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第36話 貴方の好きなもの
「お大事にー」
傷を覆っているテープの張り替えくらい、平日の午前中、さして混んでないと思ったけど、けっこう混んでたな。朝一で並んだのに、もう十時になる。
朝一で並べるくらい、しっかり寝かせられた。
なんだよ。昨日、俺はその気だったのに、しないで寝ますとか言いやがって。恋愛なんてしたことないくせに、人にこと夢中にさせるなよ。
「……やっぱり、なんだか落ち着かないですね。変じゃないですか? これ」
ドキドキさせるなよ。
たかが髪を下ろして、その髪が秋風に揺れただけで、何、人のこと、釘付けにしてんだよ。
「変じゃない。むしろ、普段のシチサンのほうが変だ。けど! 普段は、シチサンでいろよ」
「変、なのに?」
「変だからだよ!」
そしたら、うちの店舗の受付の彼女みたいに、そのダサい見てくれに騙されて、初っ端から恋愛対象外にお前のことを位置づけてくれるだろ。なんてことを考えるくらい、真紀のことが好きだなんて。
「怪我、大丈夫でしたか?」
「あぁ、あと、もう一回、五日後に見て終わり」
「五日後ですね。了解です」
硬い口調なのに、今日はフワフワサラサラ柔らかいまんまの黒髪がアンバランスで、シャツにネクタイじゃなくて、俺コーデの長袖のカーディガンにTシャツっていう緩さで、ドキドキする。
「了解って」
「付き添います」
「いいって。お前、仕事あるだろ」
「それは誉さんもでしょ。仕事後、一緒に病院に行って、それから飯を一緒にしましょう」
そう言って、真紀が嬉しそうに笑った。心が弾んだと表すようにまた黒髪が風に揺れる。
「そ、そんで? この後は?」
「行きたいところがあるんです」
ふわりと微笑みながら伺うように首を傾げる真紀は、恋愛上級者みたいな、年上みたいに感じられた。
「デート、しましょう」
その一言に、ほら、また、俺こそ不慣れみたいにドキドキしていた。
車だったし、そのままドライブでもするのかなって思ったのに。車はどんどん都内のほうへと走っていく。
「真紀はあの映画見たんだ」
「はい。観ました。面白かった」
「俺も。でも、そういうの見なそうな感じするのに」
「どんな映画を観そうですか?」
「もっとこう」
運転中の真紀がチラリとこっちに視線を投げる。そして、俺は無意識のうちにじっと真紀を見つめてたことに気が付く。
「文学的なのとかさ、ヒューマンものとか。ほら! 映画館のつきあたりにパネルがあっただろ? ああいうの」
「……あまり見ないかな。案外、アクションとか好きだし。誉さんが観たっていう映画は全シリーズ観てます」
派手なカーアクションが売りの映画だった。ポンコツのマニュアル車、車検なんてない海外らしいボディの端が錆び付いてるようなオンボロだけれど、それを愛車にしているドライバーのアクション映画。
真紀は観なさそうだったから、ちょっと驚いた。
「でも、あの主人公の俳優さん、次は降りるとかって」
「え? そうなの? えー」
カッコいい、セクシーな俳優で気に入ってたのに。唇の端だけ上げて、意地悪く笑う感じもよかった。長いブルネイの髪をかき上げて、鋭い視線が色っぽい。それとアクション映画の主演にしては筋肉ゴリゴリマッチョじゃないとこも良かったのに。
「好みですか?」
「……まぁ」
でも、もっとセクシーな男を知ってる。色っぽいくてゾクゾクするような男を。だから、好みだったけれど、今はもっと好みの男がいる。ちょうど、今、隣に。
「そろそろです」
「あぁ、真紀の行きたいところ?」
「えぇ」
高速を降りるらしい。出口に向かった、真紀が車を減速させていく。話をしすぎてドライブがあっという間だった。いつも一緒に行っている魚と酒の美味い店の話から、酒の話になって、真紀の初飲酒がいつかって話題へ。
さすが真面目。
初飲酒はちゃんと成人式の後だった。ただ飲み方がわからず泥酔してその当時の記憶はないらしいけれど。気が付いたら、朝、実家で寝ていたって。飲み方も今と変わらなくて爆笑した。
ないと困るほど遠視のくせに、眼鏡をどこかに置いて来てしまうほどに酒に酔っ払うところが今と同じだった。
「ここは……」
「車博物館です。クラシックカーから、最先端のレーシングカーまでが展示してあるって」
「……」
車の展示が行われた美術館だった。興味はあったけれど、何かと用事が続いてたりで来る機会がなかったんだ。遠かったし。
「行きましょう」
チケットを買ってきてくれた真紀がエスコートするように先を歩く。その革靴で、長い脚で美術館の中を闊歩すると、平日、あまり観覧者もいないせいか、大理石の床が綺麗な音を響かせた。
その背中は凛としていて、つい、見惚れる。今まで付き合ってきた男の誰とも違う清潔感を真紀は持ってる。
「面白いですね、こういうの」
「あぁ、来てみたかったんだ、これ」
「ホントですか?」
そこで、パッと表情を明るくしたところは子どもっぽい。
「へぇ、この時の車体は鉄なんですねぇ。今は特殊は樹脂だけど」
「……あぁ、だから、すっげぇ重い」
「扱ったことあるんですか?」
「いや、ない」
「でも、すごい、やっぱりそういうの知ってるんだ」
無風の館内だと髪は揺れることがない。真紀のあの黒い瞳にその髪がかかって、たまに邪魔なのかしかめっ面になるのがセクシーだ。
「誉さんの好きなモノを一つ知ることができた……」
「……え?」
「前に、水族館に誘った時は、誉さんの好きなものがわからなくて」
真紀の低い声は人の気配のない車と俺たちしかいないここで良く響いた。
「今度は、貴方の好きなものに付き合えて、嬉しいです」
「……」
「貴方の好きなもの、知りたい、から」
今度ははにかんだりして。頬を赤くすると、その立ち姿とのギャップがすごい。意外性って、けっこうくるんだな。
「あ、あっち、レーシングカーですよ」
「……あぁ」
ゾクゾクして、ただの足音すら、セクシーに感じられた。
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