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その夜、俺は青いインクのメモを日付の順に自室の机に並べてみた。 「一作、足りない……」 最初に見つかった今年の春の最新分から、一作飛ばして遡るように一番古いものまで4作品が揃っている。足りない分は部長が持っているのかも知れない。すべて同じ何の変哲もないA5版のメモ用紙に同じインクで書かれていて、一回目の書き出しは律儀に『はじめまして』とあった。署名はない。突然、ガタッと廊下で音がして、洗濯物を抱えた母が扉を押し開けた。 「ノックぐらいしろよ」 「手が塞がっていたのよ」 「俺が着替え中だったら、どーすんだよ?」 「どうもしないわよ。アイロンかけたから、後は片付けてね」 「あのさ、パンツまでアイロンしなくていいから」 「何言ってるの、海晴にシワだらけのパンツを履かせるなんてイヤよ、みっともない……」 誰に見せるわけでも無いのにと言いかけて、中学の体育の授業で発作を起こし、救急車で運ばれたことを思い出した。母は、 「年頃なんだから、身だしなみには気を付けなさい?モテないわよー」 なんて憎まれ口をきいて笑っているけれど、もしかしたら、いざという時に恥ずかしい思いをさせない為の配慮なのかもしれない。天然だけど、そういうところは用意の良い人だと思う。 「ありがとう」 という言葉がいともスルリと言えたのに、母さんは、 「いやだ、気持ち悪い」 だって……。そんなに言ってなかったかな?と、可笑しくなってクツクツ笑いたくなった。 「海晴、お父さんに電話してくれた?」 「あ……、忘れてた」 「ほらー、すぐにしなさい?たぶん、寝ないで待ってるから。この前の検査結果が良好だったこと、必ず言うのよ?あなたから安心させてあげて」 「わかったから、ハウス!」 「海晴、母親を犬扱いしたら、夜食抜きだからね?」 「……ごめんなさい」 父は単身赴任で鹿児島にいる。そこから方々飛び回って忙しそうだけれど、定期的に俺の自由が効く時に此方から電話をかけて体調や学校のこと、時には男同士の話などをしている。似た者夫婦なんだろう、一人っ子の俺は心配性の両親に可愛がられて、過保護なほど大切にされている。だから、弱音が吐けない……。 人って沢山の血を受け継いで受け継いでして生きるだろう?俺は短命を諦めたところがあって、親の血をバトンタッチ出来そうにないからゴメンって思うけれど、生きた証とかオーバーなものでなくていいから、ささやかな痕跡を残したくて小説を書いている。俺にとって執筆とは、そういうものだ……。母が呑気に、 「海晴、ほら見て。夜が笑っているわ……、綺麗ねぇ」 なんて、窓から身を乗り出すもんだから、 「危ねぇよ」 と、咄嗟に掴んだ腕の細さ……、痩せたなぁと思った途端、ひとりになりたくなった。 「父さんに電話するから、風呂入って寝ろよ」 「海晴~、今の言い方、お父さんにソックリね」 俺の頬を冷たい両の手で挟み、モムムムッーと歪めた母は、 「夜更かししないのよ」 と、最後まで世話を焼いて、にこにこと部屋を出て行った。明るいんだ。 疲れている時ほど、母は明るいんだ……。 父と電話している間も俺は手許のメモが気になっていた。 『叙景に優れ、臨場感たっぷり』 雲谷と同じことを言う。俺は風景描写が得意じゃないと思うけれど、そのぶん、力を入れてきた成果はあったらしい。 『ファンタスティックなキスシーン』 嘘っぽいと言いたいのか、生憎とキスの経験ぐらいあるんだよ……。 『高校生が死生観を語るのか』 前後の文脈からして茶化したものでは無かったが、100歳だろうと0歳児だろうと死は常に万人と隣り合わせにあるものだろう? 『キミは泣いてばかりいる、どうして?』 この小説はコメディーだ!泣きの場面一つないのに、どうして、そんな感想になるんだ? 『キミの傍にいたくなったと言ったら、気味悪がられるかな?』 とっくに気味悪いさ。誰なのか見当もつかない……。少なくとも『傍にいたい』と言うのだから、コイツは学内の人間で俺を見知っているのかもしれない。 そして、最後の一枚は、こう結ばれていた。 『君は誰?』 はっ……こっちが聞きてぇよ。 半分、上の空で父と20分ばかり話をして「また身長が伸びて靴が合わなくなってさ」なんて話をしたところで今更ながら気が付いた。ザワザワと心が騒ぐ。 「ごめん、父さん!宿題を一つ忘れてた。そろそろ、切るよ」 慌てて、制服のポケットからクシャクシャになった上履きの注文控えを取り出した。 「見つけた……」 鹿野颯介……、何で気付かなかったんだ。 そこには、注文受付日と上履きのサイズ、鹿野というサインが青いインクで走り書きされていた。

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