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「俺が『凪』でガッカリした?」 「それは、ガッカリして欲しくないってことか?」 「……え?」 質問に質問で返されて、一瞬、たじろいだ。 「俺は、お前に興味があるよ、海晴」 「それって、どういう……?」 「どういう意味ならオーケー?」 答えに窮して話しづらい相手だと思った。薄らと笑みを浮かべて、のらりくらりと会話を揺さぶって来る。けれど、興味があると言われて心が浮き立つような誇らしいような、そんな高揚感に目の前の大人が、やっぱりキラキラして見えた。 「そういえば、沢山の感想、ありがとうございました。まだ、お礼を言えてなかった」 「好きでやったことだ。礼を言われるものでもないだろ?」 「客観的な目は宝だよ?」 まして、(コア)な部分で意見を交わしたり、共感し合える相手のいる幸福を俺は未だ知らない……。 「須崎の小説も沢山、読んできたんだろ?教師になるような頭と比較されたら凹むから、それはやめてよね」 冗談めかして早口に言うと、颯介の表情が微かに翳って気になった。 「どうかした?」 「いや……、あの『朝開暮落』は、どういうつもりで仕掛けたんだ?見つけた時はクロスワードでも解いた気分だったが、その意味を調べてズシッときた」 高1で書いた4作品の主人公の名前を並べて頭の字を順番に読むと『朝開暮落』という四字熟語になる。朝に開いた花が夕方には散る意味から、人の一生は儚いという事の例えだ。まんま、そのままの感傷で、いつまで執筆していられるだろうと続けていたら、大きな発作もなく、無事に一年間をクリアして進級することが出来た。今年も同じような自己満足を今度は前向きに願掛けのつもりでしている。 「海晴はペシミストか?」 「オプチミストだよ。そんな深刻な話じゃない。ちょっとした言葉遊びだ」 「これ見破ったヤツ、ゾっとしねぇぞ。人生長ぇんだ。もっと明るい言葉があるだろうが。根暗か、お前」 「あはははは、」 笑い飛ばせて良かった。入学当時の俺は体調も優れなくて、マイナス思考だったのは確かだ。まるで、残された命の時計みたいなつもりで、一作ごとに『朝・開・暮・落』の文字を当て嵌めていたのだから、颯介が悲観論者と感じても無理はなかった。 「少し真面目な話をしていい?」 「ぁあ?おう……」 颯介は居住まいを正してカウンターについていた肘をあげ、両膝に手を置いた。他人で大人な彼が、たぶん一回りは歳下だろう俺の話に、ちゃんと耳を傾けてくれる。僅かに身を乗り出して聞く体勢を示してくれる真摯さに、俺は鼻先がツンと熱くなるのを感じた。 「小説を書くのってさ、文字に命を吹き込む作業だと思うんだ」 颯介は身じろぎもせず、黙って穏やかに口角を引き結ぶ。 「素人でも本当に書くことが好きで一生懸命で、だけど何処か満たされねぇの。終わりとかなくて、今日書いたものが明日には駄文に思えて、何の為に誰の為に完成させようとするのか時々、自分でも判らなくなる。でも、生かしてくれる誰かを待っている気がするんだよ。自分はここにいるという信号を誰かにキャッチして欲しくて、読まれることでこの小説は生きる。俺は生きていると実感する。……ごめん、イタいヤツって思った?大袈裟だって笑うかな?」 途中から自分でも何を言っているのか、最後にはただ闇雲に「ごめん」を繰り返して笑っていた。どうして、こんな話をしているんだろう?あの四字熟語に秘めた願いが重すぎて、変に勘繰られまいと別の理由を用意しようとしてる……。 「日の目を見る小説はプロでも氷山の一角だよ?世界中のどれほどの物語が日々お蔵入りしているかを考えたら、まして部活どまりの素人作家だ。どんなに手を入れた愛着のある物語も、もしかしたら自分しか結末を知らずに誰の目にもとまらず、ずっと図書館の一角で眠らされて、そのうちダンボールに詰められて焼却炉行きとか思うじゃん。儚いだろう?その不貞腐れが俺の小説に悲哀を感じさせるだけかもしれなくて、颯介の言うようなペーソスなんて何処にもないと思うよ。だって、須崎は感じていなかっただろう?」 何かを誤魔化したい時ほど、言葉ってツルツルと出て来るもんだと、つくづく思う。 