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ホワイトデーSS 1 可愛い人

 バレンタイン、とか……さ。そんな、なんつうの? キャピキャピしてるイベントとか、無縁だったもんだから。  ――誉さん! どうか! これ、受け取ってください!  片想いかっつうの。  真っ赤になって、口を真一文字に結んで、めちゃくちゃ力んだ顔で、ずいっとチョコレートを突き出されてさ。ホント、ぽかん、だった。めちゃくちゃ本気の本命の、がっつりしたチョコレートをこれでもかってくらい豪勢にラッピングしてもらったりして。あからさまなバレンタイン用チョコレートを男が買おうがきっと気にしないだろ。けど、絶対に、あいつ、すごい力んでそう。マジで告白これからするんで、みたいな勢いとテンションで、店員に「これください!」とか叫んでそう。  っていうか、さ。 「……」  あいつ、タチなのに、まぁ、あいつの中にタチとかネコとか、攻めとか受けとか、そういう概念がなさそうだけど。けど、抱く側なのにさ。 「おーい。天見、わりぃけど、見積もり作っといてくんねぇか」  可愛いことしやがって、って、悶えたわ。マジで。 「はい。見積もりっすか?」 「あぁ、わりぃ、担当は……」  チーフが一息置いて、手に持っていたファイルをパラパラと捲る。 「三國だ」  その名前を聞いて、ちょっとだけ、ラッキーとか思う程度には、まぁ、今もかなり、ラブラブはしてたりする。 「え、そうなんですか! バッテリーかぁ。うーん」  顔、カッコいいんだよ。マジで、イケメン。そうだなぁと呟いてしかめっ面、ほら、すげぇ、いい男。 「でも、このままだと車検の見積もりかなりお高くなっちゃいますよねぇ」  けど、すげぇ、シチサン。七と、三。もうそれこそ、定規で測ってんだろっていうくらい、真面目に真っ直ぐ引かれた分け目に沿って、髪の毛が右と左にセパレーツ。 「どこか削れる整備っていうと」  マジで、笑うレベルで、髪型がクソださい。 「何かありますか? 誉さ、あたっ、ぁ、ちょ」  そして、けっこうな天然だ。  なぁ、なんで振り向いた拍子に自分が持ってたシャーペンに眼鏡の縁んとこ引っ掛けて、ぽーんと眼鏡を飛ばせんの? どうやったら、そのシャーペンに眼鏡引っ掛けられんの? 不器用なの? っつうか、逆に器用じゃね? 俺、絶対にできねぇもん。そういう面白ハプニング。 「ぶっ」 「んな! な、なんで笑うんですか! 誉さんっ」  笑うだろ。どんだけドタバタしてんだよ。 「んもー……俺の眼鏡はどこに」 「ほら、こっちにあるぞ」  飛び立った眼鏡を拾ってやった。そんなんだから、眼鏡なくすんだよ。眼鏡なくして、ゲイバーの並ぶ界隈で迷子になんだよ。けど、そのおかげで俺はお前と出会えたけどさ。 「ったく、ホント、真紀は」 「誉さん」 「っ……ン」  腰を引き寄せられ、眼鏡を拾ってやった手を捕まえられた。唇を啄ばまれながらのキスをして、手首のとこ、内側の血管がうっすら透ける柔い肌を真紀の指がなぞってくすぐる。甘い声を唇と唇の隙間から零せば、舌が差し込まれて、上手に俺の舌を絡め取る。 「……っ、ン、バカ」  何、濃厚な甘いキスしてんだよ。ここ職場だぞ。 「だって、今日、香水つけてくれてるでしょ?」 「……」 「俺のあげた香水」  それに興奮した? シチサン眼鏡なのに、今、俺を捕まえて、あんな濃厚なキスしたせいで、ほら。前髪が少し崩れた。ビシッと右と左に分かれてた髪のひと束が、はらりと真紀の目元を隠す。  さっきまで、クソダサい天然だったくせに。 「良い匂い」 「っ」  首筋に鼻先を摺り寄せて、低い声でそう囁かれると、とろけそうだ。 「お、前が、寄越した香水だろっ」 「違いますよ。貴方の体温で香るのが良いんです」 「っ、っ」  さっきまで、ただの真面目な営業マンだったくせに。 「誉さん」 「っ、んがあああああ!」  激突した。思いっきり、唇で、俺をたぶらかそうとする低い声を閉じ込めるように、その悪い口に激突してやった。  一瞬で、シチサン眼鏡男から、溢れるくらいの色香を漂わせるヤバい男に変わる、この恋人が激突されてびっくりしてた。 「続きは後でな!」 「……」 「見積もり! やり直しすんだろ! これ、ワイパーんとこもまだ使えそうだから、ギリ削れる。それと、これとこっちのも! そんだけ! 後は全部整備外せねぇ!」  指差しで、最初の見積もり書から削れそうな項目を指し示す。 「そんじゃあな!」  レ点は自分でつけとけよ! そう言い残して立ち去った。 「……ったく」  職場だっつうの。香水は、その、今日は単独作業だったし、しょっぱなからつけてても、まぁいいかなって。  だって、今夜はデートだから。あいつが見たいって言ってた映画を見てから、外で飯食おうって、言うから。一緒に住んでたって、さ。  デートは、そりゃ嬉しいだろ。  ――もしよかったら、一緒に映画見に行きませんか?  なんて、同棲してて、つい今しがたしやがった、エッロいキスなんて普通にしてて、セックスだって、すげぇしてんのに。それでも、デートの誘い一つに緊張しやがる、バレンタインに真っ赤になりながらチョコレートを差し出す可愛い恋人になら。思われたいだろ。可愛いって。  もう全然、受けとしては旬が終わってようがさ。あいつにだけは、可愛い、って思われたいだろ。 「……臭く、は、ねぇよな」  ツナギの胸の辺りをぐいっと自分の鼻先に引っ張り上げて匂いを嗅いだ。仕事後、そのまま行くからさ。オイルの匂いとかしそうじゃん? さすがにシャワー室はねぇから。 「さて、と」  あいつの再見積もりが届くまで、作業の続きをできるだけ進めておかないと。  今夜はデートだから。残業しないように、てきぱきと。頭の中であいつの嬉しそうな顔を思い出しながら、本日残りの仕事を終わらせるべく、ストレッチで背中をぐんと伸ばして深呼吸をした。

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