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お仕事チェンジ編 3 ふぐ語
「ふぐ……」
またフグ食べたいのか? って、そんなわけねぇか。夢の中でタイヤ運びでもしてんのかな。まぁ一日中勝手の違うところで忙しくしてたんだ、夢にくらい出てくるか。
「ふぐぐぐぐ」
いや、朝からそんな寝言言うほどタイヤにまた悪戦苦闘してんの? なんかすげぇ苦しそうだな。
「ふぐ……ぁ、あ、誉さん、起きました? か?」
「? 真紀?」
お前、起きてんの? 寝てて唸ってるのかと思った。てっきりタイヤ運びの夢でも見てるのかと思っ――。
「す、すみません、あの、起こしてもらえますか?」
思ったんだけど。
「あの、全身筋肉痛でして……起き……上がれなくて……ふぐっ……」
どうやら、寝てたわけではなく、そこで起きられなくて、側から見たら寝ているような格好からスローモーションのようにゆっくり起き上がってる最中だったらしい。
ギギギギ、なんて音が聞こえてきそうなブリキのおもちゃみたいに、ゆっくりゆっくりと手が動き。
「ふっぐっ」
最後に一口フグが食べたかった人みたいに、俺の手をガシッと掴んで。
「ぐっ…………」
「おーい、真紀ーだいじょーぶかー?」
そこで息絶えた。
あははは、おっまえ、まだまだだなぁ、なんて言われて。
いいいいいいっ! なんて叫んでたからさ。
全身筋肉痛になりましたと昨日の仕事の感想をチーフに話した真紀が豪快に笑うチーフに腹んとこを拳でガシっとパンチされて、筋肉痛に悶絶した。
朝飯食うのすら大変で、ベッドの中で済ませた。
昨日の夜はあーんなに元気にベッドで運動してたのにな。翌朝、再起不能レベルの筋肉痛になる人とは思えないほど元気に動いてやりまくってたのに。
まぁ、翌日に筋肉痛になるんなら、若いってことだ! あははははと笑われて、またふぐ語で叫びながら悶絶しては、何度も背中を叩いてくるチーフに激励されていたくらいだから、今日一日、使い物にならないと思ったけどな。
「おーい。三國、次、またタイヤ持ってきてくれ」
「は、はい! …………ふ、ぐ」
相変わらずフグ語は喋ってるけど。
「お、すげぇなぁ、タイヤ二つ運べるようになったじゃねえか」
「は、はいっ」
「がんばれよー!」
「は、ハイっ!」
「それが終わったら、次また洗車なー」
「は、はいっ!」
新人は結構この時点で辟易してくるんだ。洗車と重たい荷物運び。こういう仕事だから上下関係もあるし、体育会系だし。のほほんとしてそうな若いのはこの時点で少し表情が曇ったりするんだけど。それでもと頑張れる奴だけが残ってく。そうでないと、こっから資格だなんだと色々頑張らないといけないだけの根性が身につかないから。身につかない奴は大概早めにこの業界を辞めていく。
けど、真紀は。
「わりー、三國、ホイールつけるのやっておいてくれー」
「はい!」
「そんでそれ終わったら」
「洗車ですよね! 了解です!」
単純にすげぇなって思った。
「三國ー、こっちのワックスも頼む」
「はい! 洗車終わったら伺います!」
「おぅ、わりーな」
「いえいえ!」
別に整備士になりたいわけじゃない。別に会社からそう言われたから手をあげただけ。
それなのに根をあげないで、ぶつくさ文句も言わず、表情を曇らせることもなく。
「ふぐぐぐぐぐ」
一生懸命に頑張ってるなって。
「三、」
「はぁぁぁぁ?」
真紀に声をかけようと思った時だった。整備場の出入り口、と言っても、ほぼ外になっているから部屋というよりか、整備場への出入り口というか、フロアへの出入り口のところで、整備の奴が一人声を荒げた。
「んなの入るわけねぇだろ。こっちは今日もスケジュールいっぱいいっぱいなんだぞ」
「す、すみませんっ!」
どうやら、整備のスケジュールを営業のほうが勝手に一件急遽ねじ込んだらしい。簡単なパンク修理だと気軽に受けてしまった。
「こっちで現場把握してからお客に時間伝えるって決まってるだろうが!」
「すみませんっ」
平謝りに謝ってるのは営業の新人だった。多分真紀が手を挙げなかったら、こっちに短期間交換でやってきたのはあの営業の新人だったはずだ。
「お前なぁ、とにかくそのパンクの状況を」
年末はとにかく忙しい。なんでか増える事故車の修理に、バッテリー交換、それにまだまだ依頼の多い夏タイヤから冬タイヤへの着替え。整備の方もスケジュールは満杯で、仕事をしている奴らもかなり疲れてる。その苛立ちの中で、スケジュール確認もせずに勝手に仕事を捻じ込まれたら誰だって。
「すみませんっ!」
「ったく、あのな」
「あのーすんません」
とにかく謝る新人の後ろからひょこっと現れたのは、こっち、整備の方から営業に出向いてる新人の新田だった。
「俺、さっき見て来ました。タイヤのパンク、ちょうどお茶出して話してたんで、俺、見てきたんすけど。横やられちゃってて修理レベルじゃなかったんで、言っときました。これ時間かかりますよーって。今日、チラッと見たかぎりじゃこっち満杯だし、ざっと見てっすけど、終わりの時間、一時間って言っておきましたよ」
「新田」
「俺、お茶汲みだし、手伝いますよ。これ、正確なタイヤ状況説明票」
「じゃあ、俺が営業行って説明してきます」
もう一人状況打開に手を差し伸べたのは真紀だった。営業なんだ、客への応対は慣れてる。
「新田君、伝票ありがとう」
「いえいえー」
そして、真紀は営業の新人と一緒にフロアへ。新田はスーツのジャケットを脱ぐと、この季節だ、いくら着込んでも寒いくらいの中だからシャツにスラックスのままツナギを上から来て現場に戻ってきた。
「ふグググ」
全身筋肉痛のブリキのおもちゃみたいに歩くのもぎこちない背中だったけど。
「ふぐ……えっと、お客様は……」
でも、その背中はなんかものすごくカッコよく見えた。
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