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第9話 ユラユラ揺れる

「こりゃ、随分派手にぶつけたなぁ」 「……ですね」  目の前のセダンは後ろがべコンとへこんだ、見るも無残な姿。持ち込まれた修理依頼の車はうちのメーカーの中でもハイクラスの車種だった。しかも、これ、たしか去年出したリニューアルモデル。つまり、ほぼ新車ってことだ。 「す、すみません」  自分がぶつけたわけでもないのに、三國がとても申し訳なさそうな顔をした。この車の担当らしく、今回はしっかりと全て書き込まれた作業指示書を持って整備工場のほうへと顔を出した。 「どのくらいかかりますか?」  左後部がぺちゃんこにつぶれてる。これだと下もしっかり見ておかないと、どっかに歪みが出てきてるかもしれない。 「納期三日ねぇ」 「すみません!」  台車の手配都合で、どうしてもその日の夕方には上げないといけなくなった。 「む、無理でしょうか」  普通は待ってもらうけれど、けっこうな大客、つまりポンポンと新車を買ってくれる、車屋としてはありがたいお客様らしい。 「んー、けどなぁ、他にも分解が二件入ってんだよ」  分解、正式には分解整備、つまりオーバーホールってやつで。車の内部を分解して要修理箇所を見つけ、直して、また元に戻すっていうけっこうやっかいな仕事。チーフとサブチーフしかこれはやれない難しい仕事だった。もちろん補佐を兼ねた勉強がてら俺らも参加することになってたんだけど。 「そこを! なんとか!」 「っつってもなぁ。もう少し待ってもらえないの?」 「……ちょっとそれが難しくて」  だろうな。じゃなきゃ頼み込んだりしないだろ。 「どうだ? 天見できそうか?」 「……」  納期を待ってはもらえない。グッと口元を真一文字に結んで、再び三國が頭を下げる。とはいっても、人手が余っているわけではないから。 「大丈夫です。残業にはなると思うんですけど」 「それは! もう! 承認得てますので!」  そこの準備だけは万全かよ。そう言い切った三國の顔が一生懸命すぎて、声も、勢いも、すごくて、なんか笑ってしまった。 「んー……すげぇな、これ」  中もけっこう歪んでる。部品の亀裂なんかはなさそうだけど。バイクとぶつかったっぽいな。 「んー、と」  ひとりになった作業場でぼそりと呟きながら、車のパイプに手を伸ばす。  車の下に潜り込んでの作業って、なんか好きなんだ。機械って感じがモロにする車の下側を覗き込む感覚は、どこか秘密を探ってるみたいでドキドキする。入り組んだパイプは黒い蛇のようにうねっている。そのところを、貫くように、真っ直ぐ、どこまでも伸びていきそうなほど真っ直ぐ走る車軸とかさ。人が作ったはずの道具なのに、人の力じゃどうにもできない感じがワクワクするんだ。機械いじりはもとから好きだった。  中学生の頃、愛用してたCDコンポがよく不調になると叩いてた。叩くと、ふとした時に直ったりしてたから。でも、寿命だったんだろう。ある日、突然聞こえなくなって。  でも、どうにかしたら直せないかと思ったんだ。  叩いて直るってことは接触不良。なら、接触が良好になればいいじゃないかと、ガキなりに頭をひねって考えて、そして、コンポの蓋を開けた。  シルバーのなめらかなフォルムの内側はガチャガチャした、ミニチュアの町みたいになっていた。部品が建物、配線が道。中はこんなふうになってるなんてって、外観からは想像もできない機械感があってさ。興味が沸いた。  そこから、ずっと、機械系をいじってた。中でも特に好きだったのが、車、だった。  CDコンポと同じ驚き。  綺麗で滑らかなフォルムに覆われた中は無骨な部品が複雑に組み合わさってて、ワクワクした。  整備士の仕事はきついけど、そんな車の内部ばっかに触れてられるわけじゃないけど、でも、楽しい。  タイヤ交換もピークの時期には少ししんどいけど。でも、車に触っていられるから。 「……ふぅ」 「あの、お疲れ様です」  ひとつ溜め息をついて、そろそろ上がろうと思ったところだった。車体で見えないけれど、その靴でわかる。  いや、実際には声でわかった。 「すみません。作業」  三國がそこにいた。 「……お疲れ」  申し訳なさそうな顔。車体の下から背中につけた台車で滑るように出て、起き上がってまたひとつ深呼吸をした。  ずっと寝転がってたから、きっと、髪がボサボサだろうな。でも、手が真っ黒だから髪を直すこともできず、起き上がると同じ体勢を続けて凝り固まった身体をぐんと伸ばした。 「もう上がり?」 「あ、いえ」  心配して、というか、先に帰るのは申し訳ない気がして、何か手伝えるわけでもないけれど――そんなところかもな。そんな顔をしてる。この時間まで残ってるのはたぶん俺一人だけだと思ったし。 「俺はもう上がり」 「え?」 「納期三日あるんだろ? なら大丈夫。間に合うよ。仕事戻れば?」  これはちょっとした意地悪。ジャケットを手に、鞄も持って、それでこれからデスクワークってわけないのは見てわかる。けど。 「あ、いえ」  なんか、意地悪をしてみたくなった。 「俺も! 上がりです!」 「…………あっそ」  予想外、だったな。食いつくと思わなかった。 「じゃあ、セキュリティーオンにするから」 「あ、はい」 「そんで……待ってて」 「!」 「着替えるから」  職場なのに、三國が自分のことを「俺」って言ったから。  ここにいる三國はずっと「私」って自分のことを言ってたのに、今、俺らしかいないここでそう言ったりするから。 「なぁ、あれの担当、本当は田中さんじゃないの?」  更衣室の入り口に三國が立っていた。着替えてるところを眺められてる気がしたけれど、気が付かないフリをして会話を続けた。 「はい。田中さんなんですけど、今日はお休みで」 「あぁ、なるほど」  それで、下っ端の三國が押し付けられたのか。あんた、人が良さそうだもんな。 「自分で受け持ったんです」 「え?」 「無理な納期だなぁって、営業チーフがぼやいてたのを聞いて。現場のスタッフに相談しないとって言ってたから」 「……」  今日、忙しかったのか。俺も、だけれど、こいつも、きっと忙しかったんだろう。少しだけ、崩れてる。 「だから、その……」  シチサンの髪が解けるように、少しだけ乱れて風に揺れていた。 「その……」  俺は仕事でバタバタで、髪だってくしゃくしゃ。けど、手が真っ黒になったから直せなくて、そのあとも、三國を待たせないようにと、着替えを急いだから、髪なんてそのままで。  ボサボサで。 「……」  三國と同じように、髪が、風に揺れていた。

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