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第2話

-Tigar and CDD-  眼鏡の奥に、やっぱり地味だが整った顔がある。路傍に咲く雑草、黄色の小さな花の如く。確か名は、カタバミといったか。雑草と括っているが、あれはあれでひとつひとつ名がある。そういうなかなか覚えてもらえぬ草花の名を出来る限り覚えておきたいんだがの。  石に見紛う固いゴムの上に皮を敷き、スーベルカッターで付けた跡に沿わせてゴムハンマーで刻印を叩く。その後ろで今日もトモダチは弁当を食っていた。相変わらず、卵焼きと赤いタコさんウインナーとブロッコリーで彩られた印象的な唐揚げと佃煮がメインの日の丸弁当。母君が作っているのか。それともトモダチが?器用そうといえば器用そうだが。 「この前のプリンアラモードの少年に会ったんじゃが」  唐揚げを頬張って遠くの風景を見ていたトモダチがボキに向いた。リスの如く。いや、ハムスター。 「チミの名を訊いてきて、害意はないと見たもんだから、名を教えてしもうた。申し訳ござらぬ。夜道に気をつけてたもれ」  刻印の尻をかつんかつん叩く。つい、嬉しかった。浮かれていた。不覚悟。 「ああ、構いませんよ。大袈裟ですって」  トモダチは笑った。大袈裟なものか。 「っていうかオレの名前知ってたんですね。それがなんか…」 「不快だったかの…?」 「いや、嬉しくて」  むずむずっとした。掻き毟るのとは違う、心臓そのものが少し痒い。 「チミといると…なんだか胸が痒いわ」 「え、猫アレルギーですか?ちゃんとコロコロしてるんですけど…」  トモダチは己のブレザーを眺める。 「いや…アレルギーはない。猫御(ねこご)は好きだの。お犬様も好きだけどのう」  カンカンと刻印の尻を叩き、別の刻印に持ち替える。模様が違う。 「虎太郎さんは猫が似合うな」  ボキは固まった。あの声で、ボキは呼ばれた。空耳か。幻聴か。鼻の奥がぐすりと鳴った。 「チミこそ、ボキの名前知っとったんか」  目の奥が染みてしまった。トモダチの方を向きたいのにこの醜態を見せられるだろうか、いや見せられない。 「鳥羽虎太郎さん。知ってますよ。最初に名乗ったじゃないですか」 「人は使わないと判断した記憶は捨てる生き(もん)じゃ。一度聞いたくらいで覚えられるものかの」 「虎太郎さんだってオレの名前覚えてたじゃないですか。使わない記憶と判断してなかったんですよ。それにオレ、こんな感じだから相手のこと覚えていてもすぐ忘れられちゃって。そういうの寂しいから出来るだけ覚えてたいんですよ」  ボキは滲んだ視界に刻印の尻を叩けなくなってしまった。鳥羽虎太郎がボキの名前。鼻を啜ってしまって、トモダチは控えめに訊いてきた。 「下の名前で呼んじゃったの、嫌…でしたか?」 「古代中国には、姓の次に諱と(あざな)があった。ここはそうではない。好きに呼んだら良かろ」  目元を拭う。名を呼び合う友人とはもう巡り会えないと思うていた。望んでいなかったというに。 「そういえば、相手の名前は聞いたんですか」 「巽嵐丸とかいうた。プリンアラモードの最年少だの。真偽は分からんが黒い噂もある」 「黒い噂?」 「女子を誑かして金品をせびるとかせびらないとか。まぁ火の無いところに煙は立たぬというが、つまらん小火(ぼや)を大騒ぎしているだけということもある」  また刻印の尻を叩いて、経過を見る。まずまず。このまま完成まで行くか、行かぬか。 「なるほど」 「とはいえつまらん小火から江戸を焼き尽くす大火と化すこともある」  あの少年にそんな甲斐性があるか?ボキは信じられんかった。でも人には表で言えぬことを抱えていたりするもの。半信半疑。 「虎太郎さんは忍者みたいだ」 「ボキはお(さむらい)じゃ」 「侍…でしたか。公家(くげ)かと思いました」  トモダチは笑った。 -薮蛇苺の伏龍-  躍り歩く。名前を知った。それなら後は学年を調べられる。年上なんだろうか。あの綺麗な顔した変な人と同学年なら3年だ。 「……どうした?」  プリザードになれば使える、王室とか言われてるけど豪奢なだけで要するに生徒会執行部みたいな、そういう部屋。