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第26話 淡くて薄い

 ご一緒は、どっちにしてもできなかったな、と思う。彼女は普通に仕事の一環としてやってるだけで、他意はない、かもしれない。  でも、そうじゃないかもしれないっていう気持ちがきっと棘になって言葉と態度に出るだろうから、一緒に買い出しはしたくなかった。  それともう一つ、理由があったんだ。  いつもどおりなら、買い出しを終えたらきっとそのままあいつの部屋に行っている。そして、セックスしている。いつもどおりの流れ、だったのなら。でも、もしそれが違っていたら、俺は落ち込むだろう。  本当に買い出しだけで終わったら――。  ――この前、急に帰っちゃうから! 電話も繋がらないし。次、いつ来るの? 予定合わせるから飲もうよ。 「……レン」  そう、連絡なんて簡単に切れるんだよ。今までがそうだった。この四角くて薄っぺらいスマホ一つの電源が落ちれば、たったそれだけであっちもこっちも簡単に繋がりは途絶える。  セフレとの切り方もそう。ボタンひとつ、消去のところを指でタップすれば、即終わり。  今日、断ったから、怒ったかもしれない。元々真面目な奴なんだ。俺の態度にだけでなく、任された仕事を放って帰ったことにも憤慨しそう。 「……」  そろそろ、かもな。  彼女はきっかけではないかもしれない。でも、俺とっては終わりへのカウントダウンが始まったのと同じだ。  買い出しを、セックスを断ったのなら、はい、そこで。 「…………バイバイ、って」  セフレなんてそんなもんだって、俺は、俺こそ……知ってたじゃん。  セフレとしては長く付き合ったほうじゃないか? たまに会うとかじゃなく、急に盛り上がって出来上がった即席の関係の割りには熱はずいぶん冷めずに続いてたと思う。でも、もうそれもそろそろ終わるけれど。ここ一週間、全部の連絡を無視してるから、そのうち向こうからもチョキンと切られるだろ。  そんで、終わりだ。 「あ、すみません。これ、店長からコーヒーの差し入れだそうです」 「おー、ありがたい」 「今日はなんだか夏みたいに暑いですもんね」  男臭い、そしてオイルとタイヤのゴムの匂いが充満する職場にはやたらと不似合いな女性ならではな甘い声が響いた。そして、その声は俺の耳にとてもまとわりつく。 「あ、チーフは無糖ですっけ?」 「あぁ、わりい、いっちばん甘いのがいいんだが」 「はーい」  イライラする。 「はい、どーぞぉ」  彼女の声に神経が逆撫でされる。 「あ、天見さんは?」 「……」 「コーヒー、カフェオレもまだあります」 「あー、ごめん。今さっきコーヒー飲んだんだ」 「そうなんですねぇ。あ、そだ感謝祭のことなんですけど」  棘が鋭く尖って、彼女に攻撃的な気持ちしか沸き起こらない。だから早く離れたくて、眉間に皺が寄ってしまう。  悪い子じゃないと思う。別に今まで普通に職場仲間ってだけだった彼女にこんなにむき出しに苛立ってたら、ダメなのもわかってる。しかも感謝祭の仕切りを一緒にやってくれるって言ってたのに。けど、無理なんだ。 「悪い、今、手が離せない仕事してるから」 「あ、天見手伝うぞ」 「チーフ、すんません」  ちょうどよかった。面倒な作業をしているところで。工具もびっしり並んでいる現場なら受付スタッフとしてタイトスカートをはいている彼女はそう自由に中を歩けやしない。その工具に囲まれながら、仕事に没頭しているフリをした。 「ちょい、待ってろ」  彼女は邪魔だと察知してくれたようで、その場を離れようとしてくれていた。目だけで、背中を押すように、シルエットを見送って。ちょうどその視界に、チーフが工具の並ぶ棚の端にコーヒー缶を置いたのが見えた。角のところ。そこに置いて、俺の手伝いをしてくれようとしてた。  今日は、なんでか秋とは思えないくらいに暑くて。皆も腕まくりをしてた。基本作業中は腕まくり厳禁なんだけれど、熱中症になるよりいいだろうって、腕、まくってたんだ。