8 / 46

七.

画集や資料を積み上げた大きめの木製の机。  面積の半分がそんな状態だから、そこへ座っていると、廊下側にあるドアの下方は隠れてしまう。  だが今は、残念ながら壁の横幅いっぱいに据え付けられた棚の前で、次の授業で使う題材のヒントを探しているところだった。それもドアに近い辺りで。  常に一人でいることの多いこの美術準備室で、周囲に音が存在することは滅多にない。授業のある前後くらいだ。  それと今のように、窓の外で降る雨の音くらいだろうか。  涼は、ぱたりと持っていた分厚い資料を閉じ、それを棚の元あった場所へと戻す。内履き用のサンダルの底が、埃のない床と擦れて、キュッと小さく鳴った。  つい今しがたノックされたドアを見つめ、涼は溜息をつく。そして諦めたように「どうぞ」と、ドアの向こう側へ立つだろう相手に声を掛けた。 「ちわ」  ドアを押して顔を見せたのは、ここ最近一番よくここを訪れる馴染みとなった生徒。もちろん顔を見せる前から涼はそれに気づいていた。何故だろうと考えて、ノックのリズムかと思い当たる。普段であればそんなもの気にもしないのだが、涼の気持ちとは裏腹に、どうやら耳と脳が先に、目の前に立つ生徒を個体認識してしまったらしい。  そうと分かった涼は、いささか自分に呆れつつ、ゆっくりと部屋の奥へと歩いた。  どうせ大した用事ではないことは知っている。  涼は机の前に広げたままの折り畳み椅子に腰掛け、足を組んだ。視線を上げると、そこには閉めたドアの前に立ち、動かない生徒の姿。 「それで? 今日も顔を見せに来ただけか」  ここ十日ほど、この生徒は朝昼夕方関係なく、ここへ足を運んでいた。だがここで涼に何か質問するでもなく、いつもドアの横の壁に寄りかかり、挨拶とやらをすると、他愛ない自分のことを少しだけ話すと出て行くのだ。  今日の朝は何を食べた、友人がこんな面白いことを言ったなどと、愚にもつかない高校生の日常を垣間見せる。まるで、涼の警戒心を分かっていて、懐柔するかのように、だ。 「先生、俺の名前、分かった?」  整った生徒の顔に、皮肉げな微苦笑が浮かぶ。すると、涼はすっと眉根を顰めた。  件の問いは、二度目にここを訪れた目の前の生徒に出された【お題】だ。くだらない遊びだと撥ねつけたのだが、生徒は毎回同じ問いを繰り返す。  写真を返して欲しくば自分を見つけてみろ、と。  準備室に籠もり、ほとんど周囲と関わることのない自分を見越しての、意地の悪いお題だ。もちろん、他の教諭や生徒にに聞くことも止められてはいない。これだけの容姿である。知らない人間はいないんじゃないのか、とは思うものの、涼はどうしてもそこまでして写真を返して欲しい、とは思ってはいなかったのだ。  そして、もう一つ。涼は、確信していることがあった。  この生徒は、きっと写真を無闇に人に見せるような、幼稚なことはしないだろう、と。

ともだちにシェアしよう!