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第2話 服、着てよ
「ほ、本当に、申し訳ないですっ」
ベッドの足元、パンツ一丁の男が土下座って……なかなかにすごい絵だな。でも、見知らぬ男に目の前でゲロられること自体がもうすでにすごい事件だけど。
「まだ着替えてなかったの? ほら、それ、あんたの分の服」
「なんとお礼を言ったら」
「もーいいって」
仕方ないだろ。
酔っ払っての大失態なんて、誰だってある。とにかく着替えとシャワーをしたくて、手身近にあったホテルに入った。
「早く着たら? サイズ、俺とさして変わらないだろ?」
いや、少しでかいくらいか? さっきは俯きがちだったからわからなかったけれど、この部屋を取るだなんだの時に少しだけこの男のことを見上げた。
「服、着なよ」
俺はこの男がシャワーをしている間に、服を買いに行っていた。そして、戻ってきたら、パンツ一丁のこの男が正座をしてた。
一刻も早くシャワーを浴びたかった。だから、その土下座を適当にあしらって、ようやくすっきりしたとバスルームを出たら、まだ正座のまま、申し訳なさそうに頭を下げていた。
その頭の上に今買ってきたばかりの服を乗っけてやる。俺はやっと落ち着いたと溜め息を零して、小さな冷蔵庫から炭酸水を取り出した。
「あんたも飲む?」
「いえ」
俺のほうが、まだ幸いだった。上に羽織ってたシャツが少しとズボンの裾がアウトになっただけだったから。だから、服を買いに行くこともできたわけだけど。
「す、すみません」
「ゲロったスーツは?」
「フロントでもらったビニール袋に入れました」
「っぷ、それ、持って帰るの?」
「と、とりあえずは」
頑張れって声をかけたら、弱弱しい声が「はい」と返事をした。
眼鏡を探しながら見えない目を凝らしたせいで、酒に悪酔いしたんだろ。顔を上げた途端にその場で、ばー! っと、やりやがった。そんで、目の前にいた俺もその惨事に巻き込まれた。
「あ、あの、ここは」
ようやく現状を把握しようとキョロキョロと部屋を見渡している。
「ここ? ラブホ」
「ラッ!」
「安心して。男同士でも大丈夫なとこ」
「おっ!」
よく見れば、綺麗な顔をしてる。美形、って感じだな。
「あ、あの、それって」
目、ホント悪いんだな。ずっとしかめっ面して。
「? 何、あんた、驚いてるってことはノンケ?」
少し近づくと、ここのホテルに備え付けられたシャンプーの香りがした。でも、まだ見えないらしい。しかめっ面のまんま。
「の?」
「呆れた。眼鏡どんだけ探してたわけ? この界隈ってゲイタウンだよ」
ここでも、ダメか。
「ゲッ」
「ゲイタウン。オカマバーとかゲイバーとかそういう感じの店が立ち並んでる場所。知らなかった?」
あぁ、この距離なら見えるんだな。
しかめっ面が消えたのはかなり近いところまで来てようやくだった。その距離五十センチくらい、かな? そこまで近づいて、眉間の皺が和らぐ。
へぇ、イケメン、じゃん。すげぇシチサンだったけど。この七三もやめちまえば、ホント、男性ファッション雑誌とかに載ってそうな感じすらする。
あぁ、けど、眉間のとこに傷痕があるからモデルは無理かもな。小さい傷。眼鏡をしていたら気がつかないだろう場所に小さく、でもしっかりと傷跡があった。
「し、知りませんでした」
「ふーん」
それと、このナヨッとしたというか、温和そうっつうか、人畜無害って感じの性格じゃ、モデルなんて絶対に無理そうだ。
「…………」
しばしの沈黙。まぁ、赤の他人、しかも男とラブホに二人っきりの状況じゃ、思考も停止するわな。
「なぁ」
「はっ、はい!」
「着れば? いい加減」
「あぁ!」
そいつはパンツ一丁だってことも頭からすっぽ抜けてたのか、デカイ声を上げた。そして着るのかと思いきや、新品の安物をじっと見つめてる。
「……」
何? もしかして高級ブランド品しか身につけないとか?
