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第58話 魔法のキス

 昔、親しくなった同性愛者の三里を傷つけたっていう印のように刻み付けられた額の傷痕に、そっとキスをした。唇で触れるだけのやんわりとした口付け、 「貴方に会うまでは、見る度に苦しかった……」 「……」 「この傷痕、大嫌いだったんです」 「……」  真紀は少しだけ笑って、その眉間を俺の肩に押し付ける。 「真紀?」 「三里のことを勘違いしていたのは本当に悪いと思ってる。たかが性別で彼のことを拒否したこと。あの時、好きだとそう適当に答えてしまったこと。全部に申し訳ないと思いながらも、どこかでもうやめてしまいたくて仕方なかった」  肩に強く擦り付けられた眉間。ずしりと圧し掛かる重み。  なぁ、俺はツナギを着ていて、作業服だから、布地はごわごわと硬いだろ。そんなにしたら、痛くなるし、ヒリヒリして、擦り剥ける。 「苦しくて、ずっとこうしてないといけないのかと思うと、怖くて。充分反省したからと誰かに許されたかった」 「真紀」  風俗、行って試したって言ってたっけ。動画を見たり、どうにかしようと、もがいてた。反応するなんて、恋愛を、誰かを好きになるなんてことあってはならないと閉じ篭っていた身体で、それでもと必死にあがいてた。  あの日、適当に、自分も好きだと相槌程度に答えてしまった。相手の好意に答えたくせに、キスを拒否して傷つけた。そんな自分でも、許されないと願って、探してたんだ。 「でも、違った」 「真紀」  痛いだろ? なぁ、そんなに肩に額んとこを押し付けたら、きっと、絶対に痛いよ。 「真紀っ」 「違ったんだ」 「……」  本当に擦り剥けてしまうと強引に顔を上げさせると、真っ黒な瞳が濡れて光って綺麗だった。それは見惚れるほどの漆黒で、吸い込まれそうなくらい、生き生きとしていた。 「好きな人ができたんです」 「……」 「その人は、俺の傷に優しく触って言ってくれた」  ――触ってもいい? お前の傷、なんか、好きだよ。 「その人が触れてくれた日から、この傷痕を見ても、息が苦しくならなかった。痛く、ならなかった」 「……」 「笑って、この傷を好きだって言って、気に入ってくれた人。丸ごと、包み込んでくれた言葉だった」  不似合いだなぁって思ったっけ。シチサン眼鏡の生真面目男のわりにそんなところに傷があるのがなんだか似合ってなくて、面白かったんだ。眼鏡をしていたら気がつかなかったかもしれない。ちょうど眼鏡のフレームで隠れてしまうところだから。けど、あの日ももがいて苦しんで、必死にさまよっていたお前は眼鏡をどこかに置いてきちまうもんだから、見えたんだ。眉間にある深い、深い傷が。 「貴方が大好きです」 「……」  過去、幾人もいた中から、真紀だけを心底好きになった。けれど、真紀にとって俺は最初の男だ。俺にとって真紀は最後の――それが不安だった。怖かった。 「貴方だけでいい。他はいらない」 「……」 「誉だけ、ってなんで笑ってるんです」  だって、それはなんだか呪いを解いた王子様みたいでさ。真紀がお姫様。けど、随分色気のないお姫様だなぁって思ったんだ。王子のキスで目を覚ますシチサンの。 「好きだなぁって思っただけ」 「……ごまかして」 「ごまかしてねぇよ」  本当だ、俺の、シチサン眼鏡が愛しいお姫様。 「初めて会った時、びっくりしました」 「え?」 「だってあんなに何してもダメだったのに、貴方に触れられたら、すごい感じたんです」  あぁ、覚えてる。全部覚えてる。俺が触れるとひどくうろたえてた。けど、痛いくらいに張り詰めてて、そして、引くことなく止まらず、俺のことを欲しがってた。 「俺は嬉しかった」 「?」 「もう賞味期限切れの古株だったから」 「……は?」 「言ったじゃん」  俺みたいにさ、華奢じゃない、力仕事してるような男はあんま抱きたいとは思われないんだよ。そりゃ、細くてしなやかななほうが色っぽいだろ? だから。 「は? どこが期限切れなんですか」 「ンっあっ」  ぞく……と、快感が背中を走る。ツナギの中で身体が一瞬で火照る。 「ホント……どこが?」 「嬉しかったんだよ。この手を好きだって……ン、ぁ、ちょ、真紀っ」  その指先に唇が触れた。 「手洗ってないんだってば。バイキンとか、ぁっ……ン」  そして、爪に歯を立てられて、甘い痛みがそこに滲む。 「ぁ、汚っ……って、んむっ……ン」  真紀が俺の指を褒めてくれてから、俺は俺のことをけっこう好きになれたんだ。もうネコだとか、期限切れだとか関係なくなってさ、真紀にだけ抱かれたくて仕方なかった。セックスがしたいんじゃなくて、真紀とのセックスが欲しい身体になった。そんで、心からこの仕事に就いてよかったって思えるようになった。 「ン、真紀っ、ん……んくっ」  口を開いて舌を伸ばして、しゃぶりつかれた瞬間、四角張ってそうな頭を引き寄せる。髪に指を突っ込んで、舌で口の中も掻き乱して、全部、ぐちゃぐちゃにしながら。 「真紀、して……早く」 「ほまれ、」 「ここ、早く、真紀の指でほぐして、そんで、挿れて?」  真紀のこと欲しいんだ。だからその指を捕まえて、しゃぶって、ローションの代わりに舌で濡らした。その舌を今度は真紀の口の中に突っ込んでまさぐりながら、ツナギの中に濡れた手を引き入れた。下着ずらして、邪魔くさい作業着をズリ下げて、指に孔を押しつける。ヌルリとした指がそっからは俺の案内なしに抉じ開けようとすることに、すごく興奮した。  お互いに、キス、だったんだ。  呪いを、諦めを、溜め息を、このキスが消してくれた。だから、そっと口付けた。 「真紀……ン」  このキスが、俺たちを変えてくれた。王子がくれた魔法のキスで呪いが解け、夢のような愛が二人に宿る。おとぎ話ように甘口すぎて、俺たちには気恥ずかしいけれど。 「早く、ここ、欲し、ぁ、ああああっ」  少し無理に抉じ開けられる内側が、真紀らしい「案外」な強引さにそっくりで、きゅんと切なげにしゃぶりついた。

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