26 / 46

二十五.

洋平が黙りこくると、涼が気まずげな表情をした。 涼は涼で驚いていたのだ。生徒たちはみな外へ出ていると思っていたから、まさか洋平に会うこともないだろうとたかを括っていた。 滅多に来ることのないA棟に来たのは、保健室から人手を所望されたからだった。保健委員が交代で保健室に詰める予定だったらしいのだが、今からの時間の担当が怪我人のピンチヒッターで試合に出ることになったらしい。そう養護の服部から内線にコールが入り、仕方なく涼は美術準備室から出て来た。 生徒会の生徒がA棟の普通科の人間だと知ってはいたが、イベントでは多忙なはずの生徒会役員の洋平と会うことはないと考えて安易に引き受けた。それなのに。 「――ほどほどにして、早く戻りなさい」 顔を逸らしてしまった洋平に、どう声をかけていいかわからず、涼はいつもの教師の仮面を取り繕いそう言って、また階段を降りようとする。そもそも、洋平を遠ざけたのは自分なのだから、気を持たせるようなことをしてはいけないとようやく思い当たったのだ。 ただ、彼が訪れなくなったことを時折ふと思い出して、ドアの方を見つめてしまうことが何度かあった。寂しいとかそんな事を思ったわけではない。本当に自然に、洋平は自分の場所である美術準備室に、ふと気づくといた。そんな感じなのだ。今まであった物が突然消えれば、人間なら誰しも違和感を覚えるだろう。そんな些細な感覚が自分の中にあったから、思わず声をかけてしまっていた。何をしていたんだ、と彼の気持ちなど考えもせずに。 涼は自分がひどく気の回らない人間に思えて、自嘲する。 洋平は自分にとって、その他の生徒となんら変わりない立ち位置にいる。それを忘れてはいけない。 特別に誰かを気にかけるつもりはない。深入りすれば、それだけ面倒に巻き込まれる。そうやって今までも身を守ってきた。 だから、自分から声をかけることももうしない。 そう心に決め、涼は階段を降りきった。 「先生」 だが、涼の決心を笑うかのように、洋平が頭上からいつも聞いていたよりも真面目な声音で涼を呼び止める。 涼は逡巡した後、白衣の両ポケットに手を入れて振り返った。 「なんだ?」 そこには、踊り場の窓から入る光のせいで、はっきりとは表情の見えない洋平がこちらを見下ろしている。 しばらく黙ったままじっとしていた洋平が、溜め息をついたように肩を上下させた。 「写真、今度返しに行くから」 「……好きにしていいとーー」 「だから、返すよ」 強く言い切った洋平は、それだけ言うと、身を翻しあっという間に上へと姿を消した。 涼は呆気にとられてそれを見送る。 いったい何がしたいんだ。 返すと言った洋平の、影になっていた表情が、涼はどうしても気になって仕方なかった。

ともだちにシェアしよう!