6 / 8
第6話
なんでこんなことになってるんだっけ。姫小路は毛を失った腋をぎらぎらした眼差しで射抜く兵藤を見ながら思った。個室トイレに連れ込まれ、いつものように迫られる。
「なんで…」
細い指が痣を作りたがっているほど姫小路の腕を力強く掴んだ。憤怒、落胆、悲嘆、驚愕。どれでもあり、どれでもなさそうだった。
「腋臭ひどいから…」
「ひどくない!ボクは好きだったのに…許せない」
兵藤は腋に顔を埋める。薄い胸が膨らみ、それから萎んでいく。一晩で毛穴から黒々と毛が芽吹いているそこをざらざらと音をさせながら兵藤は舐め上げた。桜の花弁に似た舌が擦り切れてしまわないか。っぱ、っぱ、ちゅぱっと間抜けな音を出して皮膚が吸われ、弾ける。少し痛みがある。相馬は痣になっているといった。だが鈍く痺れりような痛みの他に、腰へ伝わるくすぐったさに似た心地良さを感じる。まずいと思いながらも、それを待ち望んでしまう。
「許せないよ、だいちゃん。どうして。どうして剃っちゃったの。ボクのお花畑がない、ボクの…ボクの…」
兵藤は姫小路のズボンに手を掛けた。
「と、もちゃ…ごめっ…」
「絶対許さない、絶対、絶対絶対許さない!」
細く白い手が姫小路の慄き縮こまる雄を掴む。兵藤のガラス細工と見紛う手首を押さえる。だがその手が小刻みに震える。
「ごめん、ともちゃん、でも腋、臭っ…」
「黙って!」
便座に座らせられ、兵藤は姫小路の腋に吸い付く。いつものように舌で舐め回されながら股間を弄ばれる。意地悪く根元に近付くと毛を摘まれたまま上へと滑っていく。ちくり、ちくり、毛が皮膚を引っ張る。
「ァ、んあ、いたっ…ぁひっ、ンんッあ、」
「痛い?ねぇ、痛い?」
姫小路は頷く。弱味を擦られる快感と毛を引っ張られる痛み、腋を舐められるむず痒さで頭がおかしくなりそうだった。
「ボクの痛みはこんなもんじゃないんだから!」
「あっ…あっ…ともちゃ…ッあ、」
先端部を指の輪でキツく揉みしだかれる。痛みと快感。小さいながらも鋭い痛みがその周りを点々と襲う。唾液で濡れ、舌が躍る腋は、卑猥な音を立てた。
「腋でイったらいいよ、そしたらもう剃るなんてマネしないよね?」
肉の棒を、丸みを帯びた手が上下する。太くなり大きくなる。姫小路はここがトイレということも忘れた。他人から与えられる快感に身体が耐えられない。
「だめ、だめ、ともちゃ、出、出るっ…」
「だぁめ」
手が屹立を離れる。腰が虚しく宙を突き上げる。姫小路の手が自ら扱こうとする。だが掴まれた。
「腋でイけ」
腕を再び上げさせられ、下腹部では熱が放出を待ちながら駆け巡る。姫小路は首を振った。
「じゃあ右乳首サービスしてあげるね」
ぎらぎらした瞳を、天使の羽が舞い散りそうな笑みで隠す。兵藤の指が姫小路の胸の突起を押す。ころころと磨り潰し、兵藤は腋へと集中した。
「ち、くび、ちくび…っあ、んんッ…あ、はァ、っん」
くすぐったかった。腋とは違う、 さらにじわじわしたくすぐったさ。兵藤は指の腹で捏ね繰り回す。だが吸うのは決まって腋だった。剃られた部分をつんつんと舌で押す。大きく口を開いて、ずぼぼっと音を立てる。アダルトビデオで聞いたことのある卑猥な音だった。
「も…おねが…ぃ、イき…ッイかせっ…」
兵藤は胸の粒を抓る。熱を持ってしまい、そこから広がっていくじわじわとした不思議な感覚。腋を歯を覆った唇で吸っては甘く噛まれる。
「も、剃らな…っ、ンもぉ、っ、剃り…、ませっあっぁあん」
芯を持った胸の実を小さく扱かれ、押し込むように回される。腰が何もない空間を突いてくねった。腋を舐め上げられる。
