209 / 445
子犬の夢
「じゃぁね、ポチ、いい子にしてたら帰ってきてあげる」
床に寝ころんだままのユウを放ってミツルはどこかへ出かけてしまうらしい...
目の前には彼の足だけ見えていた
つま先がくるりと踵に変わりどんどんと遠ざかっていく
行かないで...一人にしないで...
いつもなら思うはずなのにどうしてだろう
ユウの心はまるで鈍感になり何も感じない、この状況も甘んじて受け入れているように見えた
遠くで扉が閉まる音や小さくなっていく足音を聞きながらシンと静まり返る部屋をぼんやりと眺める
音を聞いた、何かが途切れるような音...あれはきっと心が壊れる音だった
今度こそ本当に壊れてしまったみたい...だって一人は寂しいはずなのになんだかとっても嬉しいの
「....」
だって彼は壊れてほしいと願っていたから...一つでもいいから彼の望むことをしたいんだ
あれだけ壊れたくなかったはずなのに今はこれで良かったと思える
良かった...きっとこれでいいんだ
「みぃ...」
息を吐くように彼の名前を呼ぼうとしたけれどやっぱり言うことはできなかった
自分はポチだから仕方ないのだ
ポチは箱の中で静かにしていなければいけない、笑うことも泣くこともしてはいけないのだから
床に転がったままのユウの頭の中をまるで走馬燈のようにいろんな事がめぐっていた
楽しかったこと、嬉しかったこと、おいしかったこと...いいことばかりが頭に浮かぶ
思い出すと楽しくなって自然に口元が上がって、なんだか身体の痛みも辛さも全部消えていくような気がした
”おたんじょおび”をしたことやニコニコマークのごはん、窓に映る”キレイ”、小指で結んだ”やくそく”...いつの間にか好きなものがいっぱいなっていた
好きなものは彼...それだけで良かったはずなのに
そしてユウはふとあの日のことを思い出す
彼と初めて一つになったあの日
大きなベット、いつもと同じなのにその日は服を脱いで一緒に寝たの
それが何を意味するのかは分からなかったけれど身体をぴったり寄せるととっても温かくて触れた指先はちょっとくすぐったくてすごくドキドキした
真上に見える彼の身体は大きくて彼の長い腕が自分を挟んで両側に置かれていて、なんだか守られてる気がして安心した
「好きだよ、ユウ」
そしてこの日、彼から初めて「好き」をもらったのだ
なんだかすごく痛かったのに、そんなのも忘れてしまうくらい彼でいっぱいになった
空っぽだった自分が彼で満たされた
その瞬間、彼への「好き」が「大好き」に変わって
大好きなこの人のためになんでもしよう、この人のためならなんでもできる...そう思えた
だって彼は自分のために生きてくれると言ってくれた人だから
...良かった...ちゃんと覚えてる
自分はバカだからすぐにいろんなことを忘れてしまうけれどこの日のことは忘れたくなかった
ポチは空っぽだから全部置いていかなければいけないけれど、この日の事は彼に内緒でこっそり心にしまっておくの
それくらいならいいかなぁ
自分はこれからどこへ行くの...どこへ捨てられてしまうのだろう
そこにはやっぱり彼はいないのだろうか...
また彼が見つけてくれたら嬉しいなぁ...なんて考えるのはやめなくちゃ
もしそれが叶うとしても自分は箱を開けてもらえるまで頑張ることはできない
疲れてしまった...もう頑張るのは疲れてしまったから
「....」
誰もいない静まり返った部屋でユウは微笑みながら静かにその瞼を閉じた
ともだちにシェアしよう!