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章斗、餅を焼く 中編
いつも紘希と二人で並んで歩く朝の通学路を、章斗は一人歩いていた。
「あ、香寺さん。おはようございまーす」
「おはよー」
駅から学校への人の流れの中、声をかけてきたのは紘希の友人、徳永だ。小野原の後輩でもある彼は人懐っこい面があり、紘希との仲を取り持ってくれた恩人でもあるので交流は多かった。
徳永はきょろきょろと周りを見回しながら、章斗の隣に並んできた。
「何さがしてるの?」
「船橋、いないんすか?」
「今日は日直の仕事があるとかで先に行ってるよ」
章斗の言葉に徳永はあからさまに胸をなでおろした。
「よかったー。なら安心して隣歩けますわー」
「なんで?」
「だって、船橋めっちゃ嫉妬深いじゃないですか。俺が香寺さんの隣を歩いたりしたら袋叩きにされそう」
冗談めかしながらそういう徳永に、章斗は苦笑した。
「そんなことないけどなぁ…」
紘希に好かれているという自負はあるが、彼は別に嫉妬深くはないし、章斗が友人と並んで歩くくらいどうも思わないだろう。
「いやいや、ほんと船橋のべたぼれっぷりには俺も驚いてるんですって。だって、香寺さんってあいつの好みからは外れてるじゃないですか」
「うん、そだね」
いつぞやに、それこそ徳永から教えてもらった紘希の好みのタイプは、ことごとく章斗からは外れていた。なので章斗は素直に頷く。
それでも好きになってもらえたのだから、ありがたい限りだ。
「どっちかってーと、光山さんがストライクな感じだと思うんすよねー」
確かに、章斗の友人の光山は、紘希の好きなタイプにあてはまる。言われて初めて気づき、章斗は衝撃に思わず立ち止まった。
一歩先を行った徳永がぎょっとして振り返り、どこか焦ったように手を振った。
「あ、いやいやいや、全部が全部好みに当てはまってるわけじゃないですけどね!光山さん優しそうじゃないですか、どっちかというと意地悪い方が好きみたいだし?」
「え、俺、意地悪いのかな……」
「いやそーじゃなくって、あーすいません!違うんです!失敗した!それでも香寺さんに惚れ込んでるから、やっぱり理想と実際に好きになる人って違うんだなーって言いたかっただけで、あの、香寺さん、聞いてます?あのー…」
そうだ、紘希の好きなタイプど真ん中の人がこんなにそばにいたなんて。でも、紘希が付き合っているのは章斗である。紘希は、光山に対して好感を抱いているようではあるが、それは、尊敬できる先輩としてであって、恋愛感情ではないはず…。でも、だけど…。
じわじわと、章斗の胸に言いしれないもやみたいなものが広がっていく。
もはや、徳永が何と言っているかも頭に入らず、章斗は無言で歩いた。
その後どうにも気持ちの整理がつかず、光山に対してとても嫌な態度をとってしまった。普通に話したいのに、話せない。顔を見てしまうと、まさに紘希の好みの顔だ、とまた思ってしまい、仄暗い感情が沸き立つ。
さらには、紘希に対してまで、同じような態度をとってしまった。笑いかけてくる紘希に笑顔を返したいのに、ひきつってしまいそうで笑えない。どうしたんですか、と聞かれても、答えようもない。いや、わかっているからこそ答えたくない。
章斗は気づいていた。
紛うことなく、これは嫉妬だ。
まさか自分がこんなにも嫉妬深い人間だとは思っておらず、自分の矮小さに章斗は落ち込んだ。気にするまいと思うのに、もやもやを抑えきれない。
戸惑う光山と、心配そうにする紘希を思い返すと、申し訳なさでいっぱいになった。
幸か不幸か、今日は紘希がバイトの日で、放課後、章斗はすぐさま家路についた。
駅までの道を一人でとぼとぼと歩きながら、ずっとこんな気持ちを抱えているわけにもいかない、どうするべきか、と章斗は考えた。
紘希に好かれている自負があると言いながら不安に思うのは、自覚がなくとも本当はどこか自信がないからだろう。ならば、もっともっと、紘希に好かれる努力をして、自信をつけたらいいんじゃないだろうか。
「……いい考えかも」
思いついた答えに、章斗は一人頷いた。
だが、章斗は紘希と付き合う前の時点で、できうる限り彼の好みに寄せていた。これ以上、どうすればいいのか。
うーんとうなりながら、今朝の徳永との会話を思い返す。そういえば、言っていたじゃないか。『どっちかというと意地悪い方が好き』と。
つまり、紘希をいじめてあげればいいのだ!陰湿ないじめじゃなく、相手が望む意地悪をしてあげる……紘希はSM好きなのか!
