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第18話 デートのような

 どこまで身構えればいいのかわからないっつうの。服のチョイスだって、TPOってものがあるだろうが。  出かけるって、どこへだよ。場所によって服も変わるだろ。その辺散歩する程度ならTシャツでもいいけど。しかも水曜の休みを合わせての外出とか、まるで……デート.  違う違う。デートじゃない。しいて言うなら。  デートもどき、だろ。  セフレとの外出はデートではなくデートもどき、そう胸の中で自分に教えると、目の前に止まった生真面目なこいつがよく着ているスーツと同色の紺色のセダンに乗り込む。 「おはようございます」 「あ、うん。……はよ」  何度も乗ったことのある車なのに、今日は違っているように感じた。 「……? これ、何? 芳香剤」 「あ……臭い、ですか?」 「あぁぁ! ごめん、芳香剤っぽくないから、何かなぁってだけ」  違ってるように感じたのは香りだ。爽やかな中にほんの少し混ざる甘い蜜みたいな匂い。 「プレゼント、です」 「……は?」 「香水」 「はぁ?」 「昨日、買ってきたんです。発車しますね」  路肩に車を寄せていた真紀が車道に戻ろうと行き交う車をチェックする。俺のいる助手席とは反対の道路へと視線を向ける、その後姿、首筋と耳が赤く見えた。  昨日って、仕事の後にか? これを? わざわざ? 今日出かけるからと手土産に? なんで、そんな丁寧ことを。 「誉さん、この前、汗を気にしてたから」 「は? ちょ、なんで、それでっ」  だって、一日仕事してたんだぞ? エアコンなんてあってないようなもの。でかい扇風機が回ってはいるけれど、そんなものでしのげるほどの暑さじゃない。汗もかくし、オイルだって扱う。車体の中なんて手を突っ込んだらすぐに真っ黒になるんだ。臭くもなる。 「何か贈り物を、と思ったんですけど。他にいいのが思いつかなくて」 「……」 「も、もし、よかったら、それ、付けてみてください。すぐに付けられるように店員にお願いしたんです」  掌サイズのギフト用香水ボトルには淡い青色をしたリボンがまるで花のようにあしらわれていた。蓋の部分、ちょうど、女性のくびれのように細くなったところにそのリボンがあるから、今蓋を外しても大丈夫なようになっている。  えらく高そうな香水だった。  読めないし、香水なんてあまり詳しくないから、どこのブランドのものかわからないけれど、高いのだけはその気の利いたリボンと、ボトルの上品さでわかる。 「ちなみに、どこのブランドの、とかはわかりません」 「はっ? …………っぷ、あははははは」  そういうところがあるんだ。 「ちょっと、そんなに笑うことないじゃないですか」 「だって」  生真面目で、脳みそまで四角そうなのに、どこか抜けてるというかさ。眼鏡をなくすほど酒に酔っ払ったり、その勢いで見知らぬ男と寝る。真四角な頭のどこかが急に滑らかなカーブを描いているような、不思議な頭の中。 「そ、そんで? どこに行くわけ?」  そんな不思議な奴は初めてだから、笑いが止まらない。 「あ、あの、その目的地の前にいいですか?」 「あ?」  今日は、まだセックスしてないからか、ポンピングで止まらなかった。いや、それよりも少し急ブレーキ気味な停止に、頭がカクンと前につんのめる。 「!」 「……今日の、誉さん、素敵です」  つんのめったところで激突するように、キスをされた。そして、離れる瞬間、スンと鼻を鳴らされつけたばかりの香水をかがれる。 「……それと、香り、良し悪しはわかっていないのですが、すごく似合ってると思います」  激突、衝突、とにかくぶつかるみたいなキスは拙くて、ドキドキする。いつも真紀がするエロくて濃くてやらしいのと全然違う不器用な感触に、心臓が驚いて飛び上がった。  甘すぎない、そして、男性用特有のスパイシーさもない。ちょうどいい。好きなんだ。こういうの、昔はよくつけてた。