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雨の日イチャイチャ編 1 真っ赤な傘の下、愛が燦々と

「う、うーん、うーん、うーん、うーん」  どうにもならないことは、どう頑張ったって、どうにもならない。 「うーん、うーん、うーん」  どんなに努力したって、できないことはある。  どんなに洗ったって落ちない爪の黒ズミみたいに。仕方のないことってあるんだよ。 「うーん、うーん、うーん、う」 「うっさい!」 「うわあああああ!」  洗面所のところから、カランと何かが落っこちる音がした。 「何唸ってんだよ!」 「誉さん」  落っことしたのは櫛だ。真紀がびっちりシチサンにするためには欠かせない櫛。持ち手の部分の先端が細く尖っていて、分け目を一直線にする時に使ってるやつ。って、そこまで分け目を真っ直ぐにすんのなんて、真紀くらいだと思うけど。 「ほら、時間ないぞ」 「そ、そうなんですけど」 「なんだよ」  案外、頑固なんだ。一直線なのは髪の分け目だけじゃなくて、その性格も。口をへの字に曲げて、不服そうな顔してる。 「湿気で、髪が……」  そう言って首を傾げると、たしかにいつもみたいにビシッと横に留まっている前髪がタラリと前へと垂れ下がった。  シチサンヘアーがどうにも決らないらしい。  直しても直しても、前髪がうねって言うことをきいてくれないと溜め息をひとつ零した。  いや、シチサンヘアーに決めたい奴なんていないから、それがフツーの髪型なんだけど。 「じゃあ、別の日にする?」 「いえ! 行きます!」  ドライブがてら、山のてっぺんにある美術館に行こうって話になったのは先週のこと。うちの会社が提携を結んでるんだか、何かで、入館料がいくらか安くなるって。ただし、期間は指定。要事前予約。混みそうな連休も、お盆も、それに土日もダメ。でも、俺らの仕事も土日こそ忙しいからそっちのほうが助かるわけで。  そして、予約指定したのが今日だった。  今日、この日に合わせて有給を、さりげなぁくお互いの部署でタイミング見計らって取って、大手を振って休めるようにと仕事こなしたんだ。部署は違えど同じ職場、秘密の関係ってこともある。休みを合わせることはほとんどなくて、長期の店舗休暇以外はすれ違うことがほとんど。  だから、かなり楽しみにしていたんだ。今日のドライブデートを。  けど、今日は朝からがっつりな大雨。  その大雨の湿気で髪型が決らず、ややご機嫌斜めな、うちの。 「ダーリン?」 「んあ!」  ダーリンと呼ばれて一気に茹ダコになる真紀を可愛いなぁと思う俺は相当、キテる、とは思う。  たかが髪型くらいでへそ曲がりになるのは、今日のデートをとても楽しみにしていたから。ドライブできて、美術館で芸術鑑賞、そこのカフェでちょっとお茶をして、なんていう、いい感じのデートコースに浮かれてるから。 「ねぇ、ダーリン?」  俺に、いっとうイイ感じの髪型決めて、カッコいいと思われたいから。 「シチサン決めなくても充分、カッコいいけど?」 「!」  まっかっかだな。まるで赤い傘の下にでもいるみたい。 「いいんじゃん? これで」 「わわっ」  くっしゃくしゃにしてみた。もう中途半端にシチサンするんだったら、ぼっさぼさでいいよ。ぼっさぼさの眼鏡野郎でかまわない。  分け目なんてどこにもない、はちゃめちゃ無造作ヘアー。 「な?」  うん。これでいいよ。  覗き込むと、少し目を丸くして、ちょっと仰け反るんだ。悪戯を仕掛けた気分になれて楽しくて、たまにやるんだけど。 「ほら、行こうぜ」 「え、あ、でも、こんなヘアースタイルじゃ」 「なんで? 別に俺は気にしないけど? 真紀といられればさ」  今日はやけにこだわるなぁと思った。朝からずっと鏡にかじりついてたし、服選びにも時間かかってた。気合充分って感じだった。 「だって、今日の貴方、とても綺麗だから」 「! は、はぁ?」 「なんだか、とてもセクシーです」 「!」  それは湿気を含んだ髪が重くて、いつもよりくねってるから。それと、今日のデートが楽しみでこの前買ったサマーニットを初めてお前に見せたから、かな。  ザックリしてて、肌触りがサラサラとしているニット。編み目が少し大きめだからか、風も良く通るし、今度海へ旅行するのにも良さそうだなって。 「その洋服、とても似合ってます」 「……」 「だから、俺も、もう少しカッコいいほうが釣り合い取れていいかなぁって」 「っ」  別に、そんなん。 「ふふ……」 「なっ、なんで笑うんだよ」 「だって、誉さんが真っ赤になるから」  笑うなよ。仕方ないだろ。  お前だってさっき真っ赤だったじゃん。 「ハニー……な、んちゃって」  真っ赤でさ、二人で赤い傘の下で雨宿りでもしてるみたいに。ホント、まっかっか。  しとしと雨だった。湿り気のある空気はうざったいけれど、マンションのエントランスにある紫陽花は嬉しそうだったから、涼しくていいかもしれないって思える。デートすんのも、このくらいの雨なら、別にそう濡れないだろ。 「っぷ、くくく、ぷはっ」  そうべらぼうに高級な革靴じゃなければ、多少歩く程度では濡れることはない程度の雨雫。 「っぷははははは」 「もう、なんで笑うんです」 「だって、だってさ、おまっ」  シチサン眼鏡はやっぱりやることがさ、面白いっつうか。予想外っつうか。 「だって、長靴―っ!」 「……おかしくないじゃないですか」 「そ、そうだけどさぁ」  まさかレインブーツじゃなくて、本格的長靴だと思わないだろ? ドライブと美術館デートに本気の長靴って。俺ら、これから動物園とか沢のぼりとか、アクティブなデートするんだっけか? 「それより、誉さんは長靴じゃなくて大丈夫なんですか?」 「んー? そんなん持ってないし」 「え?」  車通勤なんだ。長靴使う機会なんてそうないよ。だから、持ってない。 「いいよ、濡れたら乾かせばいいし」 「え? ちょっ、雨」 「すぐだから」  平気だよ。こんなしとしと雨くらい気にしない。 「ほら! 早く行こうぜ!」  美術館デート、早く行こう。しとしと雨の中ドライブで雨雫を蹴散らしてさ。 「ほら! ダーリン!」  だって、新しい服を着て、お前に綺麗だって褒められて、デート、けっこう久しぶりのガッツリデート、早くしたいんだよ。 「待っ、待って、ハ、ハニー」  生真面目なお前の律儀な返答に笑いながら、雨の中傘もささずに飛び出した。

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