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第5話

 相馬の蕩けた瞳が姫小路を捉えて、姫小路は逸らせなかった。形の綺麗なそこを相馬の品の良い指が擦り上げている。 「っぁ……ッ」  時折身を震わせる。絆創膏を貼った指が姫小路の太く厚い手を取って口元に運ばれる。剃刀で切った時の仕返しのように相馬は姫小路の指を咥える。熱い口腔に待ち構える舌が姫小路の人差し指に絡まる。さらさらして粘つく唾液が塗り込められ、唇を濡らし、口角から溢れる。 「だ、い…ちゃッ、見て、ろよ…!」  姫小路は見てはいるが頭の中は真っ白だった。喋るたびに柔らかく歯が当たる。やっていることは自慰だが相馬がやるとひとつの映像芸術のようにも思える。 「ッぁ…っく、…っ」  濡れた指先に生温かい息がかかる。太過ぎず細過ぎず、形もよく艶やかな茎を滑る残像。悩ましげな眉の下で潤み眇めらた瞳の奥には希求を覚える。真っ直ぐ姫小路を射抜いき、内腿が震えている。  妙なことを訊くべきでなかったと姫小路は後悔していた。相馬は、気にしてしまった自分に気を遣って、またこのような奇行に走っているのだと。相馬の優しさに甘えてしまった。何より、兵藤の名は出してはいないとはいえ、あれは第三者に明かしていいことではなかったのだ。自己嫌悪に陥る。馬鹿だった。甘かった。どうしていつも軽率なのだろう。相馬には助けられているというのに。 「大っ、ちゃ…ん?」  ネガティヴを悟られ、相馬は手を止めてしまった。不安げに揺らいだ鋭い顔立ちながらも人懐こさの浮かぶ顔。 「ありがとな、ごめんな、よっぴ。オレ、バカだからそんなつもりじゃなくて…」  泣きそうになる。腋が臭く汗っかきなだけでなく、馬鹿で軽率で、良くしてくれた友に気を遣わせ辱めるようなことをさせるなど。 「大輔、オレはね、どこのどいつの前で大輔がシコったか知らねぇけど、そいつのこと大輔が悩むの、ヤダ」  相馬の腕がまた後頭部へ回り、前髪を口に入れられる。放された涎の指が畳へ力なく落ちた。 「そんななら、オレがシコる…オレがシコんの、気にしてて…ッ」  再び手が動きはじめ、息を詰める。あっあっ、と吐息混じりに高い声が上がる。姫小路はぼうっとしていた。その理論が、論理がよく分からない。姫小路の後頭部を放した手が今度は姫小路の膝をくすぐるように掻く。 「な、なぁ、大…ッちゃ…ぁっ」 「な、ななな、何」  形の良い陰茎を凝視してしまっていた。慌てて返事をすると噛んでしまう。 「膝ぁ…っい、い…?」 「え?え?う、うん?うん」  姫小路はよく分からず頷いた。相馬は行為を中断して腰を上げる。天井を向いたままのソレがひどく淫猥だった。相馬は姫小路を寝かせ、両膝を立てさせる。両膝の間に相馬の陰茎が差し込まれた。 「え、ちょ…」  ジャージの生地の間に相馬の膨れた肉茎が見える。ジャージ越しの素股だ。 「よっぴ!それはまずいって!」 「大ちゃんっ…、見え…っ、る…?」  手を取られ舐められる。相馬が肉茎を擦り付けるたびに姫小路の身体が揺れる。経験は無いが見たことがないわけではない。アダルトビデオで見た。セックスの形に近い。そして姫小路は女性側の体位だ。 「よっぴ…!」  指を舐められ、爪と肉の間に舌を割り込ませようとしている。舌を切ってしまいそうで姫小路は指を曲げて舌先から逃げる。 「大ちゃ…すげ…大ちゃんが、大ちゃんが…っ、あ…ああ…」  両膝が開かれ、姫小路の股間の上に相馬は雄幹を滑らせる。