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二十七.

「先生?」  洋平が始めてそこから中へ踏み出した。  ゆっくりと近づく距離に、涼は焦る。  立場以外の理由を自分の中で探す涼に、逃げ道はなかった。何せ涼は生まれてこの方男以外を好きになったことはない。なおかつ、目の前にいる洋平はまだ発展途上であるにも関わらず、奮い立つほどの男前である。準備室の隅に置かれた胸像も、裸足で逃げ出しかねないほどに整った顔立ち、その身体の線。  立場を剥がされてしまえば後に残るのは、涼にとって垂涎のご馳走だったのだ。 「いや、年下だし、断る理由なんざいくらでもあるだろう」  呆れた声で涼を諭すのは、件の写真を落とす要因の一部となった腐れ縁の桧枝だ。  あの後、詰め寄られていた涼を救ったのは、夏休み中の部活の相談に来た美術部の部長だった。涼と学園でも名高い洋平を見て出直そうとした部長を呼び止め、「考えといて」と涼にだけ聞こえるように囁き準備室を出て行く男に、涼はほっと胸を撫で下ろした。  だが職務が終わると同時にこの唯一相談相手になりそうな桧枝に連絡し、街の居酒屋での約束を取り付けたのだ。  その相談相手はビールジョッキを片手に涼の話を聞くと、お前馬鹿かといった表情を隠しもせずに涼を見ている。お洒落だと本人はのたまうが、見るたびに胡散臭さの際立つ顎髭を睨みつけ、涼は一緒に頼んだジョッキをガタっと音を立ててテーブルに置いた。 「俺は!  相性が良ければ年なんて気にしないことにしてるんだ!」 「まあ十七、八なら七つ違い?  ――うーん、まあもっと年齢上がれば許容範囲だよなあ。相手が可愛い女の子ならな」 「お前の話はどうでもいい」  桧枝の戯言をスパッと切り、涼は目の前に置かれた魚の干物を親の仇のごとく崩していく。 「気にしないのは、気にしてたら相手がいないからだろう」  くっと人を食ったように笑う桧枝を睨みつけて、ほぐした身を口へと運び涼はやはり相談するんじゃなかったと今更ながらに後悔していた。だが、本当にどうするのが正解なのかわからず、焦るあまり気づいたら連絡してしまっていたのだ。  涼が変な相手に執着されるのを学生の頃から見てる桧枝は、涼が恋人を作ることがどれだけ大変なのかも知っている。告白されて付き合ってみればストーカーまがいの男だったり、好意を持った相手を誘おうとすると、付き纏われていた変態に邪魔をされたり。刃傷沙汰になろうとしたことも、一度や二度ではない。そして腐れ縁の桧枝がそれを撃退したことも。 「しかしお前が生徒とねぇ。隠れ蓑に選んだ仕事先で相手見つけるたあ、運が良いのか悪いのか」 「見つけたわけじゃない。見つかったんだ」  憮然として涼が反論すると、顎髭が意味深な視線を寄越してくる。 「ふーん。じゃあ、過去のストーカーやら変態と同じ部類なのか?」 「それはない」  即答した涼に、桧枝がけたけたと笑い出した。 「おまえ、相談とか言いながら、もう気持ち固まってんじゃねえか」  声に出して笑い続ける同い年の男に、涼はそうなのかと自問する。  だがやはり、相手が未成年だと思うと涼は複雑なのだ。自分から手を出さなくても、洋平を見る限り、卒業まで清いお付き合いが出来そうな相手ではない。ならばやはり、大人としての態度を貫くべきじゃないのかと。  涼が溜め息をつきながらそう言うと、桧枝は呆れた顔でビールを一気に飲み干した。 「そりゃ常識的な判断だよなあ。でも、おまえ、それでもしかしたら一生のうち一度しかない相手逃す可能性もあるんじゃないのか?」  真顔で諭してくるが、桧枝の口端がピクピクと痙攣しているのを、涼は見逃さなかった。 「――おまえ、面白がってるだろう」  ムカついて声の低くなった涼に、桧枝がここぞとばかりに噴き出す。  こういう奴だよ、と涼は荒い手つきでジョッキを握り残りのビールを一気に煽った。  それには桧枝も慌てたように笑いを引っ込め、手を伸ばして涼のジョッキを奪う。 「おいおい。全部飲みやがって……。酒強くないくせに何やってんだ。潰れたおまえの世話なんて御免だぞ?」 「――これくらいで酔っ払うわけない」 「ほんとかあ?」  呆れて溜め息をついた桧枝は、それでも涼のために烏龍茶を注文した。  その後はもう涼を刺激しまいと大人しく世間話に終始する桧枝に、涼は話半分に目の前の食事をただ黙々と平らげたのだった。

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