颯介は思案顔に俺を見ていたが、追求する事もなければ茶化す事もなく、黙っていた。 「何か、言えよ……、小っ恥ずかしいから……、」 「本気で惚れそうだ」 「は?」 「作家の本気を訊いたと言ったんだ」 「ぁ、あぁ……うん」 びっくりした。今、トンデモナイ発言を訊いた気がするけど、俺の聞き違いだったみたいだ。 昼間の暑さが和らいで、秋の風が渡り廊下から購買部へと吹き抜ける。 さっきまで運動部の大きな声がしていたのも静かになって、後片付けの気配が其処彼処(そこかしこ)で聞こえてきた。結構な時間を此処で過ごしていたみたいだ。帰ったところで母親は仕事で留守だから構わないけど、いつもなら、とっくに購買部も閉まっている時間だ。 「時間、いいの?」 「大人にそれ聞く?続きは明日にして、送ろうか?」 俺、車だけど、とキーを見せた颯介に俺は首を横に振った。 「もう少しだけ、一緒にいていい?」 「それ、グッとくるな」 「はぁ?そーゆーのカノジョにでも言えよ。ちげぇって、話途中になるのヤなんだよ」 明日なんて信用ならない……。訊けることは全て訊いておきたかった。 「俺の小説は『凡作』止まりなんだろ?……どこが?」 颯介は刹那、沈黙して俺を凝視(みつ)め、真顔で口を開いた。 「どの作品にも言えることだが、経験不足が背伸びをしてもリアリティーを欠くって点がな……。お前、本気の恋もSexも、もしかしたら我儘の使い処も知らないんじゃないか?洒脱でタイトな筆致や奇抜な展開は面白いのに、一部の感情に於いて行動や心理描写が幼いっつーか、浅いんだよ。未経験を想像で補おうとする白々しさ、ってのは言葉、悪いけどさ」 「致命的じゃん?」 颯介は耳が痛いことをズケズケ言う。 文芸部員同士で感想を交わし合うと、互いに書き手だからか技巧面に片寄ったり多少の遠慮があるものだけど、この男は胸がすくほど俺の弱点を指摘して、 「教えてやろうか?」 と、あっけらかんと言った。 「え?」 「経験に基かないと書けないなら、その才を伸ばすのに一役買おうかって言ってんの」 「意味わかんねぇ……」 颯介からのメモは沢山あったのに、その時、俺の脳裡に御札の如くペタッと貼られた一枚には、こう書かれていた。 『君は未だ本物の恋を知らないね?』 何だ、何だ何だこのソワソワと落ち着かない感覚は……、 「海晴、顔真っ赤だけど、何を考えた?」 ニヤリと笑った颯介が椅子から立ち上がったから俺も反射的に立ち上がって、視界をよぎった颯介の唇をロックオンした途端、おもむろに腕を掴まれた。 「眼を閉じな」 という声があんまり怖くてギュッと瞑ったら、引き寄せられた拍子に(したた)かカウンターの側面で膝を打ち、シナモンのような甘い香りにフワリと包まれる。 「逃げないのは脈アリ?」 問われた意味を考える間もなく、秒殺……。柔らかな感触が確かめるように唇を掠め、腰が引けた瞬間、髪に潜り込んだ長い指に頭の自由を奪われた。その一連の滑らかな動きは、余程の恋愛巧者に違いない。明らかにキスだと判る質量で呼吸も侭ならないキスをされて、頭の中が真っ白に弾け飛ぶ。 「……っ!ぅ、ぅんんんっ―……!」 俺の心臓は跳ね上がって、押し退けようと突っ張った手も本当に抵抗する気があるのか疑わしいほど無力だった。気持ちよすぎてヤバイ……。下肢がズクンと甘く震えた瞬間、俺は泡食って颯介の腕を払い、壁まで後退(あとずさ)っていた。 「何してくれんだ、テメェ!」 「キスされるってのは、こういうもんだ。悪くなかっただろ?」 「よ、……くなんかねーよ、バァーカ!」 心臓がドキドキする。ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ……、この人は危険すぎる。 俺は購買部を飛び出し、何処をどう走ったかも判らず正門を出たところで教室に置きっ放しの鞄を思い出した。キリキリし出した心臓を宥めようと草陰に(うずくま)る。 背中で聞いた颯介の声が耳に残っていた……。 「海晴!また、明日な」

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