粘液がジャージの繊維に塗られ照る。股間を大まかに摩られ、姫小路はむずむずした感触から逃れたくなり腰を揺らすと、姫小路のそこが寝ている場所を狙って擦り付ける。 「だい、すけ、も…だいす、…あっああっ、あ!」  相馬の身体が崩れ、姫小路は咄嗟に抱き止める。引き締まってある程度の重量感はあるがやはり細い。女子の好きそうな甘い香りが広がり、傷んでパサついた毛先が首や胸に触れる。股間部が布越しに小さく軋む。ジャージを白濁が汚す。汚されるという感覚は姫小路には不思議となかった。脈打つ放出のたびに小さく跳ねる身体を支える。何してるんだろうと思いながら。 「大ちゃん…」 「よ、よよよ、よっぴ…」  相馬が自力で身を起こす。姫小路は表情を固くしたが、相馬はまだ姫小路の指を吸ったまま、甘えきった顔をしていた。 「これじゃ、1人でシコったことになんねぇな」  相馬の下半身が体重を預けてくる。2人の間で相馬の精液が生々しく潰れる。 「じゅ、十分で、しゅ…」  噛む。相馬が、へへっと笑った。 「ごめんな、汚しちまった」  起き上がって姫小路の下半身の白濁と、自身の腹部についた精液をティッシュで拭いながら相馬は謝る。許されることが分かっているくせ、しおらしく見せるやんちゃな子犬に似ている。テレビのペット特集で見た。 「どうだった?どうだった?なぁ」  姫小路はジャージを脱いだ。相馬はきゃらきゃら笑って畳の上に寝転がり、ボクサーパン一丁の姫小路の脹脛をペチペチ叩く。なんだかペットを飼っている気分になった。 「どうだった…って、何が…」 「人前でかましちまったの、忘れられそ?」 「ごめんなよっぴ…オレが変なこと気にしたばっかりに、まさか…よっぴが目の前でその、その、オ、オ、オナニーしてくれるとは思わなくて…」  新しくジャージを履き直す。あまりジーンズは履かなかった。運動用のレギンスなどなら履いたが、腿がパツパツになってしまう。脱いだジャージを片付けようとして、脱いだところにない。 「ご、ごめん!」  相馬の顔の上に乗っている。相馬の顔の上にジャージを脱ぎ落としたらしかった。抗議くらいしてくれてもいいし、その顔から除けるくらいしてもいい。相馬はすんすんとジャージを嗅ぎながら、「いや?」と意味ありげに笑った。 「よっぴ…オレ、本当に自分が情けないよ…」  相馬の顔から回収したジャージを抱き、畳にへたり込む。相馬が跳び起き、姫小路の肩を抱く。先ほどとは違う香りがした。やはり洒落ている。 「あんま気にすんなよ。大ちゃんのこと情けないなんてオレ、思ったことないし」 「でもよ…」 「なぁに、大輔の元気な姿が何よりの見返りよな」  相馬は肩を叩く。 「う、うん。やっぱよっぴはカッコいいな。昔からのオレの憧れだ」  相馬の顔が固まって、それから何言ってんだよ!と大きく叩かれた。  相馬は冷蔵庫を確認し、炒飯を作り始める。中学時代とやはり違う。女子だけでなく男子にも好かれている。1人別行動を取る中学時代の冷たく怖い姿はやはりなくなっている。10年20年経ったわけではないのに、面影だけ残し随分丸くなっていた。 「ちゃんと飯食ってる?調理してる形跡ねぇんだけど」 「米は炊いてる。あとは惣菜」  マジかよと大袈裟な表情を見せて何の苦労も見せず片手で、姫小路が卵かけご飯用に買った生卵を割る。具は適当に買い込んで放置していたものだ。ハムとやらカニカマやらが入っていてどれも賞味期限が近かった。相馬が来てくれてよかったと思う。 「作りに来てやろうか」 「えっ!