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十一.

 それは偶然だった。 「お、赤坂先生、今日はもうお帰りですか?」  階段を降りきったところで、職員室から出てきた生活指導部の丸石に声をかけられたのだ。 「ええ、まあ」  涼は眼鏡を指で軽く押し上げ、若干俯く。すると長めの前髪で目元がハッキリとは見えなくなる。 「私もです。娘の誕生日でしてね」  丸石の顔はこれ以上なく緩んでいた。よほど娘のことが可愛いのだろう。涼はそう思いながら、駐車場側にある職員用玄関へと足を向けようとして動きを止めた。 「おっ、相変わらずだな」  ふいに丸石が呟いたからだ。 「なんです?」  涼は特に興味もなさそうに問い返したが、丸石は気にせずに続ける。 「新井ですよ。あいつ、人気ありますからねぇ」  丸石は正面玄関の外に視線を向けたまま、感心したようにひとりでに頷く。それに釣られた涼の目が、外へ向けられた。  そして、そこにある長身の生徒を見つけ、涼は思わず声を出す。 「あ……」  丸石はそんな涼には気づかず、苦笑しながら生徒達を眺めていた。 「相手は一年のようですねぇ。相手が男とはいえ、羨ましいモテっぷりですよ、まったく」  羨ましいと言いながらも、その口調は忌憚のない朗らかさだったが、涼の耳に届くのはその言葉面だけ。 「新井……?」  長身の生徒の少し離れた場所に、小柄な生徒。お互いに向き合ってはいるが、ただ話してる雰囲気ではない。一年生が長身の生徒に想いを寄せてるのが丸わかりなのだ。  告白しているのかどうかはともかく、長身の生徒ーー新井は、いつも涼の前で見せる余裕のある表情ではなく、どこか硬質さを漂わせている。 「そう言えば、最近あいつは赤坂先生の所へお邪魔しているんでしたねぇ。あいつ、面白い奴でしょう? チャラチャラしてるだけかと思えば、ちゃんと生徒会の仕事もやってるし。ああ見えて、それ程遊び歩いてる風でもない。口が上手いからか先生方にも人気があります」   新井は生徒会の人間なのか、と涼は何故か釈然としない気持ちのまま、唐突に与えられた情報を頭の中で繰り返しなぞる。  新井という名の生徒。そして彼に気のある小柄な一年生。その一年に向ける、自分の見たことのない表情。  その時初めて、足繁く美術室を訪れる生徒が、一人の人間として涼に認識された。  僅かに切れた雲の間から差し込む傾いた陽射しが、ただの生徒であるはずの二人の姿を、はっきりと映し出す。その間に流れる独特な空気が、何故か涼の頭の隅にしこりを作る。  そして、そこから生まれた苛立ちのような、焦燥のような感情は、涼を僅かに、動揺させていたのだった。

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