俺も、チームも。  そのチーフの捲くった袖が棚に引っ掛かった。 「! チーフ!」  腰痛持ちのチーフが突然、引っ掛かった裾のせいで、ぐんと引き戻されて、踏ん張れずよろけて倒れるところに、それが落ちていた。プロ仕様のごついカッターが。刃の出た状態で。 「っ! チーフ!」  咄嗟だった。 「おい! 天見!」 「っ」 「おいっ!」  咄嗟に手が出たんだ。工具をいっぱいそこに並べてたしカッターが鋭く冴えた銀色をして光っているのが見えたから。 「きゃああ!」  彼女の叫び声に答えるように、床に真っ赤な水溜りがボタボタとできていた。 「しばらくは片手だなぁ。まぁ、事務作業とか、予約の整理とか、あと、俺の苦手なデスクワークの手伝い、とかな」  病院へ付き添ってくれたチーフが、赤信号になったと同時、何度目かわからないけれど、申し訳ないと頭を下げる。 「もう、いいですって」  よろけたチーフを庇って刃の出ていたナイフを手で踏みつけた俺は、利き手でもある右の掌に全治一週間の怪我をした。 「俺も悪いんです。工具、めちゃくちゃ並べてたから」 「いや」 「それよりすいませんでした。現場、騒がせちゃって」 「バカ、そんなん気にするな」  一瞬騒然とした。女性の悲鳴が余計に騒動を煽って、カッターで思いのほか深く切った手から流れる血が、その騒ぎをさらに大きくした。たいしたことない。ただの切り傷だけれど、その場はホント大惨事が起きたみたいになった。 「着いたぞ。降りられるか?」 「大丈夫ですって」 「荷物を」 「俺、怪我したの片手です。荷物くらい持てます」 「……」 「もう夜遅いんで」  立て込んでた作業で残業していた最中の出来事だったから。病院行って診て貰って帰ってきたら、かなり遅い。店舗のほうも真っ暗だった。診察が終わった時点で店長には連絡を入れておいたから、全員退社した後なんだろ。  営業のある二階の部屋も真っ暗だった。もちろんフロアも真っ暗でウインドウカーテンが下がっている。 「チーフ、鍵だけ借りてもいいですか? もう誰もいないみたいなんで」 「あ、あぁ、それなら」  鍵を開けて手伝うとシートベルトを外そうとするから、平気ですってば、と突っぱねて、一礼の後、車のドアを閉めた。腰痛持ちのチーフを待たせたり、手伝わせたりするほうが落ち着かない。ただの切り傷なんだし、腱とかにも異常はなかったんだから大袈裟にする必要なんてない。  車が挨拶代わりにテールランプを数回出して走り去るのを見送った。 「……」  何やってんだよ。迷惑かけて。  彼女、にだって悪いことをした。あとで、謝ろう。感謝祭が明日だっていうのに、ろくに話しすらしてないんだから。感じ悪すぎだろ、俺。  私情を混ぜて仕事をしすぎだ。だから、職場の奴と関係なんて今まで持ったこと一度だってなかったのに。  ホント、バカかよ。  いつか、終わるセフレっていう関係に苛立って、何も関係ない彼女を無視したりして、ガキかよ。俺と真紀のこれはいつか終わるってわかってたはずなのに。  セフレなんてさ。  知ってただろ。  世の中、「期限」っていうのはどんなものにもあるって。  それは生きとし生けるものだけではく、食い物には賞味期限、物には使用可能期限、仕事にも締め切りという期限が設けられている。 「はぁ」  人だって、関係だって、例外じゃない、そう……だろ? 「明かり?」  整備工場も真っ暗、フロアも真っ暗、なのに更衣室だけ明かりが点いていた。誰かの消し忘れ? ドアの隙間から光が零れてる。もう誰もいなかったし、鍵もかかっていた。セキュリティーもオンになってた。なのに、人がいる? 泥棒? 「……おかえりなさい」  いや、もしかしたら、泥棒じゃないかもしれないと、淡い期待を抱いていた。 「……誉さん」  外からじゃ誰もいないように見える店舗、でも、真紀が待っててくれたら、なんて、限りなく淡くて薄い期待を持ったりなんか、していた。

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