くだらない制度だ、本当に。扉を開いて僕は固まっていた。 「あれ、みなさんはどうされたんですか」 「………トイレだな」  カリカリと丑沢先輩がボールペンを走らせてはペン先をしきりに気にした。また騙されたんだな。この人はやたらと騙される。何でも信じるから面白いんだろうな。 「そうでしたか」  僕は席に着いて仕事をはじめる。これは教師陣がやることでは?と幾度も思って諦めた。丑沢先輩はボールペンのペン先に満足がいったようで暫くは黙々と作業をした。ペンの音と、僕が電卓を叩く音が部屋に響く。ペンと紙を捲る音が数秒止まって、反射的に顔を上げた。丑沢先輩が僕を不愛想な顔をして見ている。 「………もう、いいのか」 「何がですか」  丑沢先輩は少しだけ、切れ長の目を丸くした。そして何でもないと言いたそうに首を振った。2人で黙々とやる事を片付ける。今日の分はいつもと比べたら少ない方だ。どうしてそんなにやることがあるんだろう。誰かが作為的に仕事を増やしてるの? 「………宇佐木も、……心の風邪らしい」  もしかして丑沢先輩、ハブられたこと気にしてるな、これ。それはそうだ。仕事丸投げしてるんだから。心の風邪って何。寒くなってきてしまった。そして躊躇いなく口にする丑沢先輩のピュアさに少し羨ましさもある。 「宇佐木さん"も"?他に誰か…?犬太くんですか」  縫斗先輩はない。縫斗先輩は絶対ない。犬太くんは色気より食い気って感じだけれど、実際のところどうなんだろう。 「…………嵐丸」  僕?面倒になるやつだ多分。丑沢先輩が見破れるはずがないから、縫斗先輩だ。丑沢先輩は鈍感だから。どこでバレた?縫斗先輩は黒魔術師とか聞いたことあるけど、本当だったのか。 「僕は、別に」 「………そうか。…風邪には、気を付けてくれ…」  え、「心の風邪」のこと、本当に風邪だと思ってるの。 「休まないようにはします。仕事多いですし」 「……風邪の時はしっかり…しっかり、休め。風邪は、万病の元だから」  Mr.プリザード。この人がいてよかった。 「はい。風邪はもう大丈夫です」  ありがとうございます、と言って僕はまた電卓に戻る。鈴峰先輩や丑沢先輩みたいな人になろう。僕は改めてそう思った。少し世界が弾んで見える。色が付いて。それがキラキラしてる。また会えないかな。いつもどこにいるんだろう。あの変な人は、先輩の何。トモダチって言ったけど、本当に?なんか変だ。あの人自体変だけど、いちいち僕に言いにくる?やっぱり変な人だから?僕は頭を抱えた。はっとして丑沢先輩を見る。ばっちりと目が合った。何も言うまい。そういう顔してまたデスクに向かう。  入り口が騒がしくなって、やっと3人が戻ってきた。なんだか腹が立って、僕は電卓を叩き続けた。前年度の繰越し金がどうだの、残金がどうだのと割り振っていく。 「本当にいたのかな?その子は。見間違いではなく?」 「いました。なんなら縫斗先輩より付き合い長いんで」 「でも誰も知らないんじゃあなぁ~」  各々の席に着いて、各々作業を再開する。残り5分になるよう計算したな。プリザードって、こんなのでいいのかな。  プリザードの務めを終えて教室へ戻る。高等部入りがプリザードに入るのはおかしいって前に言われたことがある。選べるなら僕だって辞退し、候補だって辞退した。大体プリザードに選ばれそうな人々の像と実際プリザードがやらされる事務作業みたいなのがやれる人の像が一致しない。プリザードは学園の華でアイドルなら、それとはまた別にきちんと立候補制の生徒会を作ってよ。アイドルは好きにアイドルしていたらいい。僕はこんな生活望んじゃいなかった。何しに来たんだろう、バカ高い学費に汚れやすい白ブレザー。設備がいいだけだ。有名で少し偏差値が高くて難関大学の推薦枠が多いくらいで。合格した時両親は喜んでくれたけど受験料だって安くないし、制服だってハイブランドと提携しているから高いし、白いから汚れがよく目立つ。プリザード。これだけ陰口叩かれてるんだから来年こそはプリザードから下ろされるだろう。1年次だけ我慢すればいい。あとは宇佐木さんとか縫斗先輩みたいな華やかで犬太くんみたいに可愛いげのある人とかプリザードはアイドルやれる人がやればいいんだ。