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連休明け、うんざりするような快晴の放課後、31.7℃の渡り廊下を俺は購買部へと急いでいた。中庭で生徒に掴まる須崎を教室から見た途端に腰が上がるなんて、コソコソと情けない。どうして、俺が後ろ暗い思いをするんだ?と自問しても、須崎が鹿野を好きと直感した時に、男同士という気持ち悪さより苛立ちを覚えた自分に説明がつかなくて溜息しか出なかった。臙脂のジャージを着た下級生が二人、紙パックの珈琲牛乳と菓子パンを手に購買部を出ていく。俺が二年生だと判ると軽く会釈をして道を譲るあたり、フレンドリーな校風でも自然と規律が身についていて上出来だと他人事のように感心する。 「鹿野さん」と、声を掛けると、 「やっと来たか」 抜きかけた栞を戻して本を閉じた鹿野はキラキラした眩しい笑顔を俺に向けた。いや『キラキラ』だけ余分だ。物品に埋もれた狭い場所で後ろ手に棚から箱を取り、カウンターの上に出す。 「履いてみな。サイズが合えば1500円だ」 頷いてその場で確かめ、然程、傷んでもいない現役とサヨナラした。 「「……あのさ」」 と、声が打つかって、手恰好で『先を譲れ』と制止される。 「『暮沼曇天(くれぬまどんてん)』は海晴自身なのか?」 あまりに唐突だったけれど『凪』の正体が俺と解っていなければ出てくるはずのない言葉だった。何故って暮沼曇天は作中人物なんだ。去年の発表作では3作目の一番短い物語だけれど、主人公の名前を其のままタイトルにして俺のほんとうを投影した遺言書、いや、存在証明と言っておこうか……、そんな作品だ。けれど、曇天が俺だと気付いたのは俺のことなど何も知らないだろう鹿野颯介、この人ひとりだ……。 「無言は肯定ってことでオーケー?」 「……オーケー、かな」 この気持ちを上手く言葉に出来ない。動揺したし、どうして気付いたのか気味悪くもあったし、何より複雑だった。だって、暮沼曇天は幽霊なんだ。 それでも少し……、たぶん、嬉しかった。 「俺が『凪』だってこと、須崎が言ったの?」 「アイツ、やっぱり知っていたのか。どうも嘘をついている顔だったんだ。この前、お前ら妙な雰囲気だったし、飲みもすっぽかされたしさ……」 シマッタと思った。迂闊に口にしたことで先生の心証を悪くして、どうして嘘をついたのか、この勘所の良い男が勘繰り始めたら須崎は気まずいに違いない。 「あのさ……、」 「海晴が気を回すことじゃない。ぁ、そう呼んでいいよな?」 「ぇ、うん。いえっ、はい!」 「……っ、お前、可愛いトコあるな」 「2度目です」 「何が?」 「鹿野さんに可愛いって言われたの、不本意ながら2度目です」 「不本意なんだ?」 「喜ぶ方がキモイでしょ」 「珈琲牛乳、飲む?下校、急がないなら少し話をしないか?」 そう言ってカウンター越しに丸椅子を持ち上げてきた鹿野に、 「フルーツ牛乳がいい」 思いきり子供扱いの目で笑われた俺だ……。 「最初『暮沼曇天』は駄作だと思ったんだ」 と、鹿野は話し出した。 「どこかで聞いたような映画やドラマを繋ぎ合わせた、ごった煮みたいな作品だと思ってな。ところが上等な凡作だった。ウッカリ幽霊になった暮沼が自分の葬式で泣く同級生を見て『あれは初恋だった』と自覚するラブコメってさ……、その女の子を見守って切なさに悶えるみたいな安直な展開かと思ったら、想いのベクトルが変わっていくんだもんな……」 鹿野の声が不意に影を落として、俺はゴクリと息を呑んだ。 「気持ちを伝えようと躍起になる暮沼の足掻きがコミカルで、けれど、足掻けば足掻くほどペーソスを感じてさ……、終いには伝えまい伝えまいって女から自分を消すことに一生懸命になるだろう?それでいいのかよ、って思ったね。これを高校生が書くのか?って軽くショックを受けた」 俺は、どんな顔をしていいのか判らなくなって、何でもないって顔でフルーツ牛乳を喉奥へ流し込んだ。自分の小説が人生経験も豊富だろう大人の感情を動かした事より、素人学生の作品を、こんなに真剣に話す大人がいる事に驚いた。 「あの青いインクのメモは鹿野さんだよね?」 「颯介でいい」 「あー……、颯介さん。どうして無記名だったんだよ、…デスカ?」 噴き出した鹿野は「もういい」と、俺を敬語から解放した。 「名乗る必要はなかった」 「でも『凪』を探した」 「なんだ、ポエトとの話、立ち聞きしていたのか……」 呆れ顔で睨まれた。デキの良いツラだけに凄味があってコワイ……。 「聞こえたんだよ。須崎の笑う声とか珍しいから遠慮してやったのに」 「お前、ほぼほぼ聞いていたな?」 「……ぁ。……」 大仰に溜息を吐いた颯介は苦笑いで頭を掻く。俺は居心地の悪い丸椅子をギシリと言わせて、フルーツ牛乳に挿したストローを噛んだ。ズズッと派手な音がして空になると、いよいよバツが悪い。 「須崎のこと『ポエト』って言うの、何?」 「ヤツのペンネーム。……でもないか」 「どっちだよ?」 トボけた口調に少し笑った。釣られて颯介もクスリと笑う。

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