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5. 月夜の舞踏会
ニソルたちの住む森は、コンル山の裾野に広がっている。山頂では一年をとおして雪が残り、土へと染みわたった雪解け水が豊かな川の流れを生み出していた。肥沃な土地は常に潤い、さまざまな種族のものが療養に訪れる場所だった。
山の中腹にはニソルたちが神聖なる泉と呼ぶ場所がある。ここで汲み上げられた水は透明ながらも光にかざすと虹色に輝き、他では得られない不思議な力をもっているとされていた。
二年前の夏、ニソルは病をわずらった友人のために泉のもとへと向かっていた。虹色の水はあらゆる傷を癒し、生命に力を与える。そんな奇跡のような水を生み出す泉は当然、そう簡単にたどり着けるような場所にはない。
「あのときは急いで水を取りにいってあげないと、って気持ちだけが焦ってしまって。岩場で足をすべらせて、気づいたら僕は暗くて水の音がする場所にいた。身体中が痛くて、声も出なくて……怖くて、なぜだか寒くて、本当に死んでしまうと思った」
横たわるニソルがもう一度目を閉じようとしたとき、突然周囲が明るくなった。雲間から丸い月が顔を出し、美しい男の姿を浮き上がらせた。
「セラがあんまりにもきれいだったから、僕は痛みもすっかり忘れて見とれてしまったんだ。月の精霊さまか、そうでなければ泉の妖精王さまかなって思うくらい……」
「精霊さまや妖精王さまだなんて、そんなことを言ったら怒られてしまうよ。私はただの花。それもたった一夜しか咲くことのできない花だ」
「でも君が花だったから、そしてあのとき君が目覚めてくれたから、僕はこうして生きていられているんだ」
傷ついたニソルの身体が温かな腕に包み込まれた。唇にやわらかな感触が当たり、開いた隙間からとろけるように甘いものが注ぎ込まれる。ニソルは無我夢中でそれを飲みこんだ。口の中をなだめるように動いていたものが、身体の傷の上を滑っていく。しびれるような感覚のあとで、傷があった場所がじんと熱くなった。それだけではない。身体の内側からも突き上げるように熱があふれ出してくる。ニソルはかすむ意識の中で何度も叫んだ。その度にやさしく背中をなでられ、耳元ではおだやかな旋律が奏でられていた。
次に気がついたとき最初に見えたのは、ウナの泣きそうな顔だった。身体を起こすと傷ひとつなく、痛みもきれいに消えている。なにか大切なことを忘れているような気がして、ニソルは首をめぐらせた。水の流れる音に視線が吸いよせられる。細い川のそばのちいさな岩陰に隠れていたのは、こうべを垂れた背の高い花だった。
「私はニソルを助けるために目覚めたんだ。そして君は私を見つけてくれた。それに一夜だけではなくずっと、こうして花開く日まで私を守ってくれている」
「一夜だけだなんて、そんなことできるはずが――」
「そういうものなんだろう。普通なら種 の存続のための割り切った『一夜限りの関係』だと、君の友人も言っていたとおりだ」
「どうしてそれを……」
セラはニソルから身を離した。月明かりに照らされたセラは、はじめて会ったときと変わらず神々しいほどの美しさを放っている。
「目覚めのときが近づくと、ぼんやりと周囲の音が聴こえ始めるんだ。君が毎日私にかけてくれる言葉のひとつひとつも、ちゃんと聴こえているよ」
「そ、そうだったんだ」
赤く染まったニソルの頬をセラが大きな手で包み込む。
「でも、だからこそ私は少しだけ君の友人たちのことを羨ましいと思ってしまう。彼らがいつでも君と話したり、こうして触れたりすることができるということを知っている。花たちも……君を誘うことができる。こんなに可愛い君を、彼らが放っておくはずがないから」
「そんなことない! どんなに仲が良くたって、僕にはセラが一番なんだ。命を救ってもらったあの日から僕はセラのものになった。セラしかいらない。わかっているでしょう……?」
「ニソル……」
頬の上の手にニソルの華奢な手が重なる。手のひらに頬ずりをするニソルを見て、セラはたまらず唇を重ねた。
「ん……」
唇はすぐに離れて、二人はそっと見つめ合う。
「ニソル――」
「あっ!」
突然声をあげたニソルはセラの背後を指さした。
「セラ、見て!」
振り返ると、茂みの中からちいさな明かりが浮かび上がってきていた。明かりはひとつ、ふたつと増えていってニソルとセラの周りを囲むようにふわふわと飛んでいる。二人の間に飛んできたそれは、あいさつをするように目の前でくるりと回ってみせた。
「……ホタルだ」
「そう。彼らはこの時期、いつもここを訪れて毎夜踊っているんだ。綺麗でしょう?」
「ああ……」
「セラに見せたかったんだ。君が咲く夏の夜だからこそ彼らに会うことができるから」
ニソルはセラの手をとり、片手を自分の腰にそえさせた。
「僕たちも一緒に踊ろう」
ニソルのうつくしい歌声が夜の森の中で静かに響く。ぴたりとくっついて身体を揺らす二人の頭上では、真ん丸の月がほほえみを浮かべている。ホタルは歌にあわせて光を明滅させて、二人の再会を祝うように楽しげに飛び回る。
「ニソル」
セラがニソルの耳元でささやく。
「素敵な贈り物をありがとう。君と出逢えて本当によかった」
そう言ってニソルを抱く腕の力を強める。
「また君と――ひとつになりたい」
セラの言葉にニソルはぴくりと身体を震わせた。歌がぴたりと止む。ニソルはセラの胸に顔をうずめ、黙ったままちいさく頷いた。
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