いいよ、そんな。悪いし」 「へへ、そうか」  相馬を眺めながら姫小路は少し寂しい気がしていた。中学時代の友人たちは今どうしているだろう。早ければすでに社会人で、結婚していたり子供がいたりもするだろう。 「あ、のさ、あの、兵藤クンとかいう子とは長いの」  軽やかな手付きでフライパンの上の米を混ぜる。 「大学の入学式から」 「ふぅん、そっか」 「なんで?」 「特に意味はねぇけど。随分と派手な子だったから、なんとなく」  相馬には派手に映ったらしい。美しいため目を惹くことはあるが、姫小路は派手だとは思わなかった。 「どっちかっていうと、よっぴの周りの人達のほうがハデじゃん…」  派手を通り越してド派手な傾向にあるとさえ思う。相馬は、けたけた笑って、確かに、と内輪であるくせ他人事だった。相馬は火を止め、椀に盛ってから皿にひっくり返す。スプーンをつけ、姫小路に出した。 「よっぴは?」 「へへ、オレはこれから料理教室でっす。飯食うと感覚鈍るから」 「喫茶店やりたいんだっけ?」 「そうです。ふふん、お客様第一号は大ちゃんな」  姫小路は何も返せなかった。きっとみんなに言っている。モテる男は違う。相馬は残りをタッパーに入れ、冷蔵庫に入れた。すぐにシンクで食器を洗い始める。 「いただきます」  油に照る米粒。点々とした胡椒と、鮮やかな黄身とカニカマ。相馬は洗いながら姫小路の様子を見ていたが感想を聞くことはなかった。 「めちゃめちゃ美味しい」 「マズイって言ったら毎日ここ来て練習するつもりだったんだけどな?」  相馬はにししと笑ってフライパンを洗う。 「カノジョにも作ってんの?作ってもらってる?」  姫小路は問う。相馬はとにかくモテる、と思う。周りにいつも女子がいる。この前も、相馬を遠巻きに見ていた女子が噂していた。カノジョはいるのだろうか。いるだろう。あの連れの1人か。相馬は黙った。一度上を向いて、また俯く。 「オレ、カノジョいるって言ってた?」  相馬の口角が固く吊り上がる。姫小路は炒飯を口に運びながら首を小さく傾げる。 「いないの?」 「オレはプレイボーイだから、この人1人って決めないんだよ」  相馬らしいと思った。中学時代の相馬らしいと。そこは性分なのか変わらないのかも知れない。 「そうなんだ」  蛇口を捻る音がした。 「大輔は」 「オレぇ?こんな汗臭い男、好きな人いると思う?」 「いるんじゃねぇの」 「いないよ」 「いたら?」 「付き合うしかないじゃん」 「タイプじゃなくても?」  姫小路は黙った。腋臭に寛容で汗臭さも好きだと言ってくれるような女の子を、果たして自分は好けるのか。この身を好きという女の子はきっと変わり者だ。 「あ~あ、かわいそ。タイプじゃなくても付き合うって言ってやれよ」 「ご、ごめん。ちょっと考えた」  蛇口がまた捻られ、水の流れる音がする。 「やっぱ腋毛剃んないほうがよかったわ」 「ええっ、よっぴがそれ言う!?」 「はは、なんてな。いいんじゃね。伸びたらまた呼べよ、オレが剃ってやる…オレが剃るからな。他の人に頼むなよ」  洗い物を終えて、ぴっぴっと水を払う。ちょうどのところで姫小路も食べ終わってしまい、相馬はまた洗おうとする。 「いいって!これから料理教室なんだろ?」  相馬の両肩を後ろから揉んだ。相馬はすぐ洗うんだろうな?と疑わしげに見て畳に置いていた荷物を纏める。 「ほんと、助かった…ありがと、よっぴ」  これから料理教室だと知っていたら。大変だろう。相馬はいいのいいのと歯を見せた。