ひらめいたまさにその時、ぴろぴろぴろ……と、電話の呼び出し音が鳴った。鞄から取り出したスマホの画面には、小野原の文字がある。ちょうどいい、小野原から情報収集しようと、章斗は喜び勇んで電話に出たのだが、残念ながら収穫はなった。
翌日の金曜日、章斗は決意を胸に登校した。
自分が努力をすればいいということに気づいたおかげで、今朝は紘希に対して避けるような態度をとらずに済んだ。ただ、逆に紘希の態度がどこか少しよそよそしかった気もするが。
よし、と一人頷いて、章斗は教室に向かった。
「あ、おはよー香寺」
すでにいた小野原が笑顔で迎えてくれる。今朝は、光山も先に来ていた。
章斗は小野原におはよう、と返し、席に着くと、光山に向いてぺこりと頭を下げた。
「みつやん、おはよう。昨日ごめんなさい」
昨夜、尚斗にも光山と何かあったのかと問われた。光山から連絡があったらしい。
紘希同様、今朝は光山の顔もちゃんと見れた。章斗は素直に謝れた自分にほっとした。
「別にいいけど、どうしたってんだよ」
「それは言いたくない」
「……ま、いいけど」
どこか釈然としないながら、光山はそう言ってくれて、章斗は息をついた。
「はーい、一件落着仲直りぃ!」
急に間に小野原の明るい声が割って入った。
「それよりさ、香寺!」
小野原がふっと不敵に笑った。何事かと章斗は目を瞬く。
「じゃーーん」
そういいながら、小野原は一冊の本を章斗の前に突き出した。書店のカバーがかけられていて、何の本かはわからない。
「何これ?」
「あげる」
にやにや笑う小野原から本を受け取ると、章斗は表紙をめくった。光山も気になるのか、横から覗き込んできた。
バンと飛び込んできたのはあられもない女性のイラストと、デデンと書かれた成人向のマーク、さらには『SM特集』の文字。
「小野原…!」
章斗はぱっと本から顔をあげ、小野原を見た。
「SMモノのエロ漫画、見つけてきました!」
キャハ、と後ろに星が付いてそうなノリで小野原は片目を瞑る。
「馬鹿かお前、なんつーもん持ってきてんだよ!」
光山が目を吊り上げて小野原をたしなめる。しかし、小野原はどこ吹く風。
「俺ね、面白そうなこ…じゃなくて、友達のためなら割といろいろ頑張っちゃうやつなのよ」
章斗は感激のあまり、じんわりと涙目になった。
「小野原!!神!!」
「どーぞ思う存分崇めて」
「章斗、お前、こんな趣味あったのか」
光山は小野原に意見するのをあきらめた様子で、章斗に聞いてきた。章斗はふるふると首を振った。
「趣味じゃないけど、勉強」
何事も、予備知識が大事だ。章斗は小野原の厚意を無駄にせぬように、この本からいろいろと学び取らねばと決意した。
「はぁ?勉強って……」
光山を丸っと無視し、そのまま章斗は与えられたエロ本をじっくりと読み込んでいった。そのうちに光山がはあ、と一つため息を落とした。小野原はニコニコと微笑んでいる。
「……たぶん、被害にあうのは船橋なんだろ」
「いやぁ、ほんと香寺って飽きないわ」
二人が何事か話しているのは、もう章斗の耳には届いていなかった。
紘希は章斗と並んで帰路についていた。
今日は紘希のバイトは休みで、章斗が家へと来る日だ。しかも、以前より約束をしていたお泊りの日である。章斗が紘希の家へ泊ることはめったにない。尚斗がバスケ部の合宿でいないとかで、泊ってくれることとなっていたのだ。
今日という日をかなり楽しみにしていた紘希だが、現在、一抹の不安を抱いていた。
昨日、章斗の様子が明らかに変だった。
目を合わせようとせず、どこかしょんぼりとしていた。更には、小野原の電話口で聞いた、SMという不穏な単語。
そして、今日は昨日とは打って変わって、章斗の態度はいつも通り、というか、どこか気合が入った様子だった。
この不安な気持ちにとどめを刺したのが、先ほど、章斗を迎えに行った先でのことだ。光山に同情的な目で頑張れよと言われ、小野原にはずーっとにやにやした顔で見られた。これで不安になるなという方が無理な話だ。いったい何を頑張ればいいのだ。
表面上は他愛のない話をしながら、二人は家へと着いた。章斗はいつも持ってくるトートバッグから食材を取り出して冷蔵庫へと入れている。
ぱたんと冷蔵庫が閉められたタイミングで、紘希は話しかけた。
「あのー、香寺さん」
「なに?」
くるっと章斗が振り返る。
昨日の態度はいったい何だったのか?なぜ、SMモノのAVを求めているのか?
――聞きづらいが、聞くしかない!
「昨日、どこか様子が変だったじゃないですか、あれ、どうしてかなって…」
その瞬間、章斗がぴっと背筋を伸ばした。つられて紘希もびくっと跳ねる。
「あの、香寺さん?」
「船橋、こっち来て」
章斗が手招きをし、近づいてきた紘希の腕を掴んだ。そのままぐいぐいと引っ張られ、寝室の方へと連れていかれる。
「手、出して。両方」
言いながら、章斗はごそごそとトートバッグをあさっている。
「え?あ、はい…?」
訳も分からないまま、紘希は両手を宙に浮かべた。次の瞬間、章斗はバッグからひも状のものをさっと取り出し、紘希の両手をぐるぐるっと一気に縛り上げてしまった。
「え?え?ちょっ……!」
何をされているのか理解が及ばないうちに、今度は両肩をどんと押され、ベッドの上に倒れ込む。そして起き上がる間もなく、章斗は紘希の上に乗り上げてきた。
戸惑う紘希を置き去りに、章斗は縛った紘希の手をぐいと持ち上げ、そのままベッドヘッドのサイドバーに括り付けてしまう。紐はタオル地で痛くはないが、自由はすっかり奪われてしまった。
「待って、香寺さん、いったい何を…」
紘希に跨るように乗った章斗は、決意に満ちたきりっとした顔で高らかに宣言した。
「――船橋、俺、頑張るから!」
「何をぉ!?」
紘希のその叫びは、ものの見事にスルーされてしまったのだった。
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