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良い子でお留守番編  6 おかえり

 作業場の最終確認、ちらかっていないか、危険物の放置はないか。整理整頓。車を扱うってことは、その車に乗る人の命を預かることと同等だから、「適当」は一切許されない。  今日の業務を一日分ザッと思い返して、零れたものはないか、明日に持ち越す業務はどれか、ちゃんと整理しないと。 「……よし、オッケー」  あいつは、真紀は頑張ったかな。シチサンびっしり決めて、四角い感じに張り切って。 「あ、天見君、お疲れ」 「サブチーフ、お疲れ様です」  遥か遠くで出張を頑張ってるだろう真紀に思いを馳せていた。  真紀がいないまま、刻々と進んでいく時間をなんか落ち着いて過ごしてる。ひとつひとつ意識して、時間がすぎていくのを感じながら。  なんだろう。こんな感覚初めてだ。  仕事をしながらふと日が高くなったのを見て、あいつもそろそろ昼飯かな、って思ったり。夕飯の買い物をしながら、今日は何食ってんだろう。東北のほうに滞在しているから、なんか飯美味そうだなぁとか、考えながら、なぜか、真紀がいない時間を丁寧に過ごしてる。  おかしいよな。  この一人ぼっちの時間を満喫するとかじゃなくて、恋しさを味わうような時間のすぎ方。  ふと顔をあげると、サブチーフが「ふぅ」と静かに溜め息をひとつ落として、現場をぐるりと見渡した。  本日の業務、終了だ。  時計を見ると夜の七時ちょっと前だった。そろそろ真紀も仕事は終わって、今日の宿のほうに帰ってるかな。 「天見君、作業ずいぶんと早くなったねぇ」 「本当ですか? ありがとうございます」 「しかも正確にできてる、すごいよ」  嬉しかった。自分のことのように嬉しそうに笑ってくれるサブチーフに釣られて笑って、照れ臭さから頬を指先で数回引っ掻いてごまかした。 「もう時間だから、上がっていいよ」 「はい。お先に失礼します」  チーフの現場長期離脱は怪我で入院になった時、一度体験している。あの時は四苦八苦した。トップ整備士であるチーフがどんだけ大変だったか、あの腰の痛みに俺らの未熟さが加担してたんだって気がついた。まだ技術的に未熟で、サブチーフにも負担を強いてたけど。  今回は、そうでもない、って思ってる。  あの時以上に現場はちゃんとまわってるって。 「お疲れ。頑張ってるみたいだな」 「……鴨井、さん」 「よお」  作業場の出入り口のところにラフな私服姿の鴨井がいた。 「こっちの店舗に一回ヘルプ来たからか、もし仕事が滞ることがあればって言われたんだけど」 「大丈夫っすよ」 「みたいだな」  どうにかこうにかやれてる。今のところ作業の遅れはとりあえずない。 「そんで、誰が出張で不在かと思ったら、三國なんだって?」 「……」 「しかも一週間以上」 「……」  にやり、と悪戯を思いついたみたいに笑ってる。俺はそんな鴨井の横をすり抜け、流しで手を洗った。  オレンジの香りをかぎながら、今日の夕飯どうしようかなって。ひとり分だし、お惣菜で簡単に済ませればいいかなと。 「寂しかったりするだろ?」 「……全然」 「向こうは向こうで、楽しんでるかもだぜ?」 「ないですよ」 「と、茶々をいれて、からかって、あわよくば……なんて思ったんだけどな」  あいつは明日で終わる出張のお祝いにとチーフとまた飯に行ってるかもな。 「定番だろ? 愛しい恋人のいない隙をつこうとする間男ってやつだ」 「……」 「でも、まぁ、ぶっちゃけ、来て後悔だわ」 「?」  なんで、からかって間男ごっこしに来たあんたが溜め息ついて、そんな困った顔をするんだよ。溜め息も、困った顔も、こっちがするもんだろ。 「お前、なんか、増したな」 「? 何がすか?」 「あ、あんま近く来るなよ!」 「だから。何がっ」 「あ、あと、その雰囲気で、ゲイバーとか来んじゃねぇぞ。あとで、巻き込まれて、三國に絡まれたら面倒だし、絶対にごめんだからな」  は? なんだ、それ。なんで、真紀がまるでチンピラみたいに言われないといけないんだっつうの。それにそんな口元を手で覆い隠して、なんなんだよ。もしかして、臭い? すっごい必死に仕事してるからちっともわかんなかった。頭も、あー、そういうえばボサボサかもしんない。  一日帽子を被ったままでキープされたヘアースタイルを崩そうと手で掻き乱して、自分の匂いチェックにと着ている服に鼻先を寄せた。 「鴨井さん?」 「お前よぉ……」 「?」 「まぁ、いいや。なんか、もういいや。帰るわ」 「え? ちょ、あんた、何しに」  本当に何をしに来たんだよ。意味わかんねぇ。 「……」  ――寂しかったりするだろ?  寂しいよ。そりゃ。  ――向こうは向こうで、楽しんでるかもだぜ?  やだ。そんなん絶対に無理。けど、真紀を世界一楽しませてやれるのは俺だから。あいつを喜ばせるのも、悦ばせるのも全部、俺が独り占めするから。だから、真紀は俺としか、楽しいことはきっと、しない。  そう思いながら、真紀が帰ってくるまでの辛抱に目を閉じた。 「ふぅ。お疲れさまでしたー」 「サブチーフもお疲れ様です」 「はぁ~、ホント、あは」  サブチーフが少しくたびれた笑顔を向ける。そりゃ、疲れただろ。七日間だと思ってたのが三日追加されたら、あらかじめ十日間って言われるよりもずっと堪える。  でも、それも終わり。 「俺、あと片付けるんで」 「えーでも、悪いよ」 「大丈夫です」  輪島チーフは腰痛が直ったとはいえ無理はしたくないから直帰するって言ってた。真紀は出張の報告書と申請書は帰社の後、書きますと連絡を入れていた。 「入力作業とかだけだし。大丈夫です。明日はお休みっすよね」 「んー、そうなんだ」 「だから、大丈夫なんでゆっくりしてください」  一人で、ここで、待ってたいんだ。  ――今日、八時くらいにそっちに帰れると思う。  あと、三十分もないから、準備があるし。 「そう? じゃあ、遠慮なく。施錠お願いします」 「……はい。ばっちりっす」  真紀がご所望のやつ。  俺の、やらしい姿、見たいんだろ? 「さてと、先に入力作業はやっておかないと」  だから見せてあげようと思ってさ。十日ぶりに帰ってくる恋人を独り占めするために、喜んで、悦ばせてやるために。印が全部消えた俺は、寂しいけど、イイコにしてたご褒美をもらおうと胸を躍らせた。  

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