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第5話
紘二の笑みに吸い込まれていくようだった。
売り上げの入ったクリアケースがカシャンと音を立てて床に落ちた。
暫く時間が止まったように動く事も出来なかった。
ハッとして、クリアケースを拾おうとしたが、なぜか足元には無かった。
後ろの厨房に目をやると、落とした筈のクリアケースを手にした小林君がにっこりと笑って、口元が "ごゆっくり" と静かに動くと、奥へと消えていった。
1ヶ月…とても長かった。
誰も居ない部屋に帰るのが淋しくて仕方がなかった。
4ヶ月前、俺と紘二の再会を見届けて安心したかのように、愛猫のチョコちゃんが紘二に抱かれながら静かに旅立った。
とても良く晴れた日の事だった。
8年間、紘二を待ち続けていた俺を励まし続けてくれたのがチョコちゃんだった。
紘二もチョコちゃんも居ない…それが俺の淋しさを一層深めていた。
「馬鹿…」
「もう、第一声がそれなの?稑くん。」
1ヶ月という長い時間で芽生えた淋しさと、今の安堵感をどう伝えたらいいか分からない。
"おかえりなさい" と言いたいのに、出てきたのはどうしようもない言葉…
紘二と別れた8年間で、俺は昔に比べたらだいぶ素直になったと思う。
少しずつだけど素直になる事で、日々の息苦しさからも解放されて生きやすくなった。
でも、まだ難しい事の方が多い。
歯痒さにギュッとコックコートを握って、スーっと鼻から息を吸い込んだ。
「…おかえり、紘二。」
吸い込んだ空気と一緒に出た言葉…
一気に心が楽になった気がした。
1ヶ月もの間抱え続けた淋しさが、その言葉と共に消えていった。
紘二がトランクの取っ手から手を離して、静かな店内にカツカツと革靴の音を響かせながら近寄ってきた。
「ただいま、稑くん。」
ようやく紘二が帰ってきた。
同じ言葉を二回言われた事で実感が増した。
鼻の奥がツンとして、気を緩めたら泣いてしまいそうだ。
俺は今、困り果てた顔をしてるんだと思う。
「…」
「稑くん…なんだか、泣きそうだね。」
「泣くわけないだろ…」
「淋しかったの?」
「……かった…」
「うん?」
「……淋しかった…」
「そっか。じゃぁ、僕と同じだね。」
そう言って笑った紘二の顔は眩しくて、ギュッと胸が苦しくなるのを感じて、また泣きそうになった。
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