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第41話 恋人は苔人間

 向こうって、十月だとけっこう寒いのかな。  寒いらしいです。調べたら、こちらと五度くらいは気温差があるみたいですね。朝晩はとかく冷え込むとありました。  じゃあ、上着持ってかないとだな。  はい。そのほうがいいと思います。  おやつは?  はい?  おやつ。  ここで、止まった。 「……おーい、真紀ぃ?」  既読マークは付いてるけれど、いっこうに返事が返ってこない。何してんだ? ベッドにうつ伏せで寝転がり、足で空気を蹴りながら、生真面目なあいつとするメッセージでのやりとりを楽しんでいた。  釣り、に行くらしい。  ここから車で三時間くらい山へドライブにいった辺りの川の上流、そこに釣り初心者でも楽しめるように整理された区画があるらしい。  ハイキングがてら家族連れなんかがそこで釣りを楽しむ――だそうです。ってとにかく楽しそうに真紀が話してた。プリントアウトした管理釣り場の詳細を握り締めながら。  男同士、気が合って、同じ歳で、職場が一緒。溜まっていた有給を、真紀の場合は別店舗からの持ち越しがけっこうあったし、俺もそれなりに持っていたから、それを消化するのにちょうどいい。車好きっていうのも知られててよかった。  ドライブがてらアウトドア釣り旅行、男同士で行くんでも別に違和感ないだろ。 「あ、来た……っぷ、あいつ、マジで、真面目だな」  つい、吹き出して笑って、一人の部屋で独り言を呟いてしまう。  ――おやつ、たくさん買ってあります。ポテトチップス、チョコレート、アーモンド入りのチョコレート、チョコチップクッキー、それと、飴もあります。飴の味は五種類のフルーツ秋バージョンです。  ほら、笑っちまう。  まさか、事前に買っておいてくれたお菓子のリストを確認してる「間」だったなんて、思いもしないだろ?  おやつは? と訊かれて、急いで、用意したお菓子の袋を覗き込む真紀を想像したら笑いが込み上げてきて、そして、そのお菓子がほとんどチョコレート味っていうことに、また笑った。  ――なぁ、なんで、ほぼほぼチョコレート?  ――本当だ! あまり気が付かず。すみません。誉さんが好きそうかなって思いながら買ったら、なんだかチョコレートばかりに。  気が付かなかったのかよ。何その感じ。  ――何か、ご所望のものありますか? あれば、近くのコンビ二で。  今、スマホ握り締めながら慌ててる? ずり下がった眼鏡を直しつつ、右往左往してたりして。  大丈夫。チョコ好きだよ。ありがと。  そう返事をした。  それより、もう寝よう。明日は早いんだから、そう告げるとすぐに既読マークがついて、また、少し間が開く。  早とちりして、もうすでに外だったりとかすんのか? いっつも真紀んちに行く時に必ず寄る近所のコンビニにすでに向かってる?  ――早く、明日になって欲しすぎて、眠れないです。  違った。外に行ってしまったんじゃなかった。ただ、明日が待ちきれなくて、待ちきれなくて、溜まった熱をもてあました「間」だった。  会うのは毎日じゃない。仕事もあるから、帰りはバラバラだし。それぞれの時間っていうのもあるだろ。  だからかな、明日から丸々一日以上一緒にいられるのが楽しみで仕方ない。 「眠れないって……」  自分の声が柔らかく聞こえる。 「遠足に浮かれる小学生かよ……」  クスクス笑いながら、枕に顔を埋めた。  寝坊するなよ、そう打ったら、すぐに既読マークは付いたけれど、真面目なあいつはそうだそうだ寝坊なんて言語道断だと思って布団の中に入ったのかもしれない。返事が続くことはなかった。  遠足の日みたいだった。  まだ空も寝てそうなぼんやりとした薄い水色をしてるような早朝なのに、ちっとも眠くない。あくび一つも出やしない。 「……はよ」 「おはようございます」  真紀と一泊二日の旅行。 「……何? その格好」 「え? 変ですか?」 「う、んあははははははっ」 「ちょ!」  恋人同士で、初めての旅行、清らかな川の上流、静かでひっそりとした旅館に二人っきりで過ごす時間。 「だ、だって、笑うっつうの。何、その、ザ釣り人」 「つ、釣りするのなら、川の風景に溶け込んだ色のほうがいいと」 「誰が言ってたんだよ」 「営業部の釣り名人が」 「ぶっ、あはははは」  だから、笑わせないでくれ。朝の六時前、腹抱えて笑い転げる俺の身にもなれよ。そんな立て続けに面白いことされたってさ。  釣り名人に訊いたと怒った顔をする真紀は、上下、モスグリーンの服で、まるで苔人間だ。車の中には自前の長靴もあるらしい。俺も持ってるけど、苔色服に、黒の何の変哲もない長靴に釣竿って、たしかに名人っぽいけど。  俺らド素人じゃん。そんで、向かう先だって、ファミリーが遊びで釣りを楽しむような管理された川辺なんだから。 「ほ、誉さんは、素敵です」 「……ありがと」 「よく似合ってます」 「そ?」  スリムなカーゴパンツに、寒いっていってたから、長袖のTシャツ、深いグリーンのロングカーディガン。それと川辺は石がゴロゴロ転がっていて歩きにくいかもしれないから、ブーツにした。 「俺も、まぁ、これなら釣り名人にごう……ぶわははははは!」  奇しくも、コーデだけで言ったら、真紀と一緒の苔人間。シルエットがガチ釣り人かどうかの違いだけ。だから、営業部にいる釣り名人から合格ぎりぎりの及第点くらいはもらえるかなって、言いたかったんだけど。 「真紀、ホント、笑わせるなって」  あぁこれってそうそうデートだったっけ。そんな空気にふわりと俺らが包まれ、照れた真紀が真っ赤になりながら、おもむろに仕込んでいたキャップを被った。ガチで、釣り人が被っていそうな苔色をした真新しい野球帽は真面目そうな眼鏡にある意味馴染みすぎてて、真紀のガチっぷりが激しくて、腹が本格的に痛くなるほど笑いが止まらなかった。

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