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第5話

「遅れてごめんなさい」 「いいよ。仕事お疲れさま」  仕事柄、朝は早いが市場が閉まってしまえばあとは雑務をこなすだけ。圭人を抱いたホテルの最上階の会員制バーで西園寺は先にくつろいでいた。  付き合い始めて三か月。最初、圭人は困惑していたがベッドを共にするたびに急速に距離は縮まった。今では心底西園寺を信用しているようで、本当に危ない子だな、と苦笑する。昼の凛とした立ち振る舞い、夜に見せるうっとりとした甘い表情。そんな圭人のギャップを大いに楽しんでいた。 「明日は休みなんだろう?」 「うん。今夜も……大丈夫。泊まれるから」 「そうか」  西園寺は手元にあるグラスと同じものをバーテンダーに注文した。 「でもあまり飲むなよ。おまえはそんなに酒に強くない」 「そんなことない」 「最初に会った時も……」  そう言うと圭人は困ったように口を尖らせた。 「その話は……止めて」 「……そうか」  夜を共にした相手が自分だということを圭人に教えなかった。教えるつもりもなかった。圭人を手に入れられたのだから、それでいい。西園寺は頬杖をついて、窓の外の夜景を眺めた。 「圭人。今度、旅行にでも行かないか」 「旅行? そんなに長く休みは取れないよ」 「俺もパソコンから目を離せない時間があるからな。近場で」  グラスが圭人の目の前に置かれる。軽く礼をするとふふっと笑みが零れた。 「どうして?」 「おまえをもっと一人占めしたいし、甘やかしたいんだよ」 「嬉しいことを言ってくれるね」  カランと氷が崩れる音がした。圭人が自分を見つめているのがわかる。西園寺はカウンターの下でそっと手を伸ばして圭人の手を握る。すると思わぬ力で握り返された。 「……司は僕のもの。……もう、離さない」 「どうした? 急に」 「僕はチャンスを逃がさないものでね」 「……え?」  圭人が無邪気に笑う。どこかで聞いた台詞だ、と西園寺が振り返る。 「あの時、あなたはそう言ったっけ」 「圭人?」 「……あなたのことはずっと前から知ってた。モテる割に簡単に手を出さない。相手に求める条件が高い。どうしたらいいか考えてた。あの晩は幸運だったよ。あとは一晩限りで終わらせないようにするだけだった」  グラスを置くと圭人は視線を巡らせた。 「酔ったフリをしたのも、電話に出なかったのも、あなたにぶつかったのも、全部計算のうち」 「圭人……」  まさか。ひやりとする。圭人が計画して動いていた? 自分を手に入れるために? 「あなたはプライドが高い人だからその鼻をへし折れば必死になって相手を屈服させようとする。そうだ、なにかのインタビューで好きなタイプは奥ゆかしい人、なんて言ってたけど、それは違うな」  圭人の指に更に力がこもる。もう逃さない、とばかりに。 「あなたにはじゃじゃ馬馴らしの方が似合ってる」  面白そうに瞳の奥が躍っている。 「俺とが、初めてじゃない?」 「さぁ。どうなんだろう」 「ハメたつもりが……ハメられたってこと?」 「ここまで来たら黙っているのはフェアじゃないからね」  やられた。完全に手綱を握られた。こんなことは初めてだ。だが、不思議と屈辱とは思えなかった。どこか心地よく感じる自分がいる。胸が熱くざわつく。初めて会った夜よりも、なお熱く。  圭人は今まで見たことのない妖しく艶やかな表情で微笑んでみせた。 「こういう僕は嫌いですか?」  嫌いなわけがない。むしろ。西園寺はふっと息をつくと圭人の手を引き寄せて頬に唇を寄せた。 「負けたよ、圭人。俺は君に首ったけだ」  数多の宝石を散りばめたような景色が眼下に広がる。それは新たな夜の幕開けを祝福しているかのようだった。 Fin.

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