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電話しつつ……編 2 物好き

 大きく開けた空間、真ん中にはピアノまであって、ドレスを着た美人が俺にはわからない綺麗な曲をずっと弾いてくれている。仕切りがあるわけでもないのに、所々に置かれた観葉植物や屏風のおかげで隣の様子は見えない。見えるのは、大きな大きな一面のガラス窓の向こうの夜景と、そこに写っている俺と真紀の姿くらい。 「わざわざこんな豪勢なデートなんてしなくても」 「そうですけど」  お前には似合ってると思うよ。スーツも、テーブルマナーだって、いい感じだ。 「でも、誉さんがこういう格好するのって、あんまりないから」 「まぁな」  だって似合わないだろ?  もったいないだろ?  この真っ白なテーブルクロスも白い皿も、なんだか俺には不釣り合いな気がする。ほら、手のさ、爪とか、こんな現場作業してそうなガテン系は少し場違いだったりしそうだろ? 「だから一度見たくて」  少し緊張もするし。  けど、お前がそんな嬉しそうにはにかんで微笑むんなら、周りにどう見られてもいいかなって思った。 「やっぱり、素敵です」  お前が喜ぶんなら、まぁ。 「あ……ぁ」 「何? 誉さん」 「ありがと」  いっかなって。  思ったんだ。  付き合ったのはちょうど一年前のこと。俺は仕事後で、どっかでパーっとやりたいなぁなんて時間を持て余してて、お前はどこかに落とした眼鏡がないせいでどうにも不便そうで。  お互いに、フラフラ、ふらふら――。 「あ、この料理、誉さん好きそう」 「あ、ホントだ。うまい」  あれがなかったら俺は今頃どうしてんだろうな。 「そっちの小さい皿に乗ってるのも美味かった」 「あ、これですか? なんなんです? この、オレンジ色の」 「わかんねぇ。でも、美味かったよ」  あれがなかったらお前は今頃、どうしてるんだろうな。  一人でいんのかな。  それとも誰かと付き合ってんのかな。  俺も、お前も。  誰かと恋をしてんのかな。そんで、こんなにその誰かを好きになってんのかな。 「おっ、本当だ。美味しいです。なんなのかはわからないですが」  ぶっちゃけあんまそんな一年後の俺は想像できなかったりする。ずっとあのまま、どっかひねくれて自信喪失しながら、ぐずぐずしてる、そんな自分のほうが簡単に想像できるんだ。 「っぷ、お前もわかんないの?」 「ちっともです」 「そんなドヤ顔で言い切るなよ」  だから、他の誰かとなんて考えられなくて、何度考えても、考えても、あの夜に感謝してる。 「あ、日本酒発見。飲んでもいい?」 「もちろんです」 「えへへ」 「可愛い」 「は? 何が」 「今の、笑った、誉さん」  あの時、出会えてよかったって。  じゃなかったら俺はきっと知らないままだった。 「すごい可愛かったです」 「ぁ……ぁ……あ、あり、がと……」  こんな気持ちは。  だから、こんな高級レストランも白いテーブルクロスも俺には似合わないかもしれないけど。どんなに似合ってないと、もったいないと周りが思っていても。  嬉しかったんだ。  すごくすごく、とてつもなく、嬉しかったんだ。 「はぁ、酔っ払ったし、腹一杯だー。ただーいまー」  なぁ、お前くらいだよ。 「お帰りなさい。そして、ただいま。誉さん、たくさん食べましたね」 「だって、すげぇ美味かったもん。スパークリングワインにフルーツ入ってたぞ。おー、おっとっと」 「ほら、誉さん。俺に掴まって。あれ、美味しかったですね。今、お水持ってきますね」  玄関先でよろけた俺をいとも簡単に抱き留めて、何食わぬ顔で俺をそこに座らせると、冷蔵庫から水を持ってきてくれた。 「水飲んでください。シャワーで大丈夫ですか? 湯船は、のぼせそうだから」 「……」  俺なんかをさ、こんなに長く好きでいる物好きは。  俺なんかを大事にしたがる物好きは。 「……」 「誉さん?」 「ありがと」 「どういたしまして」  世界中探したって、お前くらいだ。 「っと、すみません。電話だ。……出ますね」  真紀は画面を確認すると、電話の向こうの誰かに律儀に「はい。三國です」と名乗って返事をした。真面目だよな、ホント。真顔でいうんだぜ? 俺を一生大事にします、とか、一生愛してます、とか、真剣に言うんだ。  本当に真面目で、浮気もしなけりゃよそ見すらしない。 「こんばんは。……いえ、大丈夫です。……はい。すごくよかったです。教えていただいた店……え? ……えぇ、紹介してくださったレストラン」  普通するだろ? よそ見の一つや二つ。飽きることだってあるだろうし、たまには別へ気持ちが傾きかけることだってあるかもしれないのに。真紀は少しもずれず、揺るがず、俺だけを見つめる。 「えぇ、今夜、早速。話を伺った日に早速連絡してみたら、運よく予約が取れたので……えぇ」  本当に一ミリだってよそ見をしない。 「えぇ」  女の声。  じっと見つめていたら、視線を感じた真紀が「少々お待ちください」と真面目にその電話の向こうに告げて、スマホの下半分を手で覆い隠すと、耳元で教えてくれた。 (お店を紹介してくださった営業の臨時アシスタントの方なんです)  だってさ。  あーあ。  相手は、多分、この前、臨時で入ったっていう女性スタッフ? そんで、その女性スタッフと、何気ない会話をしていたら、雰囲気のいいレストランを紹介された、とか、かな。  もちろん、あっちはお前を誘おうと思ってたんだろ。  そんで、お前は、興味津々でそのレストランの話を聞いて、俺を誘おうと思った。  名前なんだっけ? 臨時で入ったスタッフの。 「すみません。お待たせしました。いえ……はい……すごくいいお店で。今度、田中さんも行かれるといいですよ」  そうそう、田中さんだ。 「と言っても、紹介してくださったのが田中さんですけれど、っ」  田中さん、悪いけどさ。 (誉さんっ?)  ホント、悪いけど、これは、あげないから。 『三國さん』  かすかにだけれど、声が聞こえた。  スマホからわずかに漏れる声が。  俺が、真紀の首筋にキスをしたから聞こえたんだ。誰よりも近くに潜り込んで抱きついて、キスをしたら聞こえた。だからそっと、その声を聞きながら、電話の向こうには内緒で、静かにこっそりと、この物好きは俺のだって印を、この肌に赤く小さくくっつけた。

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