「何言ってるの?イっていいんだよ?」
腋から口を離し、兵藤は言った。兵藤から、兵藤自身の甘く優しい香りに混じり、ツンと嗅ぎ慣れたあの刺激臭がした。兵藤の匂いを移してしまった。劣情を催している姫小路にはそれがひどく背徳的に感じられた。まるで兵藤によく似た美少女を犯しているような、汚してしまったような。
「っああッ…あ、」
放置されていたため勢いを少しばかり失った陰茎がまた起き上がる。腋を舐め回され、咥えられ、舌先で毛穴をいじめられる。胸の塊を指先で捏ねられ、その周りをくるくると膜に沿って指でたどられ、立ち上がったそこを指で柔らかく押し込まれては螺旋を描かれる。頭がおかしくなると本当に思った。涎が溢れて飲んでも飲んでも止まらない。兵藤の匂いに混じった腋臭が兵藤と腋の間から漏れ、臭う。美しい兵藤が汚く臭いところを舐めている。
「あっ…っと、も、…ぁやァ、あッ、ァ、ぁあ、ぁぐっ」
びゅち、っと小さな音がした。先端部の小さな穴から白濁が吹き出る。そしてまた、びゅるると白く濁った粘液が飛ぶ。肉茎の中を迸る。どくどく脈を打ち、個室トイレを汚す。兵藤は姫小路の絶頂に興味を示さなかった。じゃあ反対、と片側の腋へ移る。胸をいじるのもやめていた。
「ぁひ、は、ひ、っあッ…ぁふ、…ともちゃ…」
「腋でイってほしかったな」
兵藤はそう言って、前よりも弱くなった腋の臭いを愉しみながら自身を擦り上げる。個室トイレはもともとのトイレの匂い、姫小路の腋と精液の臭い、兵藤の柔らかな甘い匂いで包まれる。鼻は慣れていたが、熱気もあり、初めて嗅いだ人ならば噎せかえりそうだった。
「罰とし…、てっ…腋に、出ッすか…ら」
快感に染まって兵藤は見慣れない。上擦った声に怖くなる。幼気な美しい女のような容貌で猛々しい性を漂わせた男のような態度に平伏してしまう。
「だいちゃんの腋、こんなすご…い…」
腋で出産し、腋で授乳しているのかと錯覚するほどに兵藤は姫小路の腋に鼻を突っ込んでもいく。びくびくと腕が震える。本当に腋の下だけで絶頂してしまう日が来るような気がして。
「…ッん!」
ぶちぶち…っ。腋にかかる生温い液体に背筋がぞわりとして小さく波打った。
「すご…っえっち…」
じょりじょりしているにもかかわらず、姫小路を掴んで傾かせ、腋の下に敏感になっている先端を撫で付けている。
「ともちゃん…もう、」
「ボクの精液、つけたままにして」
「え?」
兵藤は腋を閉じさせる。ねちゃり。刈り取られた毛と皮膚の間で兵藤の体液が挟まれる。生温さが体温と異質だ。
「嘘…」
「出来るよね?」
自涜の後とは思えない爽やかさで兵藤はこてんと首を倒す。選択肢などないのだ。全てが「YES」なのだから。
「ボクとの子供が産まれそ。腋から産まれる子だから、名前は…」
狂気的なことを言われても、頭から通り過ぎた。兵藤にがっちりとまだ腋を閉じさせられている。少しずつ垂れているような気がしてならない。そのうち肘から垂れてきそうだ。
「じゃあね」
兵藤が去っていく。姫小路は下半身を丸出しにし、シャツも胸までたくし上げられ、袖も捲られたまま個室トイレに放置された。
大ちゃん!相馬が能天気にやって来る。姫小路は相馬のいる方から身体を逸らした。
「どうしたんだよ~、機嫌悪いのか?」
眩しい。姫小路は固く腋を閉じた。すでに乾いているが、おそらくぱりばりとした感触を味わうのが怖かった。そんなことをしている自分と相馬の圧倒的な差。
「別に」