もう最近じゃ、それを付けて誘惑を、なんてことがなくなったから、古びたボトルのは捨ててしまったけど。 「えっと、場所は水族館です。パンフレット、プリントアウトしてきました」  また、吹き出して笑いそうになったけれど、今度はどうにかして耐えた。パンフレットを、しかも、このスマホが普及したネット社会で紙にプリントアウト。子どもの時の遠足で持っていくしおりみたいで、真紀らしい。 「涼しくて、ちょうどいいかなって」  水族館か……もうずいぶん長いこと、行ってない。デートの定番スポットだよな。そして、デート序盤、とても喜ばれそうな、お相手の機嫌が一気に上昇するようなプレゼントに、服装の感想。本当にデートみたいで、真面目な真紀が「出掛ける」イコール「デート」、しかも定番コースというのが、らしくて笑ってしまいそうだった。 「うわぁ、すご、海月が……」  デートコースとして申し分ないだろ。水族館を一日散策して、そのまま併設されてるレストランで食事、しかも、アミューズメントパークにあるようなレンチンに近いプレートじゃなくて、本格的なもの。有名和食料理店とのコラボレストランらしい。酒も料理も最高だった。けど、ちょっとこれを初回でやったら、二回目三回目大変かもしれないぞ。次だって、相手はそれなりのものを期待してくるに違いない。そこで、たとえば、ラーメン屋とかファミレスなんて選択をしたら。 「誉さん、日本酒、同じのおかわりしますか?」  相手はがっかりするかもしれない。 「誉さん?」 「! あ、あぁ、んー、どうしようかな。もうけっこう腹いっぱいだし。それに、お前は酒飲めないから」  ひとりで飲み続けるっていうのも申し訳ないような気がしてさ。車だから、運転があるだろ? 「俺のことは気にしなくていいですよ」 「んー」 「ほら、なんか色々ありますけど」 「真紀は? 何か食い物とか」  デートでもシチサン眼鏡は相変わらず。スーツはさすがに着てないけれど、それでも水族館にシャツっていうのは、ありっちゃありだけど、なんかお前の場合だけは、もう少し着崩せばいいと思えてしまう。あんなに毎日きっちりしてるから、ギャップっていうか、隙を見せて相手を揺さ振るというか。 「誉さん、お酒、もっと飲んで平気ですってば」  そういうのが相手はほろほろーっと来るんだぜ? 「あ、こんな名前のとか、すごそうですよね」 「え? あ、あぁ、ホントだ。すげ、強そう。飲んだ瞬間酔っ払いそう」  二人の間に置かれたメニューを一緒に覗き込んだ。今日はよく見る角度だった。横にいて、一緒に水槽の中を何度も覗き込んだんだ。色とりどりの魚にはしゃいだり、川魚の地味さにあくびをした俺と、川魚といえど、その生態系を真面目に勉強している真紀。爬虫類エリアでは嬉々として硝子にへばりつく俺と、口を真一文字に結んで、ぐっと何か、というか苦手意識を飲み込もうとする真紀。そうそう、ワニのところではワニの住んでいる場所の地面が硝子張りになっていて、そこにぽこりと半球型にくり抜かれているスポットがあった。そのスポットに潜り込むと、もちろん強化硝子で守られているけれど、昼寝をしているワニのすぐ隣に顔を覗かせることができる。あそこの時は、その球体の中で真紀が慌てて声を出すから、耳がつん裂けそうで、びっくりした。  そんなふうに一日ずっと、真紀の隣にいた。 「んー、これは強そうだからやめておく。そういうの飲むとすぐへばるんだよ。うち、整備の奴らってけっこう酒強いのがいるから、一気のみとかあるんだけど、俺はいつも遠慮してる。チーフなんて、毎回すげぇ」 「誉さん」  今日はずっと、真紀の隣にいる。  まるでデートを楽しむカップルのように。 「もう、酒、大丈夫ですか?」 「……」 「誉、さん」  酒を飲んだのは俺。真紀はずっとウーロン茶だった。けど、俺の手に重なった真紀の掌は酔っているみたいに熱かった。

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