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第38話 ドキドキ社内
「で、このカーナビゲーションシステムだと、表示が……」
営業スタッフに混じって最新カーナビのレクチャーを受けていた。ナビ部門からやってきたスタッフによる今年の冬商戦でプッシュして欲しいナビらしい。俺は整備部代表としてその話を聞きに来ていた。
「じゃあ、どなたか、初期設定をやってみてください」
顧客に使い方がわからないと言われた時の知識として、あと、新規で購入してもらえた時の設定サービス業務のために、営業スタッフはほぼ全員参加している。
社内用取り扱い説明書を見ながら、ここが車の中と仮定して、ひとりが代表として操作を行っている。俺たちはそれを後ろから覗き込む感じ。
「操作はとてもシンプルになっています。なので、スタッフの方もやりやすいかと思うんです。じゃあ、ここで一回休憩しましょう」
そこで区切りがいいと、レクチャーをしてくれていたスタッフが腕時計を見て、小休憩を挟んでくれた。
「……はぁ」
ひとつ溜め息をついて、髪をかけあげる。ミーティングルームを出ただけなのに、空気が新鮮に感じられた。頻繁に朝礼だ、打ち合わせだって、使っているところだけど、今日は営業部のスタッフがほぼほぼそこにいたせいか息苦しかった。
「お疲れ様です」
声をかけてきたのは真紀だった。あのブラウンの皮手帳と資料、それにボールペン。いかにもっていう感じの営業マンスタイル。
「あー……お疲れ」
「ああいうの、苦手なんですか?」
「え?」
ずっと難しい顔をしてたからと笑っていた。そう、苦手。機械をいじるのは好きだけれど、システムっていうのが苦手で。
でも、こういうのも勉強になるし、それに、昇級テストを受けるから。
「真紀は好きそう」
「あ、はい。けっこう好きかな」
「へぇ」
俺も真紀もタバコは吸わないから、自然と自動販売機へと歩いてた。ラッキーなことに誰もいない。タバコ休憩に皆は行ってるのかもな。
「けど、少し意外、かな」
「え? 意外ですか?」
「あぁ」
だって、電話番号をメモ用紙で渡すから、アナログ人間なのかと。似合いそうじゃん、スマホよりも筆ペン持って拝啓何々様みたいな手紙書きそうだもん。
「あの、一体全体どんな印象なんですか」
一体全体、なんて言葉を使うのがとてもよく似合う真面目そうな、堅物そうな男だよ。
「……さぁ? それより、今度俺がスマホ機種変したら、真紀やってよ」
「え?」
「初期設定。俺、ああいうの苦手なんだ」
「! も、もちろん!」
可愛い。
そんな単語が胸の辺りで小躍りする。ただ面倒なことを押し付けたのに、楽しそうに表情を輝かせたりするから、くすぐったくなる。
そのくすぐったさのせいで、表情が緩みきってしまいそうで、自販機で何を買おうかとやたらと真剣に考えた。このあと、デスクワークをやりながら試験勉強もしていいと言われてる。車の専門知識の英単語も覚えないといけないし、まだあと少し、ナビのレクチャーもあるし、なんてことを大真面目に考えて、コーヒーを飲もうと思ったのに。
「あっ……」
「誉さん?」
「あー、財布忘れた」
小銭がなかった。
「いいですよ。どれ、買うんです?」
背後からスッと伸びた白いシャツ。俺が自販の前にいたから、その後ろで律儀に整列して待っていた真紀の手だ。
「あ……コーヒー、の、ブラックの」
ドキドキした。背後から覆い被さるような姿勢にも、腕にも、真後ろから聞こえる真紀の声にも。
本人はきっとナチュラルなんだろうけど、されたほうはドッキドキだっつうの。
「? 誉さん?」
ほら、本人は無自覚だ。ぽかんと平和そうな顔をして、コーヒーを取らないのかと首を傾げてる。
「……真紀ってさ、きっと、インポじゃなかったら、相当なタラシになってたと思う」
「はっ? タ、タッタッ」
天然タラシ、最強で最悪な男になってたと思う。嵌ったら最後っていうやつだ。
真っ赤な顔をして、何を急になんて慌ててみたり。無防備で、ふとした時が色っぽくて、崩れた時が最高のごちそう。
「そ、それに! イッ……ポではないです! ちゃんと、好きな人にはしっかり反応します。さっきだって、その、ドキドキしてたんです」
「……え?」
「レクチャーの間、ドキドキしてました」
「?」
「パタパタしてたでしょ?」
これのこと? そう首を傾げて、作業着の前を手ではためかせて中に空気を送り込む。けっこう暑いんだよ。繋がってるから、丸ごと身体を包まれてるみたいなもんだし。
悪戯を楽しむように、再現してみせると、真紀がずり下がった眼鏡を直しながら、小さく深呼吸をしていた。
「その、貴方と、職場でしたことがある、じゃないですか」
「……」
「二回、その一回目の時、Tシャツを脱いで、その作業着を……」
ごにょごにょと、聞き取りづらいけれど、言いたいことは予想がついた。
「ムラムラした? 作業着の中、裸だった俺を思い出して」
やっぱ、きっとタラシになってたよ。この男に欲しがられて、嬉しくないわけない。
「今度、してやろうか? 夜、部屋で」
「!」
「……スケベ」
「こ、これはっ!」
それもセクシーなのな。知らなかった。仕事の邪魔にならないように、シャツの胸ポケットにネクタイを突っ込むの。今日は特にレクチャーで前かがみになるから、ネクタイが人に触れてしまわないようにってやってるんだろうけど、それと、その腕まくり。そういうのけっこうツボなんだって、知ったよ。
ミーティングルームは営業スタッフで混雑してた。俺だって、出た途端に深呼吸したくなる程度には暑かったから。
俺はお前の腕まくりに、お前は俺の、この作業着で隠れた身体に、あらぬことを考えてドキドキしてた。
「コーヒー代」
「え、いいですよ。気にしないでください」
「バカ、そうじゃねぇし」
このネクタイ、紺色の何の変哲もない、面白みゼロのただのネクタイ。だけど、これも、やらしい。
「コーヒー代の代わりにこれ、もらって」
「っ!」
そのネクタイをぐいっと引っ張った。触れたのは一瞬。誰もいないし、それに休憩所はお客さんに見えないように完全に隠れた作りになっているから、大丈夫。
「ごちそうさま」
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