5 / 6

章斗、餅を焼く 中編

 いつも紘希と二人で並んで歩く朝の通学路を、章斗は一人歩いていた。 「あ、香寺さん。おはようございまーす」 「おはよー」  駅から学校への人の流れの中、声をかけてきたのは紘希の友人、徳永だ。小野原の後輩でもある彼は人懐っこい面があり、紘希との仲を取り持ってくれた恩人でもあるので交流は多かった。  徳永はきょろきょろと周りを見回しながら、章斗の隣に並んできた。 「何さがしてるの?」 「船橋、いないんすか?」 「今日は日直の仕事があるとかで先に行ってるよ」  章斗の言葉に徳永はあからさまに胸をなでおろした。 「よかったー。なら安心して隣歩けますわー」 「なんで?」 「だって、船橋めっちゃ嫉妬深いじゃないですか。俺が香寺さんの隣を歩いたりしたら袋叩きにされそう」  冗談めかしながらそういう徳永に、章斗は苦笑した。 「そんなことないけどなぁ…」  紘希に好かれているという自負はあるが、彼は別に嫉妬深くはないし、章斗が友人と並んで歩くくらいどうも思わないだろう。 「いやいや、ほんと船橋のべたぼれっぷりには俺も驚いてるんですって。だって、香寺さんってあいつの好みからは外れてるじゃないですか」 「うん、そだね」  いつぞやに、それこそ徳永から教えてもらった紘希の好みのタイプは、ことごとく章斗からは外れていた。なので章斗は素直に頷く。  それでも好きになってもらえたのだから、ありがたい限りだ。 「どっちかってーと、光山さんがストライクな感じだと思うんすよねー」  確かに、章斗の友人の光山は、紘希の好きなタイプにあてはまる。言われて初めて気づき、章斗は衝撃に思わず立ち止まった。  一歩先を行った徳永がぎょっとして振り返り、どこか焦ったように手を振った。 「あ、いやいやいや、全部が全部好みに当てはまってるわけじゃないですけどね!光山さん優しそうじゃないですか、どっちかというと意地悪い方が好きみたいだし?」 「え、俺、意地悪いのかな……」 「いやそーじゃなくって、あーすいません!違うんです!失敗した!それでも香寺さんに惚れ込んでるから、やっぱり理想と実際に好きになる人って違うんだなーって言いたかっただけで、あの、香寺さん、聞いてます?あのー…」  そうだ、紘希の好きなタイプど真ん中の人がこんなにそばにいたなんて。でも、紘希が付き合っているのは章斗である。紘希は、光山に対して好感を抱いているようではあるが、それは、尊敬できる先輩としてであって、恋愛感情ではないはず…。でも、だけど…。  じわじわと、章斗の胸に言いしれないもやみたいなものが広がっていく。  もはや、徳永が何と言っているかも頭に入らず、章斗は無言で歩いた。  その後どうにも気持ちの整理がつかず、光山に対してとても嫌な態度をとってしまった。普通に話したいのに、話せない。顔を見てしまうと、まさに紘希の好みの顔だ、とまた思ってしまい、仄暗い感情が沸き立つ。  さらには、紘希に対してまで、同じような態度をとってしまった。笑いかけてくる紘希に笑顔を返したいのに、ひきつってしまいそうで笑えない。どうしたんですか、と聞かれても、答えようもない。いや、わかっているからこそ答えたくない。  章斗は気づいていた。  紛うことなく、これは嫉妬だ。  まさか自分がこんなにも嫉妬深い人間だとは思っておらず、自分の矮小さに章斗は落ち込んだ。気にするまいと思うのに、もやもやを抑えきれない。  戸惑う光山と、心配そうにする紘希を思い返すと、申し訳なさでいっぱいになった。  幸か不幸か、今日は紘希がバイトの日で、放課後、章斗はすぐさま家路についた。  駅までの道を一人でとぼとぼと歩きながら、ずっとこんな気持ちを抱えているわけにもいかない、どうするべきか、と章斗は考えた。  紘希に好かれている自負があると言いながら不安に思うのは、自覚がなくとも本当はどこか自信がないからだろう。ならば、もっともっと、紘希に好かれる努力をして、自信をつけたらいいんじゃないだろうか。 「……いい考えかも」  思いついた答えに、章斗は一人頷いた。  だが、章斗は紘希と付き合う前の時点で、できうる限り彼の好みに寄せていた。これ以上、どうすればいいのか。  うーんとうなりながら、今朝の徳永との会話を思い返す。そういえば、言っていたじゃないか。『どっちかというと意地悪い方が好き』と。  つまり、紘希をいじめてあげればいいのだ!陰湿ないじめじゃなく、相手が望む意地悪をしてあげる……紘希はSM好きなのか!  ひらめいたまさにその時、ぴろぴろぴろ……と、電話の呼び出し音が鳴った。鞄から取り出したスマホの画面には、小野原の文字がある。ちょうどいい、小野原から情報収集しようと、章斗は喜び勇んで電話に出たのだが、残念ながら収穫はなった。  翌日の金曜日、章斗は決意を胸に登校した。  自分が努力をすればいいということに気づいたおかげで、今朝は紘希に対して避けるような態度をとらずに済んだ。ただ、逆に紘希の態度がどこか少しよそよそしかった気もするが。  よし、と一人頷いて、章斗は教室に向かった。 「あ、おはよー香寺」  すでにいた小野原が笑顔で迎えてくれる。今朝は、光山も先に来ていた。  