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頭から離れない、離れない、離れない!
夏の暑さを残した、あの室温の高い狭い購買部で颯介の唇は汗ばむことなくサラリと潤っていた。女子か!ってくらい柔らかくて、嫌じゃなかったのが凄く嫌だ……。
「舌まで入れやがって!」
「何か言ったか?時枝。はい、起立―。前へ出て、解いてみろ」
数学の授業中だった。解けと言われても、どの問題か解らない。えっーと……と、時間稼ぎの緩慢さで席を立つと、前の席の雨宮が教科書をズラしてシャーペンで問2をトントンと叩く。流石に頭の回転が速いヤツは気が回る。
「どうした?海晴、今日は朝から上の空だね」
昼休み、カツサンドを頬張っている俺を雨宮は笑った。
「さっきはフォロー、サンキュ。ちょっと、考え事してた」
「鹿野さんに口説かれたこと?」
「ゲホッ……おまっ…、何で?」
思わず噎せて、慌てた雨宮に背中を擦られる。
「本人から聞いた。熱血マンの誘いを断るの苦戦してるのか?海晴はタッパあるからな」
「ちょっ…、何の話?」
「バレー部に勧誘されただろ?病気のこと、言わざるを得なかったとか?」
あ……、そっちか。びっくりした。
「いや、言ってない。断ったよ」
「そうか、良かった」
雨宮は身長には恵まれていないが、バレー部期待のリベロだ。俺とは同じ中学の出身で持病を知る数少ない友達でもある。去年、入学して間もない新入生の交流合宿で持ち前のコミュニケーション能力をフルに発揮し『友達100人できるかな?』を恐らく達成しただろう人気者だ。声が掛かるたび明るい茶髪がアッチへコッチへ忙しく動き回るのを唖然と見ていた俺も、気が付くとペースに呑まれて一緒に笑っていたのを思い出す。その人望を買われて、バレー部の時期部長を打診されたとも聞いている。
「鹿野さんってウチのOBで名セッターだったらしい。最近まで実業団の選手だったのは知ってる?どういう経緯で購買部の職員になったかは知らないけど、おばちゃんが帰って来るまでの代理だって言うからさ、その間、バレー部のコーチをしてくれることになったんだ」
「へぇ……。最近までって?」
「怪我だってさ。32歳だろ?年齢的にも引退を仄めかされてスパッと辞めたらしいよ」
3、……15も上のオッサンに誑かされた……、
「へ、へぇ、そうなんだ……」
「で、お前ら、何なの?」
「え?」
「海晴、鹿野さんと仲がいいよね?昨日の放課後も購買部で話し込んでいただろ?」
げ、……見られてた。
「別に。上履きの代金を払いに行っただけ」
「ふぅん?Kiss……なんてしてないよな?」
知っているぞって顔で口許に笑みを浮かべ、雨宮は子供がオモチャを手にする無邪気さで俺の肩に手を掛けた。同情だか不要のエールだか、揶揄 いとしか思えない肩叩きに反論する気力も失せる。
「イケメンはオッサンも釣るってか?」
「そーゆー言い方!そんなんじゃねーって」
「……知ってる。釣り糸垂れるのも待てなくて、水網で掬 われたのは海晴の方だ。だって、あの人、ゲイだろ?」
あんまり現実離れした言葉にビックリして、思わず指に力が入ってしまった。牛乳パックからビュッと噴き出した白い液体が机を汚して、
「次はSex迫られたりしてなー」
なんて雨宮が下品に笑うから、俺のバカな頭が、おぞましい想像をして落ち着かなくなった。
「何、赤くなってんの。海晴、そっちのケ、あったっけ?」
「あるわけねぇだろーが!」
「きゃはははははっ……」
机を拭く雑巾を直ぐに取ってくれるほどには気が利いて親切だし、人脈豊富で事情通なところは感心もするが、この情報は要らなかった。どうすればいい……購買部に行かなければいい。そうだ、顔を合わせなければいいんだ。
けれど、そう思うほどに、昨日のキスの感触が甦ってきてヤバイ……、したい……。
「……ぇ?」
「ぁ?海晴、かーいせい、ぼんやりしてどした?」
頭をポンと叩かれて我に返っても、唇がムズ痒くて舐めたくなって、やっぱり落ち着かなかった。颯介は代理期間が終わったらいなくなる……、
会わずにいればいいと思った尻から、もっと話してみたい思いが込み上げて、俺は何を残念に思うのか、自分で自分の気持ちが解らずにいた。
「聞いたよ。青いインクの主、鹿野さんだったんだって?」
「耳が早いな。人騒がせだろう?回りくどいことしてさ」
「そう言ってやるなよ。感想って衝動的なものだろ?まして、文字にするとなったら、それはもう、伝えたい一心だよ」
「読んで全く何も思わないとしたら、それは駄文だ……」
「そういう言い方すんな」
ペシッと頭上にチョップを食らって顔を上げたら、雨宮の真剣な眼とぶつかった。
「鹿野さん、マジかもしんねーぞ」
「そんなこと言われてもなぁ……、ゲイってホント?」
「さぁ?俺も兄貴に担がれたのかも。ウチの一番上の兄貴、鹿野さんの一年後輩なんだよね。コーチになったって話をしたら、気を付けろよって笑われてさ。俺のこと可愛い顔してるからって、そんなことを言う兄貴の頭の方がおかしくね?」
「けっこー、笑えねぇ」
「だよなー」
手を打って、きゃはははーって、雨宮の奇妙な笑い声に俺はいつも引き摺られて笑ってしまう。
「次、図書室で政経だっけ?」
「うん。今日は各自でレポートの資料集めだから、自習みたいなもんだ」
「じゃ、ちょっと面白いもの、見に行こうか……」
雨宮は悪巧みでも思いついた顔つきで、教材を手に俺を促した。
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