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第6話 エリア侵入

 職場が男ばかりだから自分がゲイだって言うことは内緒にしている。ツナギの作業服を着用のこと、となっている現場で、毎日朝晩脱ぎ着を繰り返すのに、そこに同性愛者がいたらなにかと好ましくないだろ。  変な空気になられても困るし。それに今の俺にそう恋愛事が多々起きるわけでもないから。  昔は遊んでた。自慢じゃないけどモテたんだ。顔もまぁまぁ、あと、身体がほっそりしてて抱きやすいっていうか、男がそそられそうな男の身体だったから。男を切らしたことがなかったし、セックスの相手に困ることもなかった。  もちろん、一夜限りの相手だっていた。セフレもいた。  だから別になんてことはない。あの三國っていう男と一回セックスしたくらいで固執するつもりなんてないし、今後だって。 「お、お疲れ様です」  今後だって、仕事で言葉を交わすことはあるかもしれないけれど、そこは大人だろ。なかったことに。 「……何? 営業陣は今日定時上がりじゃなかったっけ?」 「待ってました」 「……あっそ」 「あの」  大人なんだからなかったことにする。あんたにいたっては、ただインポかどうかの確認がしたかっただけ。そして、その目的は完遂された。 「服の代金」 「……いいって。昨日、いらないって言っただろ」  ゲイだってことを職場に勘付かれたくない。 「でも」 「いいって、マジで」  インポじゃなかったっていうのは確認できただろ? まぁ、ゲイ、かもしれないけど。でも、それなら尚更だ。 「そうはいかないです」  真面目だな。そういう奴が快楽の味を覚えるとタガが外れたようになるんだ。その面してたらゲイ界隈でもモテまくるんじゃね? そんで、知ることになるよ。もっと若くてぴっちぴちで可愛いネコちゃんがたくさんいるって。イケメンとのセックス待ちのネコが、さ。  あんた、初心者のわりに、セックス上手かったし。 「お昼に渡そうと思ったんですが」 「俺、昼飯外出てたから」  本当は暑いし、昨日の感覚が残ってるから外を出歩くのは億劫だったけれど、あえて出たんだ。びっちりシチサンのこいつは本当に金を届けに来そうだろ? 「な、なのでっ」  だって、俺とこいつは今日が初対面なんだ。金の貸し借りなんてしないだろ?  「いいよ。ホント」  それに、なんとなく会いたくなかったんだ。一回限りにしては、さ。まだ、残ってる。 「これ! 昨日の財布に入ってたものじゃないです!」  このギャップのせいかもな。ひどく鮮明に残ってる。 「今日デスクが向かいの方に頼んで両替していただきました! なので、小銭混じりなんですけど! し、湿ってません」 「っぷ、くくくく」 「? あの、天見さん?」  あ……俺の名前、知って。  って、当たり前か。作業指示書を営業に返す時、作業者の欄を見れば俺の名前のハンコが押されてるんだから。 「わかったよ。ありがと。んじゃ、これで」 「ああああ、あの、あまっ、うわあああああ」 「ちょっ」  ドジッ子かよ。  あんた、今何につまづいたんだ? なんもないただのコンクリートの地面で一体何に足を取られるんだよ。  ぐらりと揺れて転びそうになったのを咄嗟に抱き締めて受け止めた。 「っ」  その拍子に首筋にかかる三國の吐息に身体がテンションを上げかける。 「す、すみませっ」 「あぁ、そっか。目、あんま見えてないのか」 「は、はい」 「さっきのあの眼鏡は?」  抱き合うとほら昨日の身体の厚みを思い出す。 「子ども眼鏡かけて爆笑されたのにですか?」 「っぷ」  耳元で聞こえる声がムスッとしてた。こりゃ、大変だな。自分が視力平均並だからわからないけど、仕事しずらかっただろうに。 「帰れるの?」 「が、頑張ります。とりあえず、帰りに眼鏡を買いに行かないとなんで」 「そっか。辿り着けんの?」  なんとか、と呟く声は不安そうだった。昨日、一生懸命眼鏡を探して繁華街をうろついてたっけか。 「もしかして、この辺の地理詳しくない、とか?」 「越してきたばかりなので」  別に俺が眼鏡を行方不明にしたわけじゃない。職場の同僚としては、仕事上の付き合い、その付き合いという言葉すら当てはまらないほどに関係性は薄い。っていうか、むしろ、ないけど。 「付き合ってやろうか」 「え?」 「いーよ。別に何もないし」 「!」  ないけど、昨日、誰より近いとこにこいつを入れさせたから、そっちの関係から考えてみてってことだ。あまりに大変そうだったから、手伝ってあげるだけ。 「ぜ、ぜひ!」  ただ、それだけ。  三角眼鏡。ほら、ザマス口調になる感じの。 「んー、教育ママ感がハンパじゃない」 「私は女性じゃないですよ」  わかってるって。ホント、ギチギチしてんな。律儀に答えて、三角眼鏡を丁寧に元の場所に戻した。そこに間髪入れずに丸眼鏡を手渡す。 「いやぁ……文豪?」  シルエット的には昼間爆笑で終わった子ども眼鏡に似てるそれはある意味お似合いだけどさ。 「あ、本は好きです」 「好きそー」  けど、そういう問題じゃないだろってそれを受け取ってまた別のを探す。三國は見えてないから、静かに笑ってると気がつかれないけど、声に出すと「あ! 笑いましたね」ってむくれてた。  なんとなく、少しだけ、いや、ほんのちょびっと、こんくらいだけ、この男に自分の声を覚えられていることがくすぐったい。本当にちょっとだけ。 「これは? ……おー、似合わない」 「そ、そんなダイレクトに」 「虫感すごい」  ビッグサイズの眼鏡は重いのか指で何度も眼鏡を押し上げる。昨日はその仕草が何度も空振りに終わったのを見た。 「あ、これじゃね?」 「! そ、そうですか? じゃあ、これにします」 「即決かよ。迷えば? もう少しくらい」 「いいです。これがいい」  三國がぐいっと鏡を覗き込んだ。つまりあの距離が、この男の認識できる範囲だ。  ――もっと、キスも、欲し。  そう言ってねだったのを思い出す。何度もキスをしたっけ。たぶん、あのくらい近くに俺はいた。この男が顔を認識できる範囲に潜り込んで、何度も、たくさんキスをしたんだ。

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