夢に向かって努力している相馬が眩しい。傍にいると、影が色濃く落ちる。 「いいってマジで。ほら、顔上げろ」 「うん。また明日…」 「じゃあな!」  相馬は輝いている。感謝と嬉しさの半分、わずかばかりの寂しさが残った。 「なるほど、友達が眩しいんだね」  花が舞う。兵藤はゼリー飲料をずずっと吸った。昨日の土壇場キャンセルを気にする様子もなく、周りに過ぎた春を運びながら姫小路の前にやってくる。ゼミが長引いたからあれはあれで良かったのだとほぼ徹夜を思わせない美貌で兵藤は言う。だが少し隈が浮かんでいる。色が白いため目立った。そのため普段の可憐で健やかな端麗さとは異なった、ある種病的な綺麗さを醸し出している。 「眩しいっていうか、オレこのままでいいのかな…って」 「このままって?そのお友達はそのお友達でしょ?目指すものが違うんだから、気にすることないよ」  ゼリー飲料を啜る姿はシマリスのようだった。 「そう、だよな…」  どんな安い蛍光灯も兵藤の前では天使の輪としてさらさらの髪に馴染む。よくある携帯化学食品のアルミパウチも兵藤が白く小さな手で持つと宗教画に描かれた天使のラッパに見える。 「だいちゃんはだいちゃんのペースで進めばいいんだよ。歩幅も速度も目的地も違うんだから。それとも…一緒に歩いていきたい的な?」  兵藤は上目遣いで訊ねる。あまりのかわいらしさに心臓を鷲掴みにされる。 「ち、違う」 「悪影響だよ。眩しすぎる太陽も結構だけど、太陽は毎年何人何百人と照り殺してるんだから。距離置いたら?」 「でもよっぴは何も悪いことしてないんだよな…」  兵藤は片眉を上げる。その仕草が婉美(えんび)な少女を彷彿させる顔立ちの中に成熟した男を感じさせ、倒錯的な魅力があった。 「関係無いよ。眩し過ぎるものずっと見てると目、悪くしちゃうんだから。そしたらだいちゃんはだいちゃんのいいとこ、ずっと気付かないままだよ、悪影響だ」  兵藤の滑らかな手がゼリー飲料の容器を潰す。 「ともちゃん…」 「いくら悪意がないからって、眩しさを振り撒き過ぎるのはね、一部の人には毒だよ。毒だ。近寄ったらいけないよ。触れたら火傷しちゃうよ」  兵藤が掌を出す。上目遣いで見られ、何となく手を乗せろという意味だと思った。厚い掌を乗せる。 「でもよっぴはオレのこと、ちゃんと考えて…、くれてて…」 「善意は怖いよ。毒だ。悪影響だよ。段々と彼の善意が、眩しさが、人柄が、だいちゃんを蝕んでいくんだ?」  兵藤の纏う雰囲気が、妖しくなる。求められる時に似ている。だが今日は。暫くは。 「人間には合う合わないがあるよ。もしだいちゃんが彼と関わって、自分のこと嫌になるなら、もともと性分がそうじゃなかった。そこにだいちゃんの意思とか善意悪意なんて関係ない」  兵藤の唇が弧を描く。三日月を脳裏に描かせる。 「距離を置くしかないんだよ、無視しろって言ってるんじゃない。攻撃しろって言ってるんじゃない。太陽と地球はとても離れてるのに、それでも太陽は今までに何人何千人と焼き殺してるんだから」  相馬の姿はいつでも眩しい。置いて行かれていると思う。中学時代を知っているから尚更。 「彼も太陽に似てるよ。そのつもりがなくても、だいちゃんのいいところを潰す。悪影響だよ。追おうとしちゃダメだ」 「う、ん。ともちゃん。オレは…オレだもんね」  兵藤はその麗しい顔に玲瓏な微笑を浮かべた。

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