僕には向かない。 -Ave MariYa-  3年の使ってる階を探しても、あの人はいなかった。見間違いじゃない。あれはスミちゃんだ。中等部からこの学園に来た。だからその前は公立の小学校にいた。6年間、1人ぼっちだった俺を支えてくれた人。この学園の中等部にいると聞いたから追ってきたのに、スミちゃんはいなかった。いたのかも知れない。だからここにいたんだよな?じゃあ俺が見つけられなかった。スミちゃんを。スミちゃんはどうして俺を探してくれないの。俺はプリザードだよ。今年も昨年も。どうして俺に会いにきてくれないの。俺のこと忘れちゃったの。俺は忘れてないのに。覚えてるのに。忘れられないのに。諦めていたはずがまた焦らされてる。会いたくなる。同じ学園にいるはずなのにどうして会えない。なんで。俺は会いたいのに。苛々した。焦る。割り切ったふうな嵐丸の態度。例の恋煩いの相手とどうにかなったの。俺はまだ会えてないのに?大体嵐丸は高等部入り。高等部入りはプリザードになれないのが暗黙の掟だったはず。学園の貢献度が低いからとか、学園の"匂い"が染み付いてないからとかなんかそういう理由で。  授業をサボっている手近な女を誘う。ただ苛々した。スミちゃん、早く俺を見つけて。  私立の金持ち学園といったって隅から隅まで由緒正しく品行方正ってワケじゃない。集団になればつまはじきにされるヤツとか、その集団に馴染めないヤツとか馴染まないヤツとか馴染もうとすらしないヤツもいる。  ほんっと、巽ってうぜぇよな。  顔だけじゃん?  どうせ女子に投票頼んだんだろ。  通りかかった廊下の空き部屋でたむろってるヤツの会話ってのは面白いものが多い。プリザードは学園の華であれ、生徒の道標であれというけど学園側がもう操作してるじゃん。でも高等部入りはプリザードになれないなんて、実はどこにも書いてなくて、考察好きのずっと先輩が勝手に唱え出した暗黙のルールでしかない。その理由も結局は推測。学園側もさ、気を利かせ操作くらいしてやれよ。史上初の高等部入りプリザードが1年なんてかわいそうだろ。嵐丸、神経図太そうなタイプじゃないし。女子にはカワイイんだろうけど大多数の男子に好かれるタイプじゃないだろうな。この時代にフィットしないけど、この学園には確かにある家柄の良い悪いと高等部入りってやつが嵐丸の隙になってるんだよ。まぁ、家柄でいえば俺も確かにそこまでいいわけじゃない。  高等部入りのクセに。  貧民なら貧民らしく気を遣えっての。  ああ、来年はプリザード、なんねーかな。  お前じゃムリだろ。  面白いよな。高等部入りだから嵐丸はあれこれ調べられて、中等部入りの俺は1年からプリザードでも表立って何も言われない。 「何してんの」  その先の図書準備室の前で蹲るヤツは、プリザードのくせにプリザード専用制服を着ない問題児の巽嵐丸くん。また鼻血か。 「ああ、宇佐木先輩こんにちは」  顔を上げて捻くれたみたいに嗤う。鼻血の様子はない。貧血だかなんだかだと鼻血になりやすいって聞いたことあるけど、確かに栄養足りてなさそう。犬太ほど小さくはないけど、青白いし髪茶色いし細いし。 「高等部入りのプリザードが生意気にサボり?」 「それを言わないでくださいよ」  嵐丸は弱々しく笑った。やっぱり隙だらけ。 「戻れるに戻れなくなっちゃって」 「なんで?」  嵐丸は見透かすみたいに俺を見てから俯いてしまう。悪口陰口気にしませんみたいなお顔しておいて、ばっちり傷付いてんじゃん。どうでもいい。所詮他人事だから。空気読まないでプリザードになるこいつも悪い。辞退しろっての。出来ないんだっけ?まさかな。 「うるさいのぉ、静かにせぇな。こちとら眠いんじゃ」  背後で響く変な喋り方。ここじゃ浮く。訛りとか方言と、外ならカッコいいしカワイイんだろうけどここじゃダサい。白い制服が幾人か空き部屋から出て行って、変わりに変な髪型のヤツが入っていった。嵐丸もそれを見ている。 「宇佐木さんは何しに?」 「寝に」  嵐丸が蹲る真横の飛びを開いて図書館準備室に入った。大方図書室に行ったら悪口が聞こえてショックでも受けたんだろうな。 