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番外編1:お薬なんて使っちゃダメ!
『今年も雪が多いため、車の運転には気をつけて……』
俺はカーステレオから流れる英語のニュースを何となく聞き流しながら、ロンドンの郊外を車で走っていた。
初めてシンと出会って5年が経った。
俺、山岡真尋は大学卒業後、翻訳家を目指すため、イギリスに住んでいた。
翻訳家なんてすぐにはなれなくて、卒業後は日本で翻訳を学ぶための学科で二年勉強し、翻訳専門職資格というものを取得した。
何ヶ月かは日本で働いていたが、思ったような仕事を貰えず、思い切って渡英した。
イギリスでも、初めはなかなか仕事が見つからなかったが、自分を売り込んで売り込んで、何とか映画DVDの制作会社に就職出来た。
会社の駐車場に車を停め、会社に入ると、同僚のアレックスが声をかけてくれた。
『マヒロ、おはよう。あ、この間の日本の映画の翻訳、良かったって部長が言ってたぞ』
『本当に?……嬉しいな』
『今度は別の映画も任せるってさ。良かったじゃん』
イギリスに来て、やっと最近認められ始めた。
正直、かなり嬉しい。
まいた種が花咲いたような感覚。
『なぁ、マヒロ。明日から冬休みだろ?今日飲みに行こうぜ』
『ごめん、アレックス。今夜はちょっと……』
今夜は、先約があるのだ。
『あー、もしかして例の恋人?いいよなぁ、相手がいる奴は。俺なんて、今年は1人だぜ?』
『アレックスなら、すぐにまた恋人ができるよ』
アレックスは、俺がゲイだということを知っている。
社内でも何人か知っていて、大々的にカミングアウトはしてないけど、聞かれたら話すくらいの感じだ。
新しくもらった仕事は結構かかった。
あっという間に定時はすぎて7時になってしまった。
約束は7時なのに……。
慌てて、メールをしようと携帯を取り出すと、シンから『席は取ってあるから、ゆっくり来て』とメールが来ていた。
すぐに車に乗って、予約していたフランス料理のレストランに向かった。
最近できたレストランらしく、フランス料理だけどカジュアルな感じのレストランなので、服装も気にせず入れる。
約束の30分後に到着して、車を飛び出した。
店員に話をすると、すぐに案内してくれた。
『シン、遅れてごめん!』
『お疲れ様。飲み物を先に頼むといい』
メニューを見て、ノンアルコールカクテルを注文した。
『お腹減ったんじゃない?』
『昼が遅かったから、それほどでもないな』
シンも最近忙しいらしく、普段の講義の準備に加えて、論文の執筆や講演会の資料作り、卒業論文の添削……とにかく、目が回るような忙しさなのに、一週間に一回のデートはかかさずしてくれる。
『マヒロの方がペコペコなんじゃないか?』
『いや、俺は……』
大丈夫と言おうとしたところで、ぐぅ~と腹の虫が鳴った。
空気読め、腹の虫。
『正直なのはいいことだ』
シンはくすくす笑う。
俺はむぅっと膨れながら、メニューを開いた。
『俺、正直だから、たくさん頼むからな』
『あぁ。たくさん頼んでくれ』
出された料理と飲み物は申し分なく、満足出来る味だった。
『シンは歩いてきたの?』
『いや、大学からタクシーで来た。帰りは真尋に送ってもらおうと思って』
『だから、ワイン飲んだんだ』
『マヒロの車に久々に乗りたくて』
『……またジェットコースターみたいって笑うんでしょ?』
『……笑わないよ、多分』
何だよ!多分って!!
イギリスに来て、不安だったことは車が右ハンドルってこと。
なんとか、その感覚にも慣れてきたけど、初めの頃は運転も不安定で、よくシンを隣に乗せて練習してた。
『エキサイティングな運転だね』なんて、笑われてたけど、最近は『紳士的な運転になってきた』と技術が向上した。
『大丈夫だったでしょ?』
『あぁ。安心して乗れるよ』
『……今まで、怖かったんだ』
『怖くはない。あれはあれでスリリングで楽しかったよ』
にこりと笑うシン。
余裕ぶってて、なんだかくやしいっ!
家に着き、さっそく風呂に入る。
イギリスの人に限らずだと思うけど、日本みたいに風呂に浸かるっていう習慣がない。
でも、俺は長年の習慣で、夜風呂に浸からないと気持ち悪い。
バスタブが浅いから肩まではつかれないけど、やっぱり気持ちいい。
シンも、俺に付き合ってか分からないけど、お風呂に入ってる。
お風呂に入りながら、俺は考えていた。
シンとのえっちのことだ。
最近、お互い忙しくて、帰ってくる時間が違ったり、休みが合わなかったりして、えっちがあまり出来てない。
今日こそはできるだろうか。
明日から2連休だし、そういう雰囲気にもっていきたい。
前は毎日してたのに!……今は一週間に一回出来たら上等で。
うう……落ち着いたってことなのかもしれないし、えっちができなくても、シンは相変わらず優しくて、俺のことも好きって言ってくれるけど……でも、やっぱり体の関係も大事にしたい。
よし!今夜こそは!!
俺はそう決意をして、湯船から勢いよく立ち上がり、シンのいるリビングに向かった。
『シン、あのさ……』
『……その書類は大学に置いてあるはずだ。あぁ、仕方ないだろ。……大丈夫。フォローする』
携帯で誰かと話しているみたいだったので、話しかけようとした声を引っ込め、ソファにそのまま座った。
シンは電話を切ると、ふぅ……とため息をついた。
『大学?』と俺が聞くと、『うん』と苦笑いしながら答えてくれた。
『マヒロ、ごめん。明日はゆっくりするつもりだったのに、風邪をひいた講師の代わりに、明日私が講義することになった……夕方には帰って来れるんだが……』
『そうなんだ!気にしないで。仕事なら仕方ないよ』
『ごめん。マヒロ……』
『いいよ、シン。俺、ちゃんと留守番してる。夕ご飯作って、待ってるからさ』
『じゃあ、お土産を買ってくるよ。美味しいケーキでも食べよう』
『……駅の近くで売ってるいちごタルトがいい』
俺が少しわがままを言うと、額にキスされた。
『仰せのままに』
あぁ、甘やかしてほしいし、甘やかしたいけど……。
明日早いだろうし、今夜も我慢だな。
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