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第53話 教えてあげない

 セックスできた、って思った。 「誉さん」 「ン」  まだ中で、真紀のがドクドクと脈打ってるのを感じる。名前を呼ばれて顔を上げれば、柔らかくて甘いキス。恋人同士がするようなキスをして、真紀が何かを確かめように動きを止めた。 「真紀?」  何を確かめてるのか、何を考えてるのか気になって名前を呼んだら、こっちを見て、笑った。すみません、って謝って、そして、セックスを終えて、繋がりが離れる。 「あっ……ン」  中から抜ける真紀を見つめながら、甘く小さく啼いて。ひとつひとつを確かめてるのは、俺だ。真紀が気持ち良くセックスをしてるのか、ここに、この中に、ちゃんと気持ちがあるのかどうかを確かめてるのは、俺のほうだ。 「ンっ」 「誉さん」  うなじにキスをされて、もう真紀がいなくなった中がきゅんと締め付けた。 「今、お湯溜めてきますね」 「あ、うん……真紀」  セックスできた、なぁ、なんて思っちまった。 「あ! 真紀!」  思わず、手を掴んでしまった。お湯、入らないから、一緒にシャワーがいいって、頼んでしまった。  何も気がつかず、真紀は笑ってる。笑って、何気なく手を繋いでくれる。額にキスをして。  この手を離したくないんだ。ずっと繋いでいたい。  なんて、とても重たくて言えやしないけれど。 「ハックション!」 「風邪、引かないでくださいね」 「うわぁ、びっくりした。急に顔出すなよ」  単身者用のワンルームマンションだ。なんでも筒抜けで、くしゃみひとつしただけで、真紀が過保護に飛んできてくれる。 「これから繁忙期なのに。そうだ。俺も、商談ひとつまとまったんです。初めて新車を買うって、歳は俺たちのひとつ下で男性なんですけど」  コーヒーの香りがした。  今日は、急遽泊まったから、クロワッサンはなくて、ただの食パンに玉子焼きにソーセージ。帰りにコンビ二で好きなパンを買っていこうって言ってた真紀を俺が引っ張って帰った。  早く、したくて。  けど、コンビ二やっぱり寄ればよかったかもな。真紀の部屋だと、ほら、ワックスがない。ふたつあるけどどっちもガチガチに固まるのだからさ、俺はまとまるようにしたいだけだから、これじゃ硬すぎる。 「誉さんが昇級試験のためにって頑張ってるから、俺も頑張ろうと思って」 「なぁ、真紀、これ、なんでふたつあんの?」 「? あぁ、ワックスですか? コーヒーどうぞ」 「あ、ありがと」  砂糖なしでミルクたっぷり。言わなくても俺の好みにしてくれたコーヒーが真紀と向かいの席に置かれた。 「ひとつは自宅用で、もう一つは誉さんのところに泊まった時用のものです」  だから、一つは小さいのか。 「誉さんはハードなの使わないでしょ?」 「あ、うん」  歯ブラシならお互いのところに置いてあるんだ。使ったばかりで濡れたのをしまうのも、それが渇いてからカバンにいれるのも面倒だからさ。けど、ワックスはないし、服もない。お互いの部屋にお互いの存在として置いているものは歯ブラシくらい。 「なぁ、真紀、それ、今度、置いておけば?」 「え?」 「ワックスとか、あと、服、とか」  そんなに身長が劇的に変わるわけじゃない。さほど真紀との身長にも、体格にも差がないから、どっちのうちに泊まったとしても服を借りてしまえば事足りる。ワックスも、仕事中は帽子を被ってしまうから、いらないといえばいらない。  服にしたって、ワックスにしたって、自分専用のマグや食器もそうだけれど、それはついでではなくなってしまう。居場所が必要になってしまう。歯ブラシみたいに主のものと一緒のところに立てかけておけばいいわけじゃなくなるから、遠慮していた。そこに自分のエリアを作ることになるからさ。でも――。 「んー……今は、いいかなと思います」  でも、いちいち借りるのもあれかなって思ったんだ。真紀の部屋に置いておけば、楽かなって、俺の部屋に真紀のものがあったら、って思っただけ、なんだ。  思っただけ。別に、それに深い意味なんてない。そのほうが便利かなってだけ。 「おーい、天見」 「……はい」 「お前、昇級試験受けるんだろ?」 「? えぇ」  今、療養で休んでいる輪島さんが帰ってきたら、この人は元の、本来いる店舗のほうへ戻るんだよな。そしたら、その時、あの三里もそっちへ連れていってくれたらいいのに、なんて。 「なら、オーバーホール見学してかないか? そろそろ就業時間すぎるが、少しくらい見て」 「は、はいっ!」  やった。オーバーホールは俺の今の資格じゃできなくて、チーフがやってるのを見学させてもらったりしていた。そう頻繁にある仕事じゃないから、ある時は必ず見せてもらっていたんだけど。 「すげぇ食いついたな」 「だ、ダメっすか?」 「いやぁ? 車好きなんだなって思ってな。良い事だ。仕事やりたいと思ってる奴は応援したくなるだろ」  好きだよ。車をいじるのはすごい好きだった。この仕事が楽しくて仕方ない。自分の見てくれよりも、第一線の整備士になるほうを選ぶくらい。この車の下に潜り込んで、配管ひとつひとつを目で追いながら、指先を真っ黒にしていじってると、時間なんてあっという間に過ぎていく。本当に気がつかないうちに時間がすぎていく。  そこでちょうど閉店の音楽が流れてきた。ここから片付けだなんだと雑務が残っているから、まだ帰るわけじゃないけれど、店舗としてはここで閉店するからホッとするんだ。どこかしら張り詰めていたものがふわりと解ける感じ。 「天見、ほら、続き。そんで、こっちをまずはチェックしてだな」 「あ、はい」 「これ、ここんとこ、覗いてみろ、そこのパイプの歪みを確認してみてくれ」 「はい」  鴨井が指し示した辺りを覗き込もうと前かがみになる。基本は黒くなってしまっているから、しっかり見ないとわかりにくいんだ。だから、その時もじっと奥を覗き込んでみた。 「天見」 「は、い……あの、歪みは……」 「言ったぞ」 「え?」  ボンネットを上げて作った物陰に隠れながら、ぼそりと呟く声は明らかに仕事のトーンじゃなかったのに。気が回らなかった。この男が何を考えてるかまでなんて考えられてなかった。 「三里に」 「……」 「三國と一緒に働いてるって、どこの店舗なのかって」 「……え?」 「ここで終わりだ。また続きは明日な」  三里に、教えたって、ここのことを? 「なぁ、天見、俺は別にいい人でもなんでもないからな。セフレだったあいつが誰を好きだろうが、そんなの別に気にしてないんだよ」  俺は、卑怯だから、言わなかったんだ。教えてやらなかった。三里はきっとお前のこと好きだよって、言わなかった。  ひどいと言われて、誰のことも好きになれなくなったのは、反省と謝罪の気持ちなんかじゃない。それは好きだった奴に嫌われてショックで悲しかっただけだって。好きになれなかったんじゃない。きっと、ずっと気持ちは三里のところを向いていたからだって、教えてあげなかったんだ。  この光景が見たくなくて、言えなかったんだ。 「……」  三里と笑って話す、真紀を、俺はこれっぽっちだって見たくなくて、隠したんだ。

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