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第3話

 訪れる短い沈黙。  そして、その何秒間の空白が終わる。 「君と出会った日、俺たちは大学を出て、食事に行ったね」 「はい」  それはあのじゃが芋の煮っ転がしを食べた古畳の店の事だった。話した内容は何気のないものばかりだった。  だが、逢坂は気づいたという。 「君は何かを抱えていると思った……というより、人は何かを抱えているのかもね。でも、その抱えるものは違ってて」  逢坂は静かに椅子から立ち上がると、カーテンを引く。窓を少しだけ開けて、風を通した。 「俺は君の抱えているものが知りたかったのかも知れない」  人間の心理を専門とする研究者にしてみれば、それは至極当然で、純粋な欲だ。  しかし、それだけではないのだろう。  何故なら、誰でも何かを抱えているのであれば、それが陣内でなくても、良かっただろうから……。 「確かに、俺は心理の研究をしている。ただ、深入りはしていけない。その心を無暗に暴く事も、痛みをなくす事も、全てを分かち合う事もできない」  逢坂の苦悩に近い声が続く。おそらく、何度も誰かのために悩んで、苦しんだ事があるのだろう。ただ、それでも、この目の前にいる男は研究を続けた。  彼にも傷つく心はあるというのに……それでも、それでも……。 「それでも、君を知りたいと思ったんだ。痛みをなくす事はできない。全てを分かってあげる事も多分、できない。でも、そうしたいと思った」  研究者ではなく、人間として、そして、陣内要を愛する人間としての純粋な願い。そのために、この逢坂という男は自分の思う研究者としてのタブーを犯した。  そのタブーの中で、ある1つのものを除いて。 「心理の研究者は良い人であるべきではないと俺は思っている。中には、あまりの居心地の良さに治療を延ばしたがるクライアントもいるからね」  ある程度、好かれる。ある程度、嫌われる。そんな事を繰り返す。これは多分、逢坂にとっても良い事なのだろう。  いつも、いつでも、誰にでも本気でぶつかりあうには苦しい。  しかも、話す方も好きな相手に話しているのだ。迷惑はかけたくない。  あんなに、人間の、それも、心と関わっているのに。 その殆どが偽りに近い形の関係なのだ。

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