相馬は馴れ馴れしくその肩に触れる。馴れ馴れしくはない。それだけの仲ではあった。
「またなんか悩んでんの?」
「悩んでないって、うるさいな」
相馬の表情が固まって、それからけらけらした笑いは薄らいでいく。
「…いつでも元気!ってわけには、いかないよな。ごめんな」
肩を叩かれ直され、姫小路はそれを振り払う。落ち込んだ様子で相馬は去っていく。背を向けたままだったが何となく姫小路にもそれが分かって、罪悪感に胸が痛む。とはいえ、距離を置くと決めたのだ。やはり相馬は眩しいから。触れたら火傷する。爛れてしまう。あの真っ直ぐさに。
講義の合間にまた相馬はやって来た。
「だいす、」
「ごめん、ちょっと忙しいから」
相馬は背を向ける姫小路の手を取る。爛れる。水膨れる。
「大ちゃ…」
「じゃあな、この前は、さんきゅな」
眩しい。網膜が焼かれそうだ。離されない腕が開かれ、腋に残ったカサついた感触を呼び起こされる。
「…うん、また行くから」
相馬は両手で姫小路の片手を掴む。派手な連れの迎えが来て、相馬は去っていく。暫くは相馬が気を遣うものだと勝手に思っていた。大学の最後の講義が終わり、帰るところでまた相馬は呼び止める。よくあの賑やかな連れから抜けてこられると思う。
「大ちゃん、オレなんか、したかな」
「してないよ、何も。いや、ご飯作ってくれたな、それから…」
「そうじゃなくて…、怒ってるよね?」
怒ってはいない。相馬は何もネガティブなことは姫小路にしていなかった。
「怒ってないよ。ほんと、ありがとな」
ただ眩しい。それだけだった。傍にいると自分を嫌いになってしまう。それだけ。話を終わらせようとする。だが相馬が追おうとして。
「だいちゃん?」
姫小路は腋の様子を見に来た兵藤に挟まれる。兵藤は相馬を一瞥してから姫小路の腕にしなだれかかった。
「だいすけ、」
「じゃ、また明日」
兵藤に引っ張られる。相馬を残して、外トイレに連れ込まれた。兵藤は冷めた表情で口の端を吊り上げた。これまで連れ込まれたトイレはそれなりに綺麗だったが外トイレは薄汚れている。蜘蛛の巣が端々に張られている。
「頑張るね」
兵藤に促されるまま壁に背を打ち付ける。ぽろぽろと涙が溢れて、背伸びする兵藤がそれをひとつずつ指で掬う。
「近付いても光、避けても光…ああ、素晴らしいよ、彼は」
呆れても、姫小路がぽろぽろ溢す涙を拭っていく。
「オレも頑張る」
兵藤は下唇を尖らせる。拗ねるような、怒っているような空気を漂わせている。
「長い友達なんでしょ」
姫小路は頷いた。兵藤の白い指が忙しなく頬を掠める。
「昔はもっと、ヤンチャしてた…」
「へぇ、意外」
目元を大雑把に拭こうとする姫小路の屈強な腕を兵藤は掴み、またひとつひとつ涙を拭っていく。その間に交わされる会話。兵藤は機嫌が悪そうだった。
「ああいうタイプの人間はその足元で陰るやつの気持ちなんて分からないよ。現に性懲りもなく話しかけてくる。さっきもでしょ」
兵藤は見ていたらしかった。取っている講義は大体被っている。相馬は目立つから目で追うのも無理はない。姫小路は頷いた。
「酷い人だ。悪意なく人を追い込む天才だよ」
涙を拭う手を止める。
「でも、よっぴは…」
「何も悪くないんでしょ。それは何度も聞いたよ。何が悪い、誰が悪いなんて関係ないの。合う合わないで、合わなかった、それだけ」
姫小路の涙で光る自身の指を試しに舐めて、それからしょっぱい、と呟いてやめた。
「ともちゃんは、強いな…」
「別に強くはないよ。割り切ってるだけ。人間関係とかくだらないし」
