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第22話 秋空の下
「向こうには遊園地もあるんです。ただ、俺が乗り物酔いするので、行かなかったんですけど。誉さんは好きそう」
――見せて。誉。
つい、数時間前まで、朝日差し込む高級ホテルのデカイベッドの上で、この男とセックスしてたなんて。
爽やかな笑顔なんてしやがって。さっきは俺の中であんなに暴れながら、色っぽく眉なんてひそめてたくせに。今、ハンドルを握るのその指で、俺の尻を鷲掴みにしてたんだ。その穏かな視線が、セックスの時は――。
「…………」
「な、なんだよ」
居心地が悪くて、落ち着かなくて、ぶっきらぼうな声になった。だって、信号待ちの間じっとこっちを見られたら、誰だって「何?」くらい、言うだろ。密かな片想いをしている俺だけじゃないはずだ。
「さっき、この人といかがわしいことをしてたなぁって」
「! は、はぁ?」
「だって、こんな綺麗な人がちょっと前まで、あんな」
「んばっ! 何言って、おまっ」
何考えてんだと慌てて手を伸ばすと、掴まれてしまった。手首のところ。さっき、朝したセックスで掴まれ拘束された手首のところ。
「っン」
そこをぎゅっとされてから、指でなぞられて、まだ昼前の陽差しの下、車内だからって出しちゃいけない声が零れる。
「強めに掴んでしまったと思って。大丈夫ですか?」
赤くなってやしないかと、まるで女の手首と間違えてるみたいに心配したりして。俺の手首はそんな柔じゃない。少なくともあのくらいで折れるほど細くも貧弱でもない。なのに、心配されるとくすぐったくて、目が合うと。
「ンっ」
キスがしたくなるから。だから目を伏せようと思ったのに、それよりも先にキスをされた。がぶりと噛まれて、その噛まれたところを舐められて、吸われる、突然なのにとてもやらしいキス。
「俺があげた香水の味がする」
「!」
つけるだろ。好きな男からもらった香りなんだから。わずかに。俺しかわからないくらい、そこに唇を近づけなければわからないほどわずかな香りにした。帰りの車の中、密室できつい香水はちょっと、あれだろ?
「真、紀っ」
「すみません。たまらなくなってしまって」
「っ、い、いい。別に。ほら、信号変わった」
クラクションを鳴らされる前に発信しろとこっちから真紀を引っぺがした。
たまらなくなってって、何が? それはこっちのセリフだ。こんなキス、するなよ。熱烈で、甘くて、やらしいキスなんて。
「……」
今までしたことくらいあるのに、真紀のは違うから困るんだ。こんなに嵌ったところでどうしようもないのに、それでもこの手を離せそうにないなんて。
「好きじゃない」
「え? 誉さん?」
そう拒絶されるのが。
「怖がりだから、ジェットコースターもお化け屋敷も好きじゃない」
怖くて、けれど、好きっていう気持ちも消えてくれなくて、どこにも動き出せずにいるんだ。
距離を置けばいい話なのはわかってる。
「もうすっかり秋の空ですねぇ。どこか行楽に行かれるんですか?」
整備工場は屋外になっている。基本営業部の連中は室内で接客していることのほうが多いけれど、その接客のラスト、お見送りの時にはああやって外に顔を出す。
真紀の低い声に手が一瞬だけ止まった。やたらと耳がそっちに気をとられそうで、タイヤのナットを締めるだけの作業にも変に集中力が増す。
「いいですね。お孫さんと温泉。あ、ちょっと待ってください。紅葉の時期とかお調べしましょうか」
そこまでする営業なんていないっつうの。そう思いながらチラッと駐車場のほうを見ると、ちょうど真紀が建物へと戻っていくところだった。眼鏡を指で押して、自分が紅葉狩りにでも行くみたいに楽しそうに、相手を待たせてしまってはと足早に。
長い脚で闊歩するとモデルみたいだな。少し抜けてる、と思えば、たまに几帳面。そんなところは面倒臭くて仕方ないのに、笑えるんだ。
この前だって、あの魚の上手い小料理屋の前で待ち合わせするのに、直立不動で、じっと動かず立ってるもんだから、マネキンみたいでさ。あのきっちりわけたシチサンが余計にマネキンっぽさをかもし出すっていうか。思わず笑ったんだ。中入ればいいのにって。そんな俺に今度は真紀も笑ってた。
そして、そんな笑顔が優しい奴。
――誉さん、中、熱い。
「……はぁ」
真紀と出会ったのは夏だった。季節は秋に変わったけれど、この関係は変わらず。どのくらい続くのかなんてわかるわけがない。あっちが飽きたら、かな。俺は……飽きそうになくて、困ってる。
「どうした、溜め息なんてついて」
「チーフ」
「そろそろタイヤの履き替えシーズンだっつうのに、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。すんません」
チーフが本当か? と覗き込む。俺はナットをしっかり締めると、立ち上がり次の作業へと取り掛かった。
「お前、営業の三國と」
「!」
いきなりその名前を出されて、ひどく動揺して、手から滑り落ちたトルクが派手な音を立てた。びっくりさせただろうと慌てて謝って、それを棚に戻しながら、チーフの次の言葉を待ってしまう。
そんなに親しくはしてなかったと思う。そりゃ挨拶くらいはするけど、でもそれは同僚の範囲だった、はず。
「仕切り、頼めるか?」
「……え?」
「秋の感謝祭。毎年やってるだろ? ほら、顧客呼んでの」
「あ、あぁ」
びっくりした。何かと思った。
そっちか、って安堵の溜め息が自然と零れる。秋の感謝祭、タイヤの履き替えが増えるこの時期に行われるちょっとしたお祭りだ。
「まだ三國のやつは移動でこっちになったばっかだろ? そんで、お前と同じ歳だしな」
「はぁ」
「そんなわけで感謝祭の仕切りを任せようかとな」
「はぁ……え? は? ちょ、チーフっ」
ノリはけっこう体育会系。だから、こういう仕事はよく新人に回ってくる。そして俺の下に一昨年入社の新人整備士がいるけれど。
「いやぁ、営業のほうが新人だと三國なんだよ。そしたら、うちのほうからも同じ歳のお前がやったほうが、色々話がわかるかと思ってな」
「ちょっ」
営業は整備士以上に人のローテが激しいから。わからなくもないけれど、いつもは別にかまわないけれど。でも、真紀とは。
「頼んだぞ」
「チーフ!」
距離を――距離を置けばいい。そんなのわかってる。わかっているけどできなくて、明日が休日の俺は今夜も、真紀と会う約束をしていた。
「……マジで」
距離なんて、置く気ないくせにって、高い秋空のはるか上から神様が笑っているような、そんな気がした。
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