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ふざけんな

井上先輩が僕を見つめて近づいてくる。僕は先輩の手にあるナイフから目が離せない。 「……なんでなんだよ……なんで橘は君に執着するんだよ。橘には俺が必要なんだ……」 井上先輩が近づいてきてやっと言っていることが聞こえてきた。でも言っている意味が僕には理解できない。 「君が現れてから橘は変わってしまった。橘の隣に相応しいのは俺だ!……君じゃない!」 井上先輩の形相が恐ろしくて、逃げたくても体が震えて動かない。 「……それなのに、それなのに、君はこんな絵まで描きやがって!」 僕を見つめる井上先輩の目が、僕の背後にある絵に動く。瞬間、井上先輩の瞳から一筋の涙が零れナイフを持つ手が高く上がった。 「あっ……」 一瞬にして僕の体は横に突き飛ばされていた。何がおきたのかわからない。ただ心臓が喉にあるんじゃないかってくらい強烈に脈打っていて呼吸が苦しい。床に突っ伏し呼吸を整える。とりあえず僕は刺されなかったらしい…… 倒れた自分の足元を見ると、井上先輩の持っていたナイフが落ちている。僕は何が起きたのかわからず自分が立っていた場所を振り返る。そこにはしゃがみ込み泣いている井上先輩と、それを見下ろす周さんの姿があった。 僕は腰が抜けて立ち上がれない。 なんで周さんが? 一体なにが…… 「周さ……… 」 顔面蒼白な周さんの手元を見ると、真っ赤な血が滴り落ちている。よく見ると僕の足元に落ちているナイフも真っ赤な血で染まっていた。 混乱していた僕の頭の中が嘘みたいに一気に覚醒する。状況を一瞬にして理解した。 「周さん!!!!」 夢中で僕は立ち上がり、周さんの手をハンカチで押さえた。僕を庇って周さんが怪我をしてしまった。しかも大切な手を…… 井上先輩は泣きじゃくっている。 「橘が悪いんだ!……俺がいるのに!俺が……愛し合ってるのに………うぇっ、ぇっ……」 は? この人は何を言っているんだ? 僕は怒りしか湧いてこない。 「何言ってんの? なんで周さんが悪いんだよ! なあ? 何やってんだよ? ねえ先輩!なんてことしてんだよ!」 僕は井上先輩の胸ぐらを掴み、立ち上がらせ怒鳴っていた。僕には理解できない!腹がたつ!怒りで吐きそう! 「なぁ井上……俺、意味がわからないんだけど。俺が愛してるのは竜太だけだ。お前はただのクラスメートじゃないのか? 愛し合ってるって、なんでそんな事言うんだ?」 周さんは静かに先輩にそう聞いた。井上先輩は顔をぐしゃぐしゃにしながら首をぶんぶん振って喚き散らす。 「いつも見てたじゃん! 俺は橘のために色々してたじゃん! いつも喜んでくれたじゃん! お前も俺が好きだったろ? ……それなのにこいつがこんな絵まで描いて橘のことを誘惑して…… 」 喚いている先輩を周さんは悲しい顔をして見ている。もうこの人はさっきから何を言ってるんだ? 周さんだって困ってるじゃん! 僕は怒りが頂点に達して気がついたら思いっきり井上先輩の頬を叩いていた。 「ふざけんなよ! だからって自分の大事な人、傷つけていいのかよ! バカじゃないの? 周さんが大怪我……」 怒鳴ってからハッと我に返る。 「周さん? 怪我! 」 弱々しく笑って周さんが呟いた。 「とりあえず高坂んとこ行こっか……」

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