章斗は小野原におはよう、と返し、席に着くと、光山に向いてぺこりと頭を下げた。 「みつやん、おはよう。昨日ごめんなさい」  昨夜、尚斗にも光山と何かあったのかと問われた。光山から連絡があったらしい。  紘希同様、今朝は光山の顔もちゃんと見れた。章斗は素直に謝れた自分にほっとした。 「別にいいけど、どうしたってんだよ」 「それは言いたくない」 「……ま、いいけど」  どこか釈然としないながら、光山はそう言ってくれて、章斗は息をついた。 「はーい、一件落着仲直りぃ!」  急に間に小野原の明るい声が割って入った。 「それよりさ、香寺!」  小野原がふっと不敵に笑った。何事かと章斗は目を瞬く。 「じゃーーん」  そういいながら、小野原は一冊の本を章斗の前に突き出した。書店のカバーがかけられていて、何の本かはわからない。 「何これ?」 「あげる」  にやにや笑う小野原から本を受け取ると、章斗は表紙をめくった。光山も気になるのか、横から覗き込んできた。  バンと飛び込んできたのはあられもない女性のイラストと、デデンと書かれた成人向のマーク、さらには『SM特集』の文字。 「小野原…!」  章斗はぱっと本から顔をあげ、小野原を見た。 「SMモノのエロ漫画、見つけてきました!」  キャハ、と後ろに星が付いてそうなノリで小野原は片目を瞑る。 「馬鹿かお前、なんつーもん持ってきてんだよ!」  光山が目を吊り上げて小野原をたしなめる。しかし、小野原はどこ吹く風。 「俺ね、面白そうなこ…じゃなくて、友達のためなら割といろいろ頑張っちゃうやつなのよ」  章斗は感激のあまり、じんわりと涙目になった。 「小野原!!神!!」 「どーぞ思う存分崇めて」 「章斗、お前、こんな趣味あったのか」  光山は小野原に意見するのをあきらめた様子で、章斗に聞いてきた。章斗はふるふると首を振った。 「趣味じゃないけど、勉強」  何事も、予備知識が大事だ。章斗は小野原の厚意を無駄にせぬように、この本からいろいろと学び取らねばと決意した。 「はぁ?勉強って……」  光山を丸っと無視し、そのまま章斗は与えられたエロ本をじっくりと読み込んでいった。そのうちに光山がはあ、と一つため息を落とした。小野原はニコニコと微笑んでいる。 「……たぶん、被害にあうのは船橋なんだろ」 「いやぁ、ほんと香寺って飽きないわ」  二人が何事か話しているのは、もう章斗の耳には届いていなかった。  紘希は章斗と並んで帰路についていた。  今日は紘希のバイトは休みで、章斗が家へと来る日だ。しかも、以前より約束をしていたお泊りの日である。章斗が紘希の家へ泊ることはめったにない。尚斗がバスケ部の合宿でいないとかで、泊ってくれることとなっていたのだ。  今日という日をかなり楽しみにしていた紘希だが、現在、一抹の不安を抱いていた。  昨日、章斗の様子が明らかに変だった。 目を合わせようとせず、どこかしょんぼりとしていた。更には、小野原の電話口で聞いた、SMという不穏な単語。  そして、今日は昨日とは打って変わって、章斗の態度はいつも通り、というか、どこか気合が入った様子だった。  この不安な気持ちにとどめを刺したのが、先ほど、章斗を迎えに行った先でのことだ。光山に同情的な目で頑張れよと言われ、小野原にはずーっとにやにやした顔で見られた。これで不安になるなという方が無理な話だ。いったい何を頑張ればいいのだ。  表面上は他愛のない話をしながら、二人は家へと着いた。章斗はいつも持ってくるトートバッグから食材を取り出して冷蔵庫へと入れている。  ぱたんと冷蔵庫が閉められたタイミングで、紘希は話しかけた。 「あのー、香寺さん」 「なに?」  くるっと章斗が振り返る。  昨日の態度はいったい何だったのか?なぜ、SMモノのAVを求めているのか?  ――聞きづらいが、聞くしかない! 「昨日、どこか様子が変だったじゃないですか、あれ、どうしてかなって…」  その瞬間、章斗がぴっと背筋を伸ばした。つられて紘希もびくっと跳ねる。 「あの、香寺さん?」 「船橋、こっち来て」  章斗が手招きをし、近づいてきた紘希の腕を掴んだ。そのままぐいぐいと引っ張られ、寝室の方へと連れていかれる。 「手、出して。両方」  言いながら、章斗はごそごそとトートバッグをあさっている。 「え?あ、はい…?」  訳も分からないまま、紘希は両手を宙に浮かべた。次の瞬間、章斗はバッグからひも状のものをさっと取り出し、紘希の両手をぐるぐるっと一気に縛り上げてしまった。 「え?え?ちょっ……!」  何をされているのか理解が及ばないうちに、今度は両肩をどんと押され、ベッドの上に倒れ込む。そして起き上がる間もなく、章斗は紘希の上に乗り上げてきた。  戸惑う紘希を置き去りに、章斗は縛った紘希の手をぐいと持ち上げ、そのままベッドヘッドのサイドバーに括り付けてしまう。紐はタオル地で痛くはないが、自由はすっかり奪われてしまった。 「待って、香寺さん、いったい何を…」  紘希に跨るように乗った章斗は、決意に満ちたきりっとした顔で高らかに宣言した。 「――船橋、俺、頑張るから!」 「何をぉ!?」 紘希のその叫びは、ものの見事にスルーされてしまったのだった。

ともだちにシェアしよう!