氷柱に似ている。兵藤は鼻で笑った。
「ともちゃん?」
「だいちゃんにはくだらなくないんでしょ、あのお友達が。だいちゃんも眩しいもの。ただあのお友達に掻き消えただけ。少なくともボクにとってだいちゃんは眩しいよ」
さてと、と兵藤は姫小路の腋を上げさせる。白く、まるで粉を吹いているように腋に残っている。ツンとした刺激臭。出来損ないの果物のかおりをイメージした化学製品のような匂い。体液でありながら生臭さよりも香辛料的な香草の成分に近い匂い。だがそれも強くはない。兵藤は顔を近付けていたが、姫小路が鼻を啜ると、興味が失せたらしい。
「まだ泣いてるの」
「泣いて、ない」
「…理屈じゃどうにもならないもんね。じゃあはっきり言ってあげたら。イイ人過ぎて逆にウザいんだって。自分の嫌なところに気付きまくるんだって。優越感さえ感じてないよ、あの手のタイプは。ただただ善意、善意、善意。だから厄介なんだよ、その善意が誰かの首を悪意で締め上げさせてることに気付かない」
兵藤は淡々としていた。天使の羽毛が散る柔和な表情はない。いつもより低い声で刺々しいことを言う。その姿もまた美くしかった。
「善意の悪人だね」
相馬には似合わない言葉だった。兵藤は冷たい態度のまま姫小路を見上げる。
「謗ることは何もない。詰ることも。そんな相手に出来るのは逃げることだけじゃない?逃げちゃダメなんてアニメとか歌とかで諭される時代は終わりだよ」
ぺちりと兵藤は姫小路の胸元をハイタッチするように叩いて、出て行こうとする。
「今日は、…その、シ、ないの…?」
「嫌がられるのは好みだけど、泣かれてたんじゃさすがに萎えるよ」
姫小路を振り向くことなく兵藤は出て行ってしまった。相馬が姫小路に怒っているのかと思ったように、兵藤も何か怒っているのか。兵藤は人目を惹くが、それでも姫小路を眩しいと言った。1人残されて姫小路は暫く放心していた。腋だけでなく目元もぱりぱりとした感覚がした。
「どう」
兵藤は不愛想に目の前に座ってゼリー飲料を吸っている。またゼミが長引き、ほぼ徹夜モードだったらしい。午前の講義に姿を現さず、昼休みになって姫小路の前に来た。
「今日は会ってないよ」
「そ。まぁ、だいちゃんの問題だからね、興味はあるけど」
アルミパウチが萎んでいく。よくそれだけで持つな、と思う。
「興味、あるんだ…」
「無かったらあれこれ講釈垂れてないんじゃない?」
「…オレの腋にしか興味ないと思ったから…」
ペコッバコッペコッバコッ。アルミパウチがうるさく響く。膨らませ、萎ませ、膨らませ、萎ませる。兵藤の謎の行動。滑稽さに近くを通りかかった者が笑った。
「好みの腋の持ち主がとんでもない人格破綻者だったらボクも考えものだ」
ゼリー飲料の容器を投げ捨てる。綺麗に弧を描きゴミ箱に入った。
「ともちゃん、なんかつらいことあったの?」
「なんでそう思うの」
「なんか言うことが冷めてるからさ…」
姫小路は少しちくちくし始めている腋を幾度かさりげなく動かしながら問う。
誘っているように映るとは微塵も考えず。
「大したことじゃない。つらいことなんていっぱいあるでしょ。ゼミが時間過ぎても終わらない、買ったばっかのアイス溢した、目の前で終電逃す、他にも他にも」
「そうじゃなくて!なんであんなこと言えるんだろうって、思って」
「ああ、それ?買ったばっかのアイス溢したことよりつらくはないよ。中学時代に友達が、ボクに憧れて、ボクになれなくて、ボクに敵わなくて、発狂した。それだけ」
ともだちにシェアしよう!