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媚薬編 1 とある大手通販サイトは未来型ロボットのごとく

 決行は、今夜――。 「よっこらっしょ……」  タイヤを棚にしまって、あとは片付けのみ。そしたら、あとは帰って。 「……」  梅雨真っ只中。作業場は鉄筋コンクリート建てだからか、湿気が篭りやすくて、つなぎの作業服も暑苦しく感じられる。力仕事で湿気た肌を手で拭うようにして、一つ溜め息をついた。  もう、帰ったら、届いてんだっけ。  媚――。 「もう上がっていいぞー。天見」 「チーフ」 「サブチーフ」 「!」  まだそう呼ばれることに慣れてなくて、呼ばれる度になんか妙に緊張するっつうか。それをわかっていて、チーフは楽しそうに笑いながら、腰に手を置いて小さく「イタタタ……」と呟いた。  ちょうど四月から、サブチーフになった。  そのことに俺以上に喜んだのが真紀で、全然関係ないレンと今付き合ってる彼氏まで呼んでお祝いだーって大騒ぎしたくらい。レンの今の彼氏が久しぶりの年上で、もうベッタリっつうかさ。包容力ものすごい感じの穏やか紳士だったな。ああいうタイプは珍しい。というより、真紀がキャンキャン騒がしいワンコキャラだからかレンの彼氏の穏やかさとの差がすごくて面白かった。  そんで、サブチーフとして日々忙しくしてたんだけど。 「今日はなんか落ち着かなかったなぁ。まぁ、あんまサブチーフだからって気張ることないからな」 「ぁ……いえ」 「お前の仕事ぶりは正確でしっかりしてんだ。いつも通りでいいぞ」 「……うっす」  俺の、落ち着かない理由を別の意味に捉えたチーフがにっこり笑って、またずっと痛い腰をゆっくり、ゆーっくり背中を外らせて伸ばした。 「まぁ、今日は特別忙しかったからなぁ」  連休明けの車屋は少し忙しいんだ。まぁ、ドライブとか遠出をすれば、ごく稀に運悪く事故を起こすこともある。そんな事故車の修理に、季節の変わり目でエアコンのクリーナーだったり。雨続きで汚れた車体の洗車だったり。だから結構忙しくて。 「でも、明日は休みだかんな。ゆっくり身体休めろよぉ」  しかも休み前だから余計に忙しかった。  そんな一日の終わり、何気ないチーフの言ったその言葉にまた緊張した。 「そんじゃあ、お疲れ。俺はまだもう少し作業してから帰るから」  そう、今日、落ち着かなかったのは就任したばっかのサブチーフとしての仕事のせいじゃない。忙しかったからでもない。  今夜が決行日だったからだ。  何の決行日かっていうと――。 「お、お疲れ様っす」 「おー」  遡るのは一週間前くらいのこと。  ――な、な、な、なんてことだ。  なんか、真紀がタブレットを見ながら、震え出したんだ。  どんな衝撃ニュースに驚愕してんのかって思うだろ? ガクガクっつって震えて、タブレット握りしめたんだから。  ――こ、これ、こんなものが。  そう呟いた、真紀の握りしめるタブレットをちょっと覗き込んでさ。  お前、何見てんだって。  見てたのは通販サイト。  そんで、なんてことだ、こんなものが、と驚愕していたのは、その通販サイトで見つけた「媚薬」ってやつ。  ――今、濡れ濡れローションデラックスと。  何その、ダサいネーミング。  ――超薄コンドーム大入りを。  あ、あ、あっそ。コンドーム、大入りってお前……ってつい真っ赤になりながら呟いて。  ――通販で買い足そうと思ったんです。  そうですか。  ――そしたらこんなものを発見しました!  バーンって、タブレットをこっちに向けて。  ババーンって、見せられたのは。  ――誉さん!  恋人たちに刺激的な夜を、だってさ。惚れ薬とかって、バーンと銘打ってるものもある。惚れ薬なんて買う奴いるのか? 国民的未来型ロボットくらいしかそんなの出せそうにねぇ代物だけど。通販で届いちゃうのか?  スポイトみたいなので垂らすのもあれば、個包装になってるものも。塗るのもあるのか。クリーム? なんだろうな。サッとひと塗りで濡れる、締まる、最高の一品って。なんか洗剤みたいな謳い文句に、チューブにぺたりと貼り付けられた怪しい一面薔薇のラベル。  何その、フェロモン香水って。香りで惹きつける、男の魅力って書いてあるけど、それ、フェロモン撒き散らすとか……怖ぇぞ。その下の段には「悩める男の最強サポート、持続力抜群、破壊力最強」って、破壊したらダメだろ。絶対に。  どれもこれも怖いっつうの。  それにパッケージがどれもこれも怪しいっつうの。  ――媚薬! だそうです!  だから、どれもこれも怪しいっつうの。  ――これ!  だから。  ――買います!  ポチリって…………お前、マジで……おい。  買っちゃったのかよ。  ってなったのが一週間前のこと。さすが大手通販サイト。国民的未来型ロボットよりは遅いけれど、でも、注文した翌日には届いてた。  ――誉さん! 来ました!  見たっつうの。ピンポーンって、配達員が今届けてくれたのを、鼻息荒く受け取ったところを。  ――誉さん!  だから、わかったっつうの。  決行は今夜。  同じ職場、土日は基本出勤がデフォ。シフト制で休みは週二回。一日は店の定休日。もう一日はシフトでバラバラ。  で、明日は店の定休日。そんで、俺はその翌日も休み。今月はシフトで俺は二連休になれる日。  だから、大丈夫。  明日と、それから明後日も、あるからさ。 「……ったく」  そうぼやいたのは、先に帰った営業の真紀からのメッセージを読んだから。 「馬鹿だろ、シチサンめ……」  ――待ってます!  そうお堅いメッセージが送られてきていて、その短い言葉を打ってるあいつの顔を想像して、なんか、ほら、また、緊張と照れで頬が熱くなった。

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