「茶坊主」 「茶坊主じゃありません」  扉越しにあの変な喋り方と嵐丸が話していた。知り合いか。変な知り合い持つと余計に立場悪くなんじゃん、面白。 「少年はトモダチの友達だからの、ボキは応援するわ」 「要りません」  図書館準備のベランダに向かう。本が日焼けしないように暗幕掛かってるけどその奥の窓の桟の幅がめちゃくちゃ広いからそこでごろごろするのが心地いい。 「鈴峰先輩はどうなさいました?」  は?嵐丸、スミちゃんのこと知ってるの? 「少年は誠、トモダチが好きだの」 「す、…」  まこと?トモダチ?なんだかな。気のせいか。  日光の暖かさとクーラーの冷たさが心地いい。  …スミちゃん。俺、プリザードだよ。なんで2年間、俺のこと見つけてくれないの。 -Tigar and CDD-  トモダチは美味そうに飯を食う。だから人嫌いの作業途中の木彫りの熊にまた(のみ)を打つ。 「あの少年…」 「少年?」 「プリンアラモードの」  トモダチは弁当の隅のエビグラタンを器用に箸で掬っていた。 「彼がどうかしたんですか」 「チミは彼に好かれているな。ボキはダメだの。猫御みたいなやつでの」 「義理堅いんですね。さすが、プリンアラモードです」 「さすが、プリンアラモードだの」  カンカンと浮き出てくる熊の脚。もう少し削ろうか。完成図がわずかに揺らぐ。 「虎太郎さんのクラスってもう学園祭の出し物決まりました?」 「ああ、もうそんな季節か…決まっとらん」  ここの学園祭は盛大だ。何だかんだ終わった後の雰囲気は好きかもしれぬ。後夜祭で花火を見上げながら食う料理研究部のお好み焼きはとにかく美味い。 「オレのクラスはロミオとジュリエットか、シンデレラかな。  クラスで屋台や展示をやってよいし、演劇や合唱やその他パフォーマンスでもよいし、クラスで半々になって両方をやるのでもいい。 「ロミオとジュリエットはまた乾姉弟(きょうだい)がやるじゃろ」 「乾姉弟(きょうだい)?」 「そうなんじゃ…男女逆転ロミオとジュリエットと言ってな…」  あのおっかない姉弟(してい)は苦手じゃ。 「姉が男装してロミオ、弟が女装してジュリエット演るんじゃ。人気での。再演の声が後を絶たぬもんだから、1日2公演とかの…弟は確かプリンアラモード…」 「へぇ…知らなかったなぁ。昨年はカフェが忙しくてあまり回れなかったから…」  カフェやったのか。似合いそうだの。執事とか羊とかなんとかいうやつかのぉ。 「バ・カ・と・の!」  上から声が降る。屋上入り口、給水塔の傍から現れた人影。下から見上げるものだから見えてしまう女子(おなご)の下着が見え… 「よっ、と」  人影が飛んで、着地する。パンツを気にせいと思う。トモダチは少し顔を赤らめて俯いてしまった。箸を止めてしまう。半分に割られた卵焼きが藍色の弁当箱の中に転がった。見てしまったか。 「呼んだ?」  プリンアラモードに双子の弟を持つ片割れの姉が悪戯っぽく笑った。この女本当に苦手じゃ。 「呼んどらん。帰れ帰れ」 「ひっどい!人の名前呼ぶものだからせっかく来てあげたのに~」  女はトモダチを振り返った。トモダチは怯えた目で女を見上げて、その顔にちょっと少しボキはどきりとしてしもうた。 「初めて見る顔ね。わたし、(いぬい)芽依(めい)。よろしくね」  トモダチは女性(にょしょう)が苦手なようだった。いや、女性(にょしょう)は漠然としている。違うな、こういうずけずけした女。ちょっと固まっている。 「そやつは鈴峰澄晴だの。ボキの友じゃ。迫るのはやめれ」 「そうなの?バカ殿様には似合わない純朴さね」 「何を言うか、バカもん」  手で追っ払う。 「そ、そちらの方が、例のプ、プリンアラモードの人のお姉さんですか…?」  一瞬きょとんとしたくせ、ひじきの如く長く濃い睫毛がぱちぱちして、天麩羅を食うた後のようにてらてらした赤い唇が吊り上がった。 「ふふっ、そうよ、わたしがプリンアラモードの乾縫斗の姉よ」  弁当食ってるトモダチの前に近付いて、チュッて音がしたと思うたら、トモダチの頬に接吻しておった。もう完全にトモダチ、固まってしもた。なんだか分からん焦り。腹の奥が変じゃ。 「お前!よさんか!」  芽依は笑ってボキにも近付いて、頬にチュウした。ボキはわなわなと震えて頭が真っ白になる。心の底から苦手じゃ、この女。 「…めっずらし。コタちゃんの"おきに"なんだ?」  顔を撫でられて、また天麩羅を食うた後みたいに照る唇が近付いて、耳元でスッと言われた。 「あばばばば」  言葉が出ない。トモダチが見ておる!ボキは芽依を突き飛ばす。芽依はトモダチへ振り向いた。 「ふふふ。すずちゃん、じゃあまたね」  そう言ってから芽依はボキの頬を軽くペチリと叩いて屋上から去っていった。 「…チミ」  放心しているトモダチを呼ばる。トモダチは、へ?といった調子でボキを見た。 「あ…なんだ、すまんかったな」 「い、いえ、いえいえ…あ、嵐のような人でした…」  弁当箱を落としそうになって慌てて掴み直すところが可愛らしい。芽依の阿呆が不躾に接吻した頬を擦っている。 「プリンアラモードにあれと同じようなのがもう1人おる。ボキは話したことないんだがの」 「凄いきょうだいがいるんですね」  あのボウズの苦労が分かる。つい目が離せなくなってしまう。 「でも、仲が良さそうでした」 「よせよせ。あやつがボキを面白がってるだけじゃ」  まだトモダチの顔は赤い。ファーストインプレッション…第一印象が強烈過ぎじゃ。この学園の女子(おなご)は、スカートの中に頓着がない。階段でも見えてしまう。下着だ。心に決めた者にだけ見せるものではないのか。 「そう照れるでない。肉球柄はまだかわいいものよ」  裾も短い。校則では膝小僧が隠れるか否かくらいの長さだったはず。だが守ってる女子(おなご)のほうが少ない。太腿の半分より上とは破廉恥だ。 「なっ」 「さすがに女子の物とは違うと思うが、弟と毎日"いろち"の"おそろ"らしい」  ということはプリザードにいるスケコマシの弟は今日は肉球柄ということになる。興味はないが。 「ず、随分と、詳しイんですネっ」  トモダチの声が裏返る。ボキは墓穴を掘った感がある。 「ああ…いや、大したことはない。一昨年同じクラスだっただけでの…」  ぱちり、ぱちりと弁当箱をしまう音がする。トモダチに何か誤解を…きっとそれは誤解ではないんだが…誤解を与えてしまったのではとボキは焦った。逃げるな。傍にいてくれ。 「待て待て、すまぬ」  トモダチが背を預けているフェンスに指を掛け、追い込む。至近距離にあるトモダチの顔。ここまで近付いたのは初めてだった。芽依の口紅の跡がピンク色になって残っている。トモダチは戸惑って眼鏡の奥で目を強く瞑った。それが合図だった。 「消毒だからの」  すまぬ。トモダチとあの少年に謝る。滑らかな頬に唇を当てる。柔らかくて、ボキが怯えた。 「っ…」 「鈴峰、」  まだ消えない口紅の跡にまた唇を押し当てる。芽依の阿呆め。柔らかく触れたくせにまるで印鑑だ。 「…っ虎太郎さん…」  フェンスに寄りかかるトモダチが怖い。フェンスの奥の空が怖い。潤んだ(まなこ)で見上げられる。嫌な記憶が蘇った。カシャンとフェンスが鳴る。トモダチの手を取って押し付けた。頭が変になる。胸が痒い。痒い。痒い。  キィ…とアルミの扉が音を立てた。トモダチの目がボキから滑って屋上扉に向く。 「乾さん…?」  芽依か。ボキもトモダチから顔を上げた。いたのは芽依ではない。乾縫斗。芽依によく似ている。結局判断出来るところが唇の色とピアスの左右の有無くらいしかない。仲が良いな。だのにボキは、遠目で芽依と縫斗の区別がついてしまった。何しに来たのか扉は閉まる。  油断したボキの頬が、柔らかく湿った。触れて、離れていく。驚いて目を見開いた。 「お返しです」  やってやったとばかりに笑う。キラキラしている。眩しい。ボキは蓋を閉めて固く固く鎖を巻き付けたて深い底へ沈めたはずの思い出をからからからから巻き上げられるような心地がした。鎖を巻き付けたのは思い出だけではないなかったみたいだ。心の臓にも巻き付けたみたいだ。痒い上に痛い。軋みそうだ。 「虎太郎さん」  終わりかも知れん。終わりでいい。終わりがいい。  無防備な唇を塞いだ。少しカサついて、ボキはトモダチの唇を舐めた。

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