運動なんてからっきしダメそうななのに、けっこう良い体してるな、なんて考えてしまう。
こいつは違うんだろうけど、こっちは、ゲイ、だからさ。しかも欲求不満。そんなもん、男の裸が目の前にあれば、そりゃ、見ちゃうでしょ。
「……」
そして再びの沈黙。
「あぁぁっ!」
その沈黙を今度破ったのはむこうだった。
「ぁ、あの、代金を!」
「いいって、近くの量販店で買った安物だし」
「そういうわけには!」
男が慌てて立ち上がろう膝立ちになったところで、「……ぁ」と呟いて、ピタリと止まった。
「何?」
「…………あ、あの」
やっぱ、背が高い。
「財布、スーツの内ポケットの中です」
「え……」
「し、しばしお待ちをっ」
「ああああ! いい! いらない! マジで! 大丈夫っ!」
その、絶対に悪臭ハンパないだろうビニール袋をここで開封するのも、そこの中から、なんとなく何かで湿ってそうなお札を押し付けられるのも、どっちも勘弁して欲しくて、必死になって遠慮した。「でも」なんて呟いて、またその封印されたままであってほしいビニール袋を開けようとするから、また叫んで止めて。それを二回ほど繰り返して。
「ホント、平気。なぁ、それよりも、服着ろよ。あと、眼鏡どこで落としたか覚えてねぇの?」
見た限りでは眼鏡ないと不便そうだった。財布は持ってるようだし、鞄も今はあのビニール袋の中だけどちゃんとあるようだから、盗まれたとかじゃないんだろうけど。
「そ、それが……」
「どの辺で飲んでたとかさ」
「えっと、歓迎会を開いていただいて、何杯かアルコールをいただいて、それから……」
どんだけ酒弱いんだよ。
「それで、道端で転んだのか、横転したのか、とにかくそこで意識が戻ったんですけど」
「もうその時には眼鏡はなかったのか」
「……はい」
ドジっ子ってやつだ。財布を取りに行く途中だったそいつは絨毯に向けて、ひとつ大きな溜め息を吐いた。
「眼鏡、ないと、困るんです」
「……だろうね」
クセになってるんだろう、眼鏡を押し上げる仕草をまたした。もちろん空振りに終わるのだけれど、今度はそのことに落ち込んだのか視線を伏せて、苦い物を口に含んだような顔をした。
「いつも、俺は、そうなんです」
「……?」
「何をするのも下手で」
「……」
「いつも失敗する」
そして、眉間の眼鏡、ではなく眉間にある傷跡を細く綺麗なその指先で撫でた。
「すみません」
「は?」
苦しそうに表情を歪ませると、さっきまでの無害な男の顔が変わったように感じる。それは無害どころか。
「ウソ、つきました。ここがゲイタウンなのは、知らなかったけれど、ゲイタウンを探してたんです。酒の席で、近くにそういう店があるって話を聞いて、それで」
「……」
「その、ここでならと、たしかめたいことがあったんです」
ぼそりと低い声が告げて、俺を見上げた。
「あの、ゲイバーとかオカマバーがこの辺に数多く立ち並んでいて、そして、このホテルが同性同士でも使えるとご存知だったんですよね!」
「あ、あぁ……」
「あのっ、こ、こんなこと、尋ねるの、本当に恐縮なんですが、あの……同性愛者様ですか?」
「は?」
必死の顔が、セクシーだな、なんて思ってしまった。
「あの、俺、一度も、女性に欲情したことがないんです。だから、男性になら反応するんじゃないかって、なんてことを思って、その……おかしな話ですけど」
さっきチラッと見たこの男の裸がちらつく。
「たしかめ、るの、手伝っては、いただけないですか」
濡れた髪も、懇願の混ざる強い眼差しも、色っぽくて、俺は腹の底がざわつくのを感じる。
「は?」
「服台無しにして、それに、新しい服まで買いに行っていただいておきながら、こんなこと頼むのおかしいんですけど、けどっ」
「ちょ……」
「さっき覗き込んだ貴方のこと、見てたら、なんか……」
この男の射抜くような視線にゾクッとした。
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