そこまでだよ」 今にも激しく言い合いになりそうなのを止めたのは椎名だった 「マナトくんとは僕が話をするから涼介はもう部屋に戻った寝たら?明日も早いんだし」 「はぁ!?こんなんで寝れるわけねーだろっ!」 「マナトくんは怪我人なの!!お前みたいな感情的な奴がいると言いたいことも言えないだろ?」 そう言いって椎名は涼介のことを邪魔者とばかりにリビングから追い出そうとする 「おい!!マサキ、てめぇ、ふざけんな!!」 納得いかないと抵抗する涼介を椎名は簡単にあしらいながらドアまで追いやった 付き合いの長い二人だから椎名は涼介の上手い扱いを心得ているのだ 「僕に任せて?ね?じゃあ、おやすみ」 そう言うと椎名はリビングのドアを閉めて完全に涼介をシャットアウトした ドアの向こうでなんだか文句を言っているのが聞こえたがしばらくすると部屋に戻っていく足音が聞こえた 涼介の気持ちも分かるがまずはマナトに本音で話してもらいたい 椎名は涼介の部屋のドアが閉まる音を確認するとふぅっと一息ついた ここからは完全にマナトと二人きりの時間が始まるのだ 「さぁ、マナトくん、僕と少し話をしようか」 椎名はくるりと振り返ると